君はたそがれを知らない

千瀬ハナタ

君はたそがれを知らない

 じりじりと日の光が差す。あと数日もすれば、この暑さは秋の気配を帯び始めるのかもしれない。


 僕と君は、公園のブランコに座る。


 公園といっても、それは僕らの育った団地の中にある小さな広場で、滑り台と砂場、そらからブランコがあるだけの場所だ。


「遠いところまで来てもたなあ」


 君は、呟く。


 君は、ときどき変なことを言う。


 ブランコに座る僕らの左側から、夕陽が差し込み、二人の姿が重なってひとつぶんの影を落とした。暮れかけている日差しでさえ、頬を溶かすような熱を持っていた。


「もう帰らなあかんね」


 君はぴょんとブランコから降りる。


 帰ってほしくない、と思った。


「そんな顔せんといてよ。すぐじゃないから」


 君は、僕の目の前に立つ。どこか浮世離れした君は、どこまでも純粋な笑顔で笑った。


 ぽつぽつと街灯が点き始める。


 この団地は、バブル期に造営されたのが理由か、そこら中に木々が生えている。桜の時期なんかは、どこでも花見ができるくらいには。


 その大量の木々が街灯の光を遮っていて、ちょうど僕らのいるあたりは暗かった。


「……昔、ふたりで花見したよな」


「やったなあ。わざわざレジャーシートを持ってきて。それで、そのとき」


 言いながら、君はクスクス笑う。


「上から虫が落ちてきて、すごい大きい声で叫んどったね」


 情けないな、と自分でも思う。レジャーシートを敷いたあたりに、昔の僕らの幻影を見た。


「雪が積もったときも、遊んだんはあそこやったかなぁ」


 ああ、そうだ。


 このあたりは滅多に雪が積もらないから、その日は朝には雪は止んでいたけれど、出続ける警報で学校が休みだった。


「……あのときはびっくりしたわ、いきなり寝そべるから。お母さんに怒られたやろ」


「そうそう。このあたりの雪ってべちゃべちゃやから、背中が濡れてもてなぁ。サラサラの雪やったらバレへんかったやろうに」


 君のお母さんはかなり厳しくて、それでいて優しいひとだから。


「春、冬ときたからなあ。せっかくやったら、秋、夏の思い出もなんかないかな」


 君はちょっと楽しそうに視線を太陽が沈んでいったほうにやった。


「あそうや。体育祭の練習した、ここの坂で」


 そうだ。


 僕は運動が苦手な完全文化系男子だから、君が『特訓するしかなくない?』とか言って、半ば強制的に走り込みをさせ……したのだった。


「結局、結果はどうなったん?」


「……僕にしては頑張ったよ。三着でバトン繋いだ」


「そっか」


 君が見上げた空は、もう深い藍色になっていた。


「そっかぁ」


 君が、帰る。


 直感的にそう思った。


「待ってよ。まだ、夏の思い出言ってない」


「えー、夏の思い出?」


 ふりかえる君は、何よりも可憐で、綺麗で、美しい。


「今かな!」

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君はたそがれを知らない 千瀬ハナタ @hanadairo1000

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