01-2 友同士だった騎士と第五王子が決闘した話 その2
「離れていろ」
騎士は低く澄んだ生真面目な声で、立会人である従者に告げて白ローブの王子の方へ歩み寄る。じり、じりという足音、土と小石を踏み潰す音が鳴った。王子も『法書』を抱え、数歩前に出る。血生臭い決闘を目前にして、王子の顔にはいつもの優し気な、相手を慈しむような笑みをたたえていた。
「……参る」
騎士がつぶやく。鎧の力の使い方は教わらずとも分かっていた。むん、と身体に力をこめると甲冑は一回りも二回りも大きくなり、騎士は体長二メートルを超える怪物へと変貌した。右手には甲冑と同じような素材の、青黒く刺々しい形をした一メートル半程の大剣に似た武器を携えている。握っているのではなく、手甲の一部が伸びて剣の形を取っているのだ。着用者の怪物化、これが生きた鎧の持つ人知を超えた力である。
二つ脚の巨大な甲虫と化した騎士は、その強化された脚力で一気に相手へと詰め寄る。王子は向かってくるそれに手をかざすと、人の体より大きな円錐状の石が地面から飛び出す。騎士がそれで動きを緩めるのを確認すると、次は掌から火炎を放った。これこそ今まで多くの人間を消し炭へと変えた魔性の炎である。それを正面から受けた。しかし消し炭どころか甲冑にはどこか焦げたような跡も燃えカスも無い。怪物が睨み付ける。
「いかなる魔法をも寄せ付けないというのは、本当なんだね」
王子はそういうとまた笑い、体を浮遊させ、高速で後ろに下がる。人の力では物体を浮かせることは出来ても、人体のような重量物を動かすとなると至難の業だ。ましてや高速移動など人間業ではなく、これも『法書』の持つ力を借りた芸当であった。
魔法の無効化、人を焼く炎も凍える吹雪も、この装甲の前では全て無力となる。騎士は王子の持つ『法書』の力に対抗すべく、あらゆる文献を漁りこの鎧へと辿り着いた。それまでの時間で、どれだけの民が王子の手に掛けられたのであろう。騎士はただただ歯がゆかった。騎士は民を守らねばならぬ。何故王家の者が民を殺すか。民あっての王家、民あっての国では無いのか。
浮遊して距離を取ろうとする王子を、騎士たる怪物が追いかける。岩をぶつけるといった物理攻撃は有効だと王子は感付いていた。いくら『法書』の力を得ようと、高速移動と大岩の生成を同時に行うのは難しい。怪物は容赦無く差を詰めてくる。大熊とすら渡り合えるであろうその巨躯、その膂力、まともに渡り合うのは得策では無い。飛び回り、逃げながら策を練る。
異形の大剣が、大きく空を斬った。その剣の軌跡は刃を形作り、急速に王子へと襲い掛かる。それを辛うじてかわした。執拗に追われるだけではなく遠距離攻撃まで仕掛けてくるとは。まともに受ければ人の体など真っ二つであろう。
しかし王子は笑う。人で無くなった友をせめて我が手で葬ってやろう、そういう笑みだ。哀れな怪物を討ち、骸を焼き払って弔ってやろう。これまで人を焼いてきたのは、彼の慈愛ゆえだった。人の道に反した者、王家に反旗を翻す者、あるいは不治の病に冒された者、そういった哀れな者達を葬り、弔う。『法書』の力により思想が強化され行動が直接的になっただけで、彼の内心は何ら変わっていない。盗人だろうが王家の敵だろうが焼き尽くした相手の消し炭は回収し、墓を立て自分なりに弔っていたのだ。
しかし異形となり執拗に己を追うかつての友を見て、王子は気付いた。狂ってしまったのは、むしろ自分では無かったのか? 自分は己の正しさの為に書の力を行使していた。その結果が彼を怪物にしてしまったのではないのか?
王子の顔から笑みが消えた。だとしたら尚更、この哀れな怪物を葬るのが自分の役目だ。決して人には見せぬ真剣な表情で、息を吐いて立ち止まり青黒い装甲の異形と相向かう。両手を空に掲げた。大きな影は急速に詰め寄って来る。
それが目の前に迫った瞬間、王子は掲げた両手を振り下ろす。それに連動して頭上に生成されていた人よりも巨大な岩、騎士の体を上空から圧し潰すように落下した。ズーン……という重い音、パラパラという砕けた岩の一部が落ちる音、そして静寂。さすがに生きた鎧を身に付けていようと、これを喰らって生きてはいまい。
しかし終わってはいなかった。突然土の中から黒い巨体が現れ、大剣が王子の腹を薙ぐ。あの岩を喰らってもなお生き延び、土を掘って脱出したのだ。白いローブの腹部分が赤黒く血染まっていく。体を貫いて血液がまとわりついたそれが引き抜かれると、王子はその場に仰向けになって倒れた。青黒く刺々しい姿をまとった死は王子の前までゆっくりと歩み寄り、立ち止まる。変わり果てたかつての友、討たれるなら是非も無い。しかし異形はそこから全く動かない。
「……首を取ったりはしないのかい?」
騎士は苦しそうに声を絞った。
「どうやら、『時間切れ』らしい」
言葉が切れた途端、王子の傍にうつ伏せになって倒れ込んだ。そしてその巨体はみるみる縮んでいき、元の甲冑姿へと戻って行く。騎士は、もう動かなかった。生きた鎧に、生命力を吸われ過ぎたのだ。
(その3へつづく)
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