02-3 竪琴を奪われた吟遊詩人の話 その3

「……これから、どうするんだい?」


 絶望への出発。女将から声を掛けられる。何とかしたくても安宿の経営では男一人養うことなんて出来ない。それに一人に施しをすれば俺も俺もと収拾が付かなくなる、それが世の常である。


「教会へ行こうと、思ってます」


 野垂れ死ぬのは勘弁だ。さりとて身を立てる手段はもはや無い。そうなるともう神の門へと下る、つまり僧侶として生きる位しか思いつかない。しかしこれには強い葛藤があった。僧になるということ、つまりそれは今までのように竪琴を爪弾くことも、旅の空の下に身を任せることも、人々へ歌を贈ることも許されなくなるということである。今でも本当に別の手段が無いか、頭がグルグルしている。


 宿の中に男が現れた。詩人がいつぞや見た顔だった。


「おう、ここにいたか。よかったよかった、今日ようやく非番でな」


 二人の中に割って入ってきたのは、かの警吏の隊長だ。大きな荷物を小脇に抱えていて、「ほら読め」と封筒入りの手紙を渡してきた。その封筒には封蝋が押されている。紙も高級なことが手触りで分かった。


「僕が読んでいいんですか?」


「お前さん宛てなんだから当たり前だろ」


 首を傾げながら封を解く。封蝋なんて使うのは貴族とか王家とかであって、詩人にはそういった人物の心当たりが無かった。



『共に歌を分かち合った、竪琴を持たぬ詩人へ


 あの日駆けつけられなかったことを、どうか許してほしい。


 父から謹慎を受けていて、今も解かれていない。大通りで歌っていたことを咎められたのだ。


 私の家は政治家の血筋で、私はその跡取りだ。しかし人の心を掴む生業にもかかわらず、人前に立つと頭が真っ白になって口も上手く動かない。通りに出て歌えば度胸も付くと思っていたが、やはり怖くて上手く歌うことすら出来なかった。


 君が背中を叩いてくれたあの時から、何かコツを掴んだ気がする。君は私の声が良いと、警吏の隊長から言ったそうだね。きっともう大丈夫だ。自分に自信を持とうと思う。


 会えない代わりに、心ばかりの礼をさせて欲しい。君は竪琴を奪われたという。代わりのものを用意したから使ってくれ。それからあの日貰ったチップ、これも君の路銀の足しにして欲しい。


 君の旅の空に、良き歌声が響くことを願う』



「お前さんが一緒に歌ったの、あそこの近くに住んでる政治家の倅なんだよ。だから俺も気にしてた。何やってんだって」


 警吏達に足を止められて話をしていた所を、謹慎の身で外に出られない中窓から覗いていたらしい。詩人はいろんなことが一つに繋がるのを感じていた。どうしてあの若き詩人があんな業物を抱えていたのか、隊長がわざわざ彼について尋ねてきたのか……。


 共に歌い合った若人からの贈り物を受け取る。革袋に入った金銭と、あの楽器店の棚から消えたはずの竪琴だ。贈るためにわざわざ使いに買わせたのだ。


「吟遊詩人なら一点物の業物よりも、そういう普及品の楽器の方が修理しやすくて良いんだってな。日光にも晒されるしな」


「深く、深く感謝しますと、伝えてください。これでまた旅をすることが出来ます」


 伝言を頼んだその声は、涙でかすれていた。



 そして今、詩人はもう王都には居ない。乗合馬車の座席に揺られ、車窓を眺めながら次なる街へと想いを巡らせている。実は政治家の倅、膝の上に抱えている革鞄に入った竪琴の贈り主からの手紙には、裏に追伸が書かれていた。


『どうしてもこれが身に余るというのなら、私のことを歌にしてあちこちの街で披露してくれ。いつかこの耳に届くことを、楽しみにしている』


 ……これは、遠回しに自分を歌にして広めてくれと言っているのだな。政治家の倅の仕事としては、百点満点だ。既に旅立ち前にあの宿で歌をしたためている。遠出の旅費も歌で貯めた。国中を巡りながらそれを風に乗せよう、きっと自分に出来る最大限の礼だ。誰かが歌った曲は詩人の中で口伝し、新たな歌になって人々の耳に届く。詩人が人を讃える歌を歌い広まることは、その人にとっての大きな名誉なのである。


「お兄さん、それ楽器かね」


 向かいに座る老いた男が膝の上の鞄を指し、聞いてくる。詩人は中身を取り出した。八人程いる乗客皆が釘付けになる。音楽に携わっていなければ、間近で竪琴を観る機会なんてなかなか無い。


「折角なので一曲歌いましょう。作ったばかりの歌を試したいのです」


 詩人の指はその真新しい弦の上を軽やかに踊り、小さな語りから歌を始める。それはこの竪琴を贈ってくれた、若き恩人の歌だった。


(了)

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