ウィード(全編)

山木 拓

ウィード(全編)


   1  


 国と国の境界を守るこの仕事は、人々の役に立っている仕事だというのに、なぜか陽の目を浴びていない。何かを成し遂げても、成功しても、大きな報酬をもらえるわけでもない。しかしウィードはその事実に興味がなかった。淡々と、黙々と仕事を成し遂げるだけが彼にとっての楽しみだった。影の国との境界線の森、ここには隣国からの魔物が何匹ももぐりこんでくる。彼の仕事はそれらを狩る事だった。今日だけで魔物を6匹仕留めた。陽が沈む時間が迫ってくると、魔物の数も多くなる。また一匹、黒い狼の魔物を見つけた。それは自国の生き物を食っていた。掌に収まるほどの小鳥の羽を咥えて、ぶら下げていた。黒い狼もウィードに気が付き、急いでそれを飲み込んだ。「人間か、今日は獲物がたくさんだ」人語を操る魔物だった。そいつが雄叫びを上げると、ぞろぞろと仲間が現れた。「嚙み殺されるのは初めてだろう。とても痛いぞ」黒い狼は舌なめずりをした。ウィードは黙って剣を構えた。

「かかれ!」

 黒い狼たちは、一斉にとびかかってきた。正面から向かってくる個体を無視し、一番先に自分に牙が届く右の個体に切先を向け、迎えるように胸から串刺しにした。腕を強く引いて剣を抜くと次は左後ろから近づいてきた個体の頭を縦に切った。そうしてから正面の個体の噛みつきを刃で受け止め、迫ってきたもう一匹は左手で殴り飛ばした。さらにそのまま刃に噛みついている個体も殴りとばした。「なんだと」生き残った仲間たちは、狼狽えていた。「こんなに強い人間がいるのか。しかも、我が種族との闘いにも慣れている」

 黒い狼は二歩後ずさりをして、背中を向けて逃げ出した。ウィードはすぐさま弓矢を取り出し、背中を射た。続けざまに残りも仕留めた。「噛み殺された事は無いが、噛まれたのは初めてじゃないんだ」彼は一人呟いた。

 7匹の狼の右耳を切り取り、袋に詰めた。今日何匹駆除したのか分からなくならないよう、こうやって数を数えているのだ。これで合計13匹、やはり魔物が活発になる時期だけある、とウィードは思った。黒い狼は影の国の中でも下等な生き物で、そのような位のやつらは数が多く、獲物を求めてこちら側に頻繁にやってくる。定期的に駆除をしないと、多くの生き物が食い殺されてしまう。だがそれを任せられる人間は数少ない。そのためウィードはいつも人一倍仕事を行っていた。


 夜が近づきはじめると、彼は拠点に戻り始めた。そこに、「誰か、助けてくれ!」遠くから声が聞こえた。「誰かいないか!」もう一度声が聞こえると、おおよその方角と距離を推測し、すぐにそこへ向かった。草木を切り分け、最短距離を自ら作った。茂みを抜けると頭から血を流した者と、それを抱きかかえる仲間がいた。同じ隊の者だった。彼らの前には、下半身が肉食獣のようにがっしりとした、翼の生えた羊が二本足で立っていた。「人間が3人か。ありがたい限りだ」ウィードのほうを見てそう言った。尻尾をのばして二人を縛ると、そのままウィードへ向かってきた。蹄で頭を殴ろうとしてきたが、そうなる前に上半身の腕二本を切り落とした。そして肩から脇腹にかけて斜めに剣を通した。翼の生えた羊は動かなくなった。「本当に、すみません。今日が初めての現場だというのに」血を流している一人が呟いた。「仲間なんだ、助けるのは当たり前だろう」肩を貸して、歩きだした。


・・・・・


 拠点に戻ると、すでに多くの仲間が待っていた。「遅かったな」同僚のホセが最初に声をかけてきた。「ついにお前がやられたのかと思ったぞ」軽口を続けた。「ああ、命かながら、なんとか生き延びた」「その割に傷一つないな」「精神攻撃で、殺されかけたんだ」「そんな魔物いないだろ」ホセは笑いながらウィードの肩をたたいた。「そこ、うるさいぞ」二人を上司のメテオ隊長が咎めた。

「さて、今日も駆除を無事に終えたわけだが、各人報告しろ」

 「ホセ、下等6匹、中等1匹です」「リンド、下等4匹、中等0匹です」順番に数を伝えた。ウィードはその間自分の持ち帰った耳の数を確認していた。袋の中に入れたまま目で数えるのは難しく、2回ほど数え直していた。途中、報告が止まった。「次は誰だ。おい、次は誰なんだ」メテオ隊長が荒々しく声を上げると、自分の番が来ている事にやっと気が付いた。「ウィード、下等13匹、中等0匹です」おお、と周囲が声を漏らした。メテオ隊長も感心しながら、「お前が中等0匹とは珍しいが、まあ中等を見かけない日もあるからな」と少しだけフォローを入れていた。そして再び沈黙になった。「またか、次はだれだ」今日ウィードが助けた新入りが俯いていた。「0、です。ブレオ、0です」絞り出すような声だった。メテオ隊長の目の色が変わった。

「ゼロ、ゼロだって。ありえないぞ。いくら新人だからって、そんな情けないことがあるか。訓練を積んできたんだろう。よく合格がもらえたな」

 「あーあ、やっちゃった。いつものパターンだ」ホセは他人事のようにその場を眺めていた。「申し訳ございません」新入りは再び声を絞り出して謝罪したが、メテオ隊長は止まらなかった。

「いいか、俺たちはこれで給料をもらっているんだ。国民の税金をもらっているんだぞ。お前はそれをなんとも思わないのか。お前が何も成し遂げずに金をもらっていると知ったら、国民たちはどう思う。しかもお前がもらう給料は、今日結果を残した先輩たちとさほど変わらないんだぞ。つまりお前は先輩たちの給料泥棒だ」

 過去誰かが失敗した時と同じような内容で怒鳴っていた。ウィードはこうなる事が分かっていた。だからこそ、隣の新人に言った。「ちゃんと耳の数はちゃんと確認したのか」「いえ、そもそもゼロですので」

「おい、何をこそこそ喋っている、給料泥棒のくせに」

 メテオ隊長は間を置いて声量を落とした。ウィードはため息をつきながら手をあげた。

「隊長、申し訳ございません。この新人の耳袋をあらためてもよろしいでしょうか」

「まあ、いいだろう。お前の頼みであればな」

 新人から耳袋を取り上げ、ひっくり返して中身を落とした。そこには、ウィードが先ほど自分で落とした羊の魔物の耳があった。

「この羊の魔物は、彼自身の手によって、彼が弱らせました。しかしとどめの際、偶然近くで活動していた私が止めを刺してしまったのです。そのため彼は私に手柄を譲るためこの中等の魔物を自分の駆除数として数えなかったのです。本来彼の手柄であったものを私は横取りするつもりはございません。であれば、彼の今日の結果は中等1匹という事になるのではないでしょうか」

 メテオ隊長はこの話を黙ってきいていた。「そうだな、お前の言う通りだ」険しい表情が、とたんに柔らかくなった。

「ブレオ、お前の今日の駆除数は中等1匹だ。新人がこのような結果を残すのは素晴らしい事だ。次も期待しているぞ」

 その後全員が報告を終え、解散となった。その場から動けなくなっていたブレオに、ホセとウィードは声をかけた。「隊長って怖いよな。俺も時々アレをくらっちまうよ。キツイ人だよな。新人なんだからもうちょっと手加減してやってもいいのに」ホセは頭の後ろで手を組んでいた。「ただ隊長は間違ってはいない。俺たちは国を守るためにやっているんだ、いつまでも新人じゃいられないぞ」ウィードは片膝をついて、子供をあやすように話していた。「まあ、そういう事だ」立ち上がって、ブレオに背中を向けた。

「あの、さっきはありがとうございました」

 「さて、何のことだ」二人は自分の宿に帰っていった。


 ・・・・・


「しかし隊長は相変わらず嫌味だよな」ホセは歩きながら、気怠そうに色々と語りはじめた。ウィードは適当に相槌を打っていた。

「新人相手なんだからもうちょっと言い方ってもんがあるだろ。結果なんて残せなくて当然な筈だ、それをあんなふうに。委縮して失敗を恐れたり、やる気を失って現場にこなくなったり、無茶して大型に挑んで命を落としたり。潰れてしまったらあの人だって責任とらされるだろ。それに俺たちの負担も増える」

 二人は大馬車乗り場に向かっていた。境界近辺は、人が生活するには不便な場所である。食料を買える店も酒屋もなく、女とも出会えない。だから彼らのほとんどは王都に住んでいた。しかし境界から王都も距離があるので、隊長から国王に頼んで朝と夕に十二人乗りの大馬車を何台か走らせるようにしてくれた。

「知ってるか、隊長の話。王都のあちこちの酒屋で『この国境を守ってるのはこの俺だ』って吹いて回ってるらしいぜ。それで興味持って話しかけてきた女の酒代を払って、自宅に連れて帰ってるんだと。よくそんな風に言えたもんだ」

「あの人が隊長なんだから、あの人が守ってるという話は嘘ではないがな」

「よくあの人の肩を持てるよな」

 丁度話の区切りの良いところで、木と木の間の土が踏み固められた道から、地面に石が埋められ車輪が回りやすいように舗装された場所に出た。そこに大馬車が停まっていた。

「俺はここで。じゃあ、さっき約束したとおり後でいつもの酒屋に来いよ」

「ああ」

 ホセだけが大馬車に乗り込んだ。「遅いぞ、定員にならないと走らせないんだからな」「悪かった」そんな会話が漏れてきた。大馬車は王都に向かって走り出した。


わざわざ境界近辺に住むのは、物好きしかいない。その物好きが、ウィードだ。彼は色々と考えて住み場所をこの近くに選んだ。鍛錬のために剣を振ろうにも、街中ではあまりに人目についてしまし、危ないと苦情を言われるかもしれない。境界で緊急の問題があれば自分だけでも迅速に対応を始められる。それに、朝の馬車の時間を考えずに集合時刻近くまで本を読んだりできる。なので、大馬車乗り場の近くにあった旅人や行商人のための宿の一室を間借りし、そこに住み着くようになった。玄関の軋んだ扉を開けると、いつものような受付係がきちんと受付の持ち場に座っていた。ろくに客もこないので掃除や裏の畑仕事をしているのだが、彼が帰ってくる時間だけはそこに座るようにしてくれていた。彼女に会釈をして自分の部屋に向かった。階段を一段踏むごとにも木が軋む音がなった。玄関と違って2階一番奥の彼の部屋の扉は静かに開いた。こらからもずっと使うだろうから直してほしいとウィード自身が宿のオーナーに頼むと、彼は「君の頼みなら」と快く聞き入れてくれた。扉ごと取り替えたので、そこだけ少し色が違っていた。

部屋に入ると、彼はまず水を一杯飲もうとしたが、使えるコップが無かった。昨日の夜使った分と、今朝使った分が机の上に置いてあった。コップの底にはコーヒーが乾いた跡がついていた。仕方がないので、一旦水道で洗ってから水を飲んだ。

「おい、ただいまぐらい言ったらどうなんだ」

 一口飲んだ時、部屋に飾ってある魔物のはく製が話しかけてきた。いや、実際には話しかけてはいない。そのはく製が自分に話しかけてきているのだと、ウィード自身が思い込むようにしているだけだ。それは片手で抱えられそうなぐらいの大きさの、真っ黒な眼球の猿のような魔物だった。「そうだったな、ただいま」ウィードがそう答えると、「部屋で黙って一人で過ごしていると、頭がおかしくなるぞ」その下等悪魔を、テリーと名付けていた。

「そ、そんなにはっきりと言わなくていいじゃないか。ウィードだって疲れているだろうし」

 別のはく製が話しかけてきた。捻じれた大きな角と小さな角がそれぞれ2本ずつ生えた魔物だった。彼はシードと呼ばれており、首から上だけ飾られていた。「いや、いいんだよ。僕が自分で決めた事を自分で守らなかったから、そう言われてしまうのは当然だ」「そ、そうかなぁ」シードは顔の大きさに似合わず、声が小さかった。

「シード、テリーのいう通りだぞ。ウィードは自分で決めたんだ、礼や挨拶を忘れないようにするとな」

 髭を生やしたトカゲのような二足歩行の魔物が低く優しい声で喋りかけてきた。彼の名はモックで、ウィードと同じぐらいの大きさだった。「君の意見はいつも手厳しいよな」ウィードはため息をついた。剣をいつもの場所に置いて、身に着けている装備をいくつか外した。

「ところで、今日も大活躍だったみたいじゃないか」テリーはウィードの足を小突いて、無邪気に話しかけた。「そうだよ、下等だけど13匹、それと中等をやったけどその手柄は新人の後輩に譲ったんだ」ウィードは誇らしげに笑った。「す、すごいね、やさしいね」シードはいかつい顔に見合わない笑顔をしていた。「それでこそウィードだ。本当の強さとは、そういう優しさに宿るものだからな」モックはウィードの背中に手を添えていた。「でもいいのか、そんな自慢話を俺たちにしか喋らなくて」「そ、そうだよ。部屋に戻ってきて、僕らに話すだけじゃなくてさ」「まぁその通りだな。そもそも、もっと色んな話を聞いてくれたり、色んな話をしてくれる相手がいてもいいんじゃないか」ウィードは黙り込んで、ベッドに突っ伏した。布の冷たさからなのか、少しだけ湿ったような感触が肌に伝わった。そしてその体勢のまま、枕に向かって言葉を発した。

「いいんだよ、別に。僕は隊長に拾われて、いい仲間が出来て、向いてる仕事にも就いて。これ以上の贅沢は無いよ。それにもっとこの境界で強くなりたいし、他にもやりたいこともあるし、だったら僕は一人で過ごしているほうがいいんだ」

 テリーとシードとモックは何も答えなかった。ウィードはホセとの約束を思い出し、身支度をして部屋を出た。


 酒屋の扉が開くと、出入り口近くの席の者と、少し奥に座っていたホセがこちらに反応した。手を振って、ウィードをこまねいた。丸いテーブルにはすでに4人座っていたのだが、髭を生やした髪のない店員が椅子を一つ持ってきてくれた。場所を詰めて、若干手狭な状態で席についた。「遅かったじゃねぇか。随分ゆっくり歩いてきたんだな」「バカ言うな、全力で走ってきた」「その割には汗一つかいてない」「鍛え方が違うんだ。この距離じゃ息もきれねぇよ」ホセはウィードが来るのを待ちわびていた。話したい事があったからだ。

「この間王都に来た時、街中で輩どもに絡まれていた女の子を助けたって話していただろ。で、お前は名前も聞かずに立ち去った」

 ホセは喋りながら、店員を呼ぶために手を挙げた。今しがた離れた席にもう一度戻らされた髪のない店員は、ほんの少しだけ苛立っているようにも見えた。

「そりゃそうだろ。名前を知りたいから助けた訳じゃないからな」

「もったいねぇな。自分でもキレイな女の子だって言ってたじゃないか。そう思うんなら尚の事」そう話していると途中に、「注文ですか」と鼻息で髭を揺らした店員が、苛立った様子で声をかけてきた。「えーっと」ホセはもたもたとメニュー表を取り出して、ウィードに渡した。「ほら、頼めよ」それを聞いて、再び髭が揺れたように見えた。その間、遠くの席ではこの店員を呼ぶ声が聞こえた。「とりあえずこいつには、ウォッカを樽ごとストレートで」隣の席のカイルは冗談めいた口調だった。「そんな訳ないだろ」とメニューを眺めたままそれを否定した。「すみません、今のは忘れてください。えーっと」ウィードが何を注文しようか迷っていると、店員はこちらを急かすように足で床をノックした。それに気付いた彼は、適当に決めてしまおうと思った。「じゃあ、とりあえずビールを」そう伝えると、「あいよ」とつぶやいて急ぎ足で立ち去った。店員に悪いことをしてしまったと思う者もいる中、ホセは気にも留めずに話を戻した。

「で、キレイな女の子だったんだろ。その子のことをお前は名前も住んでいる場所も働いている所も知らない」

「だから、そうだって」

「もう一回会いたくないか」

 「なんだよそれ」とウィードが鼻で笑うようにつぶやくと、「ブレオ、説明してやれ」ホセは同じ卓に座っていた新人に話のバトンを渡した。

「実はその人、僕の姉さんなんです。以前姉が駆除隊の人に助けてもらった事を聞いていて、今しがたホセさんからもその話を聞いてピンと来ました。特徴も時期も一致しているので間違いないです」

「へえ、そんな偶然もあるんだな」

 彼は他人事のように答えた。突き放すような口ぶりに場がしらけそうになった瞬間、ホセが空気をつないだ。

「おいおい話の流れを分かっているのかお前は、女の子が誰なのか分かったんだぞ。それに」

「それに姉さんも改めてお礼がしたいと言ってました」

 自分の口から伝えたかった事を先に目下の者に言われてしまい、少し眉をひそめた。

「正直姉さんはかなり美人です。今まで変な男も寄ってきましたがウィードさんならお任せできます。それに姉さんが自分から誰かに会いたいなんて言い出すなんて滅多にないんですよ。これがどういう事かわかっているんですか」

 ブレオは矢継ぎ早に意見を吐き出すと、自分のビールを飲み干した。「まあ、そういうことだ」ホセは自分のグラスに口をつけ、唇を濡らすように傾けた。

「いや、俺なんてやめておいた方がいい。多分だけど、俺はみんなが期待するような男じゃないから。それに今は、誰かと関係性を保つ努力をする時間もないんだ」

 今度こそ場がしらけてしまった。ウィードはテーブルに置いてあった干し肉の切れ端を適当に口の中へ放り込んだ。「まぁ気持ちは分かるけどよ」カイルが話し始めるまでの間に干し肉を飲み込んでしまえた。「俺たちからすりゃお前は相当いい男だぜ」そう言いながらウィードのほうへ体を向けた。

「仕事が出来て機転も利くし義理堅くもある。その上教養もあるし。見た目は、まぁ、悪くはない。お前に相当ほれ込む女がいてもおかしくないだろ」

 他の3人は、黙って頷いていた。しかし当の本人は、首を傾げていた。

「俺はさ、ほんとにさっき言ったとおりなんだ。誰かと関係性を保つ努力をする時間が無いし、お前らと仕事終わりに一杯やるのが」

 話している途中であったが、彼がさっき注文したビールが来た。先ほどの髪のない店員ではなく、赤い癖毛の女性だった。リンドが代わりに受け取ってくれた。「お姉さん、あの店員の奥さん? それとも兄妹とか、あるいは娘とか?」そう話しかけながら、しっかりとジョッキを持とうとしなかったので、赤い癖毛の店員は手を離せないでいた。「いえ、私はただの雇われの店員です」「じゃあ、あの人とはデキてるの?」「店長には奥さんがいます」やっとジョッキを握って、そのままテーブルに置いた。リンドはホセに目配せした。

「なぁ、お姉さん、こいつどう思う? まあ色男ではないけど、そんなに悪くはないだろ?」

 ホセは左手の指でウィードを指さした。手首は骨が無いみたいにだらんとさせていた。「そうね、私は悪くないと思う」ほらね、と言わんばかりにリンドはウィードの肩を叩いた。「社交辞令だろ」ウィードが照れ隠しのように呟いていたので「私はお世辞が下手なの」と赤い癖毛の店員は彼の瞳をじっと見つめた。しかし彼は黙ったままだった。彼女は指をひらひらと振って、別の席の注文を取りに行った。

「あーあ、今日の仕事が何時までなのかぐらい聞いておけよ」

 カイルは本気で残念そうにしていた。

「いいんだよ、この店はよく来るところだろ。俺と彼女が気まずくなって、ここに入りづらくなるのも嫌じゃないか。だいたい俺は、さっきも言ったけどお前らと居る方が楽しいって」

「なんだお前、男のほうが好きなのか?」

「そんな訳ないだろ」

 その後何度か赤い癖毛の店員が料理を運んできたりもしたが、必要最低限の内容しか話さなかった。酔いが回って、食事もあらかた満足したら、店を出た。「この後どうするよ」誰からともなくそんな問いかけが生まれると、「まだまだ飲み足りないよな」リンドがウィードに肩を組んできた。

「いや、明日は鍛錬の日って決めてるから。俺はもう帰る」

 彼がそう答えると、他の皆はなんとか帰らせないように立ちふさがったり腕をつかんだりした。楽しい時間に引き込むために色々説得をしたが「明日に影響が出るほど、俺は今日を楽しみたいとは思わない」と響かなかった。

「相変わらず真面目だな」

 実際に呟いたのは一人だったが、おそらく全員がそう思っていた。そんなのは気にも留めず、ウィードは街はずれまで歩き、そこから宿まで走った。汗をかいてしまったので、水場で体を流してから寝た。酒を飲んで血のめぐりが早くなっているせいか、妙に寝つきが悪かった。しかし布団が温かくなってくると深い眠りについた。


「おい、さっさと起きろ。もう日が昇りきってしまうぞ」

「も、もうちょっと寝かせてあげようよ。昨日だって遅くまで起きていたし明日でもいいんじゃないかな」

「そんなふうに考えてはだめだ。今日も遅くまで起きていたら、明日も同じ事を考えてしまうぞ」

 ウィードの頭の奥ではどんどん眠りが浅くなってきているのが分かっていた。水の中から引き上げられているような感覚と共に、ベッドのぬくもりは思い出したかのように再び体に入ってきた。すごく、気持ちがよかった。しかしそれを全身に行き渡らせようと体を少しひねると、布団とほんの少し隙間ができたのでそこに冷気が入り込んだ。人生で何度経験しても決して慣れはしない不愉快な冷気だった。しかしそのおかげで、水中に潜っていた意識がはっきり浮かび上がった。昨日の疲れと眠気を持ち越したまま、再入水ぎりぎりのところで彼は目を覚ました。この後の鍛錬のつらさは分かり切っていたので「特別に今日は中止にしてしまおうか」と毎朝堕落するかしないか自分と戦っていた。今日もなんとか勝利できた。


 自主的な訓練ではあるが、通常使用する剣や防具、いつも持ち運ぶ食料等を抱えていつもの場所へ向かう。単独で動いているので境界の近くには寄り過ぎると危険ではあるが、人気がない休日の拠点近くが彼にとって良い訓練場所だった。体を温めるためにそこまで走っていった。到着してからは、ただひたすらに魔物の動きを想像し剣をふるう。単体の上級や数で攻めてくる下等、さまざまな状況を頭の中に浮かべた。基本的に駆除に成功しているが、時折想像の中でも負傷した。体躯の大きい人型の魔物を複数相手した時に腕を切り落とされ、それと引き換えに首を切り落とした。「まだまだ鍛錬が足りないな」一人で呟くと、休みをとる事にした。木陰に腰を下ろし、紙の袋に入れていたパンに干し肉を挟んだものを取り出して、口に運んだ。きちんと一口ずつ食べるつもりだったが、肉が固く前歯では噛み切れなかった。結局それだけはずりずりと間から出てきてしまったので、肉だけ全部を一気に食べてしまった。紙袋の他の中身も食べきると、すぐに立ち上がった。食後からはひたすらに剣を振り、足を動かす。相手の動きに合わせるのではく、自分の動きを極めるためのものだった。一撃で深手を負わせるために、正面を縦に横に斬り続けた。複数の魔物の包囲を切り抜けるために、左右を切り払った。背後からの不意打ちをカウンターするために、体の向きを素早く切り替えて剣を振った。

その時だった。振り返った方向の茂みに、人影のようなものが見えた。その動きは、まるで逃げるようだった。ウィードは思考を巡らせた。この境界に自分以外の人間がいるのはおかしい。王都とは迷い込めるような距離ではない。もし自分と同じように訓練のために来ているのなら、あんなふうに逃げるのも不可解。だとすれば、魔物の可能性もある。上級の場合は体が大きい種族も多いが、人間と同程度の大きさのものもいる。逆に下等で二足歩行はかなり少ないし、中等のほとんどの姿形は人間とはかけ離れている。あれが本当に上級の魔物であった場合、放置するのは非常に危険だ。俺ならば一人で駆除できるはず。ここで俺がとるべき行動は、あの魔物を追いかけ、今ここで対処する事。そう結論づけて、ウィードは人影に気付かれないように追い始めた。

その人影は、生い茂る木々をものともせず風のようにするすると進んでいった。足元は土や葉っぱで不安定だったのだが、それにも走り慣れている様子だった。途中、何度も見失いそうになったので距離を縮めるために速度を上げると、僅かばかり足音が大きくなってしまった。それを察知した人影にはこちらの追跡に気付かれてしまい、そして走る速度を上げた。逃がすまいとしばらく追いかけたが、ウィードの足は疲れがたまってきて、重くなってきた。走りやすくするために目の前の木を切ったりもしていた。流石に息が切れてきて、走りながら深く呼吸するためにほんの一瞬下を向いた。人影から目線を切ったのだ。もう一度前を見た時には、人影が消えていた。木の陰に隠れている訳ではないし、見えなくなるまで引き離されたとも思えない。しかし、完全に見失った。突然姿を消したのだ。業務時間外であったのでここで引き返す事も出来たのだが、手を付けた仕事はどうしてもやり遂げたかった。なので彼は、せめて諦めをつけるために、消えた場所を入念に探し回った。木や地面に隠れられる穴が掘られていないか、茂みの中に身を潜めていないか、或いは一瞬で木の上まで登ったか。色々な可能性を探ったが何も見つからなかった。上級の魔物を取り逃がしてしまったかもしれないと思い、自分の未熟さを恨んだ。


戻って鍛錬の続きをやるためにウィードは振り返った。その瞬間、背後で何かが起こったように感じた。さっきまで魔物を探していた方に体を向けると、そこには一件の家があった。人が一人住むには充分な大きさだった。そんな大きさのものが突然現れたのだ、何が起こったのか、全く分からなかった。追いかけた人影と無関係とはとても思えない。ならばこれを調べない訳にもいかない。彼はその家のドアに近づいていった。すると足に何かが引っ掛かったように感じた。何かが切れた音がして、何かが飛んできた。死角からの飛来であったが、何かが風を切る音で方向を察知したのだ。それを躱すと、地面に突き刺さった。木の棒の先端を鋭く削ったお手製の矢だ。さらに何本も同じような矢が飛んできた。七本ほど飛んできて、五本は躱して二本は素手で掴んだ。今度は大きな丸太が振り子のように近づいてきた。ウィードはこれを、受け止めることにした。手のひらで先に触れて、肘から肩、肩から胸と勢いを逃がし、丸太の振り子をその場で停止させた。周りを見ると、いつの間にか砂煙で視界が悪くなっていた。それに乗じて、人影が接近して短剣で切りかかってきた。反応が遅れたせいで肩に傷を負った。さらその短剣を腹に突き刺そうとしたが、刃をつかんでこれを止めた。刃を直接つかんだ手のひらから、血が滴った。ここでやっと人影の姿形を見る事ができた。魔物ではなく人間なのは一目瞭然だったが、布で顔を覆っていた。ウィードはそれを剥いで姿を確認した。

「お、女?」

 目が硝子のように澄んでいて、色白で華奢な女だった。ウィードは切りかかられて傷を負った事も短剣を腹に刺そうとしてきた事も忘れて、少し距離をとってから攻撃意志が無いと示すために両手を上げた。

「悪かった、すまない、違うんだ。君を攻撃するつもりはなかった、本当だ。俺は君のことを知らないしきっと君も俺のことを知らない。だから君に恨みがあるという訳でもない。ただ君の姿を見かけた時にこのあたりに住み着いている魔物だと思ったんだ。ああ、女性を魔物と見間違うのは、それもよくないな。すまない、悪かった、違うんだ」

 ウィードはたどたどしく早口だった。その女が内容を聞き取れているかは怪しかった。「知能が高い魔物は君のように細身の場合もあるんだ。だから間違えただけなんだ、分かってくれ」さらにうだうだ言い訳を次々と加えていた。その女はしばらくウィードの様子を見ていた。どうやら真剣に謝罪していたので真剣に聞き入れていたのだが、ついには笑い出してしまった。

「ふふ、あははは! 何この人!」

 ウィードは、彼女に笑われてやっと自分の間抜けな狼狽え方に気が付いた。

「あなた、強そうな見た目をしているのに、そんなに慌てちゃうの?」

 その小さな口元を右手の甲で隠しながら笑っていた。「いや、見た目は関係ないんじゃないか。俺は見ず知らずの女性を」その間彼は言い訳をつづけながらも、どんどん声が小さくなった。ついには黙り込んだ。

「ルーナっていうの」

「え」

「私の名前」

「ああ」

「あなたが悪い人じゃないっていうのは充分わかったわ」

「それは、よかった」

「さっきはごめんなさい」彼女はウィードの肩の傷を見ながら謝った。「いや、大した傷じゃない」彼自身も、自分の肩に目をやった。

「あなたの名前は?」

「え、ああ、ウィード」

「よろしくウィード。ねえ、傷の手当をさせて。手当の道具なら家にあるから」

 彼女はゆっくりと森の奥へ歩きだした。「来ないの?」「じゃあ、遠慮なく」彼はゆっくりと後ろをついていった。

「あれは君の家じゃないの?」彼は後ろから声をかけた。「そっか、説明してなかったね。あれは家じゃなくて研究所なの。今向かってるのが家なの」彼女は振り返らずに答ええた。「最初見えなかったのはなんで?」「そういう技術を作ったの」「技術って?」「説明してわかるかな」「説明してもらわないと、分かるかどうかも分からないけど」彼女は立ち止まった。「確かにそうね」振り返ってから、そう言った。足元も見ずに後ろを向いたまま歩きだそうとしたので、木の根っこに躓いた。「きゃっ」声を上げて背中から倒れそうになったので、ウィードはとっさに血が出ていないほうの手のひらで彼女の腕を掴んだ。「あ、ありがと」彼は黙って腕を引き、彼女の体勢を戻した。気まずくなるのを恐れて、特段気にもしていなかったのに尋ねた。「それで、君の家はまだなのか」「ごめん、もう少し歩く」それから到着するまで、なんとか当たり障りのない話題を繋いだ。

それは、ウィードの宿と同じように、古い木材が使われた家だった。「これでも中はキレイなの」何も質問していないのに勝手に答えた。「入って」彼女が扉を開けた時、木の軋む音はならなかった。「いいのか?」「いいって」二人は小気味よく言葉を交わした。

中は、特にかび臭いとか埃っぽいとかジメジメしているとは感じなかったのだが、少し散らかっていた。「いつもは、もっと整理されてるんだけど」と彼女が言ったような気がした。しかしウィードはその事を気にも留めなかった。なぜならば、彼が見たことも聞いたこともないモノが転がっていたからだ。変わった形の剣に画期的な構造の弓、光を放つ玉、何かの設計図。キレイな星空の絵もあった。「これ君が描いたの?」「そう。なんだかイマイチだけどね」「そんな事ない。素晴らしいよ」机の上には、自動でコーヒーを淹れてくれる装置があった。片方の瓶から管を通って豆の上に水が少しずつ供給され、出来上がったコーヒーがもう片方の瓶に滴っていた。「あ、これ動かしたままだったかしら」もう片方の瓶は、ほとんどコーヒーで満たされていた。淹れたてであるのに、湯気が立っていなかった。

「これ、火は使ってないの?」

「そうなの、すごいでしょ。作るの大変だったんだから」

「でも熱湯無しでどうやって淹れているの?」

「知りたい?」

 彼女はいたずらな笑みを浮かべた。「知りたい」彼がそういうと、「これはね、この豆が入っている所にね…」長々と説明してくれた。

「すごいね、よく思いついたね」

「でしょ」

 彼女は得意げだった。コーヒーは、瓶いっぱいで満たされていた。彼女がそれに気が付くと、どこかを操作して装置を停止させた。ウィードはその間も装置をまじまじと見ていた。彼女は台所からコップを二つ持ってきた。「飲む?」「飲む」そして、コーヒーをコップに注いだ。

「どうしてこんな装置を作ったの?」

「私猫舌だから、熱いコーヒーはすきじゃないの」

「わかるよ、俺も猫舌なんだ。いつも冷めるまでずっと待ってた」

「私もこれを作るまで冷めるのを待ってた」

 ウィードは、ルーナから底知れない知性を感じていた。自分の欲望に忠実で、その欲望を実現するための活力を持ち、さらにそれを実現するための知識がある。君は何者なの、そう尋ねようとする前に、コーヒーを一口含んだ。「あ、おいしい」という声がもれた。

「だよね、おいしいよね。そうだよね」

 ルーナは目を輝かせて、彼が飲む姿をじろじろと見ていた。「な、なに?」ウィードは思わず訊ねてしまった。

「いやね、そのコーヒー今まで誰に出しても微妙な表情しててさ。おいしいと思ってないの丸わかりなの。でもみんなそれを口にはださなくて」

「まぁ、悪いことって言いだしづらいからな、俺にも似たような経験はあるよ」

「どんな?」

「仕事仲間が俺の手料理を食う機会が一度だけあってな。自分がいつも食べているものをふるまったら、君の見たそれと同じような表情してたよ」

「そうなんだ。でも確かに、あなた料理下手そうだもんね」

ルーナは笑っていた。ほんの少しだけ間をとって、ウィードは切り出した。「それよりも、結局君は何者なんだ?」その質問にどう答えるべきか、ルーナは迷っているようだった。「強いていうなら、研究者かな」

「私、この森で影の国から来る魔物について調べてるの。ほら、さっき、家が消える技術の話したでしょ。そういう魔物がいたから、その体質を調べて応用したの」

「じゃあそういう、魔物の体質を技術に応用する研究者ってこと?」

「いや、実はそうじゃないの。これはただの副産物なの」彼女は小さく首を横に振った。

「彼らって悪意があるわけじゃなくて、でも世間では悪者にされてるみたいでね」

 彼女は立ち上がって窓をあけにいった。彼女が口笛を吹いて窓の外に手をのばすと、そこに黒い鳥の魔物が止まった。ウィードが武器を構えようとしたのを察知したのか、彼の動きを制するように反対の手を向けた。「どうやら、全部が全部人間に敵意を持っているわけでもないのよ。だから、それについて調べてるの」彼女は左手に鳥の魔物を乗せたまま、ウィードに近づいた。「ほら」すこし躊躇ったが、ルーナと同じように左手を構えると、鳥の魔物は彼の腕に移った。「全然攻撃してこないでしょ」彼は、こんなにも近い距離で、まじまじと魔物を見たことはなかった。狩りの最中に見かけた時よりも可愛らしかった。「確かに人間を襲う魔物はたくさんいる。でもそうじゃないのもいる。だから、影の国の生き物を全部同じように駆除するのは間違っていると思うの」ルーナが手で合図をすると、それはウィードの腕から離れて窓から飛んで行った。彼女はそれを見送り、窓の外を眺めたまま問いかけてきた。「あなたはどう思う? 私の意見、変かな」ウィードは話し始めようとしたが、「俺は」とすぐに言葉を詰まらせた。少し間があってから、続けた。

「俺は魔物の事をよく知らないからな。君と対等な意見は持っていない。だから反論も持ち合わせてないよ」

 「へぇ」彼女はウィードの方を向いた。

「この話をするとみんな、『そんな筈は無い、魔物は全部狩るべきだ』って言ってくるの。それか『そうだね、よくないね』って適当に肯定するか。あなたはどちらでも無かった」

「曖昧な意見しか言わない、最悪の回答だな」

「そんな事ないよ」彼女はどこか嬉しそうにも見えた。「私明日ね、」と別の話をしようとしたにも関わらず、急に黙り込んだ。

「何か忘れているような」

 彼女はウィードの体をじろじろと見て、自身が負わせた彼の肩の傷を思い出した。「あ、手当してないんだ、ごめん」慌てて部屋の奥に何かを取りに行った。がさがさと、何かを漁る音が聞こえたのちに戻ってきた。包帯と着替えを持っていた。

「上脱いでそこに座って。手と肩よね」

「いや実は、大した傷じゃなくて」

「いいからやらせて」

 その厚意を無下にする方が失礼だと思ったので、彼女のいう通りにした。ウィードは上の服を脱いだ。鍛え抜かれた体が姿を現した。

「すごいね」

 ルーナは息をのんでいた。

「毎日鍛えているからな」

「そうなんだ」

 自分の手が止まっている事に気が付いて、すぐに包帯を準備した。「えっと、手のひらから先に巻くね」ウィードは彼女に手のひらを見せた。

「あれ、血が止まってる」

「だから、大した傷じゃないんだ」

「でも、手当させて。あなたに怪我させたまま終わらせたくないの」

「なら、君の思うままに」

 ウィードは手当を受けた。左の手のひらと右肩に包帯が巻かれた。「ありがとう」「悪いのは私だから」ルーナが服を持ってきていると気が付いていたのだが、彼は自分の服を着なおした。

「ねぇ、もう一杯淹れようか」

 ウィードは、悩んだ。そして答えた。

「いや、今日はもう帰るよ」

「泊って行ってもいいのに」

「明日の仕事にも備えないと」

「そっか、残念」

 ルーナは机のコップを下げた。

「でもそうね、ここでお開きにしよ。私も明日王都に行くから朝も早いし」

「王都に?」

「お父様が住んでいるの」

「そっか、会いに行くんだね。きっと君みたいに賢い人なんだろうな」

 ルーナは何も答えなかった。「それじゃあ」ウィードは立ち上がって、扉に向かった。「帰り道、分かる?」「分かるよ」「また会える?」「また会えるよ」彼は扉から出て行った。



   2  


 王都の中の王宮の中の王妃の間。国の治安を守る素晴らしい仕事をしているファビュラス将軍は、ここで王妃から賛辞の言葉を受けていた。

「此度も素晴らしい働きであった」

「ありがとうございます」

彼女はファビュラス将軍に敬意を示すため、彼女自身は玉座から降り、彼にはあえて跪かせないようにさせた。彼はこの王妃の間に何度も出入りしていた。門番も守衛も、彼の顔を憶えているほどであった。彼がここに訪れるという事は、彼が何か素晴らしい事を成し遂げた、それを皆も理解していた。

「この国は今飢えに苦しむ者が増え始めている。貧しい者に必要な物が行き届いていない。更には食べ物を手にするために罪を犯すようになってしまった。それが当たり前にならないようにと、其方は尽力してくれている」

「私は私にできる事を成したまでです」

「私もこれを根本から防ぐ法を考えねばならん、しかし其方に引き換え私は何も成していない」

 「そんなことはございません」ファビュラス将軍は王妃の話をさえぎらない程度に短く言った。「事実そうなのだ」王妃は玉座に座った。

「富める者はその富の力をもって独占し続け、貧しい者たちからその富の力をもって奪い続けている。手にした富を税として国に納めるのであればここまでは困らないが、それどころか貧しい者たちから奪った物を国外に売り捌いている。今はまだ誰も気が付いていないが、少しずつこの国は苦しくなっている」

 王妃は目を伏せて、息が止まったかのように話を止めた。ファビュラス将軍は彼女がなぜそうしたのを察した。「王の事ですか」彼女は短くため息をついて話をつづけた。

「国の内部が問題を抱えているというのに、あの男は他の国に攻め入る事ばかりを考えている。他の国から奪い返すのではなく、流出を止めようと考えないのか。影の国の境界の仕事もそうだ。確かに国境警備に人を回す必要があるのは理解できるが、あれはいくら何でも人数をかけすぎではないか」

 「その通りでございます」彼は以前も同じ内容を聞かされていたので、癖が出る時のように反射的に同意した。王妃は自分の話ばかりして、ファビュラス将軍が立ったままになっていると気が付いた。「すまないな、引き留めてしまって」そういわれると、「いえいえ。貴方のご要望を叶えるのが、私の仕事です」彼は振り返って、扉のほうへ向かった。もう一度王妃の方を見た。

「私はいつでも力になりますよ」

「素晴らしい男だ」

 ファビュラス将軍は、部屋を出た。「報告だけなのに、随分長かったですね」外で部下のジャックが待っていてくれた。「まあな」「何を話していたんですか」「秘密だ」「教えてくださいよ」「ベラベラ喋ったら、王妃に悪いだろう」ジャックはその内容が気になっていたが、訊ねるのはやめた。廊下を歩き始めた時、別の者が後ろから話しかけてきた。

「ファビュラス将軍、王がお呼びです」

 聞こえない振りをして無視しようかとも考えたが、さすがにやめておいた。長い廊下を歩いて、王の居る間に向かった。扉の左右にいる守衛たちを気にも留めず中に入ろうとすると、彼を静止した。

「待て、何者だ」

「警備軍のファビュラスだ。王に呼ばれた」

「確認する」

 ジャックは「確認しなくても、分かってるくせに」と小声で悪態をついた。ファビュラス将軍は「やめろ」と注意した。二人を呼び止めた者が守衛たちに目配せすると、扉を開けた。「確認がとれた」二人が王の間に入ろうとすると、ジャックはそれを止められた。

「お前は呼ばれてないだろう」

「なんだと」つっかかりそうになったが、それもまたファビュラス将軍が止めた。「すぐ終わる。待っていろ」彼は入っていった。

 王は、玉座に座していた。

「待っていたぞ」

 ファビュラス将軍は、跪ついた。「いかがされましたでしょうか」

「少し前に話したあの事は、考えてくれたか」

「あの事とは」

「退屈な警備軍なぞ辞めて、我々侵略軍に入らぬか」

「申し訳ございません、他国に攻め入るのは性に合わないと思いますので」

「お前ほどの男が、惜しいな」

「いえ、買い被りすぎです。それでは失礼します」

「気が変わったらいつでも来い」

「ありがとうございます」

 振り返って、扉を開けて、すぐに出て行った。部屋の外で待っていたジャックに声をかけた。「行くぞ」「早かったですね」「まあな」「何の話をしていたんですか」「また引き抜きだ。俺は侵略軍になんて入るつもりはない」ファビュラス将軍の歩みは、速足だった。

「さっさと詰所に帰ろう」


 王宮の城門から出ると、賑わった城下町が眼下に広がった。露店や芸者が並び、町人が行き交っていた。

「このあたりは、賑やかで平和ですね」

 ジャックが呟いた。ファビュラス将軍は、この町は確かに平和だ、と思った。しかしそれが偽りであるとも気が付いていた。真夜中に城下町の外れを歩いていると、女子供を攫う者や金品を奪おうとする者が現れ、町はもっと荒んだ様相を呈してくる。ここは単に、犯罪から遠い場所にある、だから平和なだけなのだ。この町が平和だからこの国が平和という訳ではない。ただ、彼はジャックの言葉を否定しなかった。「そうだな」

中心街を通り抜けようとした時、一人の女性が彼を指さした。「ねぇ、あれさ」その横の女性はこちらを凝視してきた。「本当だ、本物よ」二人は彼らのほうに駆け寄ってきた。

「あの、ファビュラス将軍ですよね」

「知ってくれているんだね」

「大ファンなんです。握手してください」

「いいとも」

 ファビュラス将軍は、力強く二人に握手した。「ありがとうございます」二人は立ち去った。その様子を見ていたまた別の者が近づいてきた。「僕もファンなんです」「以前あなたの軍に助けられた事がありました」「私の子供を見つけてくれてありがとうございます」ファビュラス将軍とジャックは前に進めなくなってしまった。ジャックは次々に近づいてくる人々にうんざりしてきた。「はい、すみません一回並んでください」大きな声を張り上げた。

「我が将軍は全員の相手してくれますから、大丈夫です。一回並んでください」

 ジャックは人混みを整理し始めた。ファビュラス将軍は先頭の人から相手し始めた。ジャックが再びファビュラス将軍の横に戻った。「こうでもしないと収集つきませんよね」「確かにその通りだ、ありがとう」

 こうして皆の相手をしている時に、行列を無視して横を通りすぎて城門に入っていく、色白で華奢な女性がいた。この人だかりを全く気にも留めずに歩いていったので、妙にその女性が気になってしまった。しかし声をかけてくれた皆を無視してその女性を追いかけに行く訳にもいかない。目で追いかけるしかなかった。ただ幸いな事に、その女性は門番に止められて、追い返されていた。二人が言い争う様子も見えていた。

「ねぇ、あなた私を知らないの?」

「ああ、知らないな。大体お前を知っていても、顔だけで判断するわけにはいかない。許可書か召喚状が必要だ」

「そんなもん無いわよ。そもそも、そんなものが必要な立場じゃないの」

「だったら尚更、お前みたいな無関係な女を城に入れる訳にはいかないな」

「ちょっとまって、あなた今どうやって私が無関係な女って判断したの」

「そりゃここらで見ない顔だからな」

「あなたこそ顔だけで判断してるじゃない。私の事、もっと偉い人に確認してみたらどうなの」

 その女性は門番を躱して無理やり王宮の中に入っていった。それを見ている間、ファビュラス将軍はずっと同じ人と握手してしまっていた。

「将軍、この人だけ握手長くないですか」

 ジャックに注意された。

「ああ、この人の手の握り心地がよくてね」

 相手は、手のがさがさした、年老いた老婆だった。


 ・・・・・


 ルーナは、昨日立てた予定の通り王宮に来ていた。

「久しいな、ルーナ。しばらく顔を見ていなかったから、母さんと心配していたぞ」

「嘘つかないで。お父様はお母様とそんな話はしないでしょう。それにお母様は私の研究を理解してくれている」

強い口調で話す事によって、父がいつものように話をはぐらかすのを止めさせた。彼女の目的は、父に文句を言うためであったからだ。

「私はお父様にとことん失望しました。そんなの、今やる必要ないじゃないの」

 父は椅子に深く座り、脚を組んで、呆れたようにため息をついた。

「馬鹿な事を言うんじゃない。お前はまだ子供だから難しい話を分かっていないだけだ」

「難しい話って何。お父様が勝手に難しくしてるだけでしょ」

「私は王として国民の生活を守らねばならんのだ」

「守ってる? どこが?」

 彼女は鞄から書類の束を取り出した。父の目の前まで行って、それを見せつけた。「これ何かわかる」「わからないな」彼女は書類をパラパラとめくった。

「影の国との国境の生態についての調査結果よ」

 そこには、そこで見られる魔物とその説明がみっちりと書かれていた。黒い狼は人間を襲わない、二足歩行の牛は人間を襲わない、頭が三つの蛇は人間を襲わない、そのような内容だった。

「確かに危険な魔物もいる。けれど、そんなの数少ないわ。だったら魔物の駆除にあんなに人や物を割く必要もないでしょ」

 父はまたため息をついた。

「だから、あそこに人を配置しないと向こうから侵略されるんだよ」

 彼女は、今度は書物を取り出した。先ほどと同じようにパラパラとページをめくった。

「ここ二百年あの国と争った歴史なんて無いわ。それも駆除隊を配置する以前から」

「いつ相手の気が変わるか分からないだろう」

「だからこそ、割きすぎって言ってるの。人を襲う魔物と、他の生き物を食い荒らす魔物だけを駆除していれば事足りるでしょう。それに他の国にも攻め入ろうとしている」

 彼女はその後も意見を続けたが、父はまともに聞いていなかった。「分からんやつだな」父は立ち上がり、声を荒げた。

「いいか、国というのは他の国から奪い続けなければ生きていけないのだよ」

 それに合わせるようにルーナも声を荒げた。

「そうやって奪ってる間に内側が崩れ始めてるじゃない。お父様がこんな愚かだとは思わなかった。このまま意見を変えないのなら、この研究内容を国民に知らせるわ。そうしたら皆気が付くでしょうね、王はこんな無駄な事に税や物資、人を使っているのかってね」

「そんな行為は許さん」

 ルーナは、嫌な気配を察知していた。研究成果の書類の束や、書物を鞄にしまった。

「私も娘にこんな事はしたくなかったが。捕らえろ」

 父がそう言い終わる前に、彼女は走りだしていた。王の間の前に構えていた守衛は不意を突かれ部屋から逃がしてしまった。


 ・・・・・


 ファビュラス将軍は、やっと皆の相手をし終えたところだった。握手やハグをしすぎたせいで、手や体がなんとなくベタベタしている気がした。

「よくあんなに全員の相手をできますね」

 ジャックは感心していた。

「そりゃ、当たり前だろう。ファンを持つ人間としては当然の振る舞いさ」

 当然というその言葉に、もっと感心した。

今度こそ家に帰ろうとした時、先ほど王宮に入っていった女性が城門から出てきて、王都の人混みを抜けていこうとしていた。次に、何人もの兵士が出てきた。「追え」「捕らえろ、あいつだ」彼らはそんな事を言っていた。それを見てファビュラス将軍は突然、両手を掲げた。

「皆さん、先ほどのお時間で握手し損ねた方はいますか。今日はこの町の皆さんと交流できたら僕は大変うれしいです」

 多くの人たちが彼の方を見て、押し寄せてきた。するとその女性と兵士の間に大きな人だかりが作られた。そのせいで、兵士は女性を見失った。そしてファビュラス将軍自身は、押し寄せる人たちに、適当にハイタッチなんてしながら切り抜けた。その先にさっきの女性の姿が見えたので、追いかけた。ジャックはその場に残された。


 その女性は路地裏に入った。建物の間をするすると抜けて行って、広いスペースが現れた。そこにたどり着くと、彼女は座り込んだ。

「この町にこんな場所があったとはね。秘密基地みたいだ」

 ファビュラス将軍は彼女に声をかけた。

「誰?」

「あれ、僕の事を知らないかな」

「あんたなんてしらない」

 彼女は短剣を構えたままだった。ファビュラス将軍は腰に携えていた剣を床に置いて、手のひらを見せた。「少なくとも、敵ではないと思って欲しい」猛獣の機嫌をうかがうような様子だった。彼はここで初めて、彼女の顔を見た。綺麗な目をしている女性だと思った。

「僕はファビュラス。この国で警備軍をやってる」

「国側の人間なのね」

 彼女は短剣を強く握り直し、切先をファビュラスの胸に向けた。彼は剣を床に置いてしまった事を少し悔いていた。

「追いかける兵士に人だかりをぶつけたのは、僕なんだよ」

「アレあなたの仕業だったのね」

 もう数秒だけ切先を向けた後、短剣を下ろした。「分かってくれたみたいだね」ファビュラスは敵ではないと認識してもらえただけで嬉しかった。

「私はルーナ。研究者よ」

「ありがとう、やっと名前を教えてくれた」

「それは、あなたが驚かせるから」

「そっちが僕を驚かせたじゃないか、こんな綺麗な女性に刃物を向けられるなんて初めての体験だよ」

 彼はそう言いながら地面に座った。君も座ったらどうだ、と促そうとしたのだが、その前に自分の羽織っているローブを畳んでルーナに渡した。「下に敷きなよ。服も汚れるだろうし」彼女はそれを受け取って、その通りにした。

「追手はいないの」

「いない。ここに君がいるのを知ってるのは僕だけだ」

「よかった、じゃあ、ほとぼりが冷めたら私は帰るから」

 ルーナは黙った。ファビュラスと会話を続けるつもりはなかったのだ。彼女は、今日あった事について一人で考えたかったので、あなたは帰らないのか、と言いたかった。しかし助けてくれた人を邪険に扱うのも気が引けていた。

「ほとぼりが冷めるまで僕も付き合うよ」

 彼のこの発言は、彼女の気分にモロに反していた。「君は何の研究をしているの?」「なんだっていいでしょ。説明してもどうせ分からないわ」と、話しかけてきても会話を切り上げようとしていた。しかし彼はそう簡単ではなかった。

「教えてくれよ。どうせしばらくここにいるんだ、退屈凌ぎの会話ぐらい楽しもうよ」

 仕方がないので、彼女は鞄から書類の束を取り出した。そして立ち上がってファビュラスに渡した。彼はパラパラと紙をめくっていった。

「あなたに内容が分かるの?」

「いや、必死になって理解しようとしている。僕は君に興味を持っているんだ、これぐらい当然だよ」

 彼女は彼を鼻で笑った。しばらく読み続けて、「なるほど」と呟いた。

「とりあえず国境の生き物は人間をあんまり襲わないというのは分かった」

 彼は彼女の研究内容をなんとなく理解した。「どうやって検証したのか、どうやって調べたのか、方法はさっぱりだったけど」と付け加えた。そして立ち上がって、書類を返した。

「なんでこんな研究を?」

「境界の生き物を無暗に狩らせている人がいてね。その人に、そんなの間違ってると突きつけるためよ」

 ルーナは一人で考え込むのをやめた、いや正確には諦めた。なので、退屈しのぎの会話に付き合おうと思った。ファビュラスは色々な質問をしてきた。研究について、普段はどこに住んでいるのか、研究以外は何をしているのか。ルーナも時々、ファビュラスに質問

した。警備軍がどんな仕事なのか、何故警備軍になったのか、危険な事に巻き込まれた経験はあるか。彼は自分の物語をふんだんに話した。

 あたりは少し暗くなっていた。二人がそれに気が付くと、ファビュラスは提案した。

「ねぇ、君を追っていた兵士たち、今日は夜中まで街中を探し回っているんじゃないかな。もしよかったら僕の家でやり過ごしてもいいんだよ」

 ルーナにとってありがたい提案だった。兵士から匿ってもらえるし、家に帰るのも時間がかかるし、ちょうど腹がすき始めていたし。彼女に断る理由は無かった。



   3  


 ウィードは、ここ数日仕事に身が入らなかった。駆除数が減ったり、ケガを負ったりはしていないが、いつもの成果を維持するのに苦労していた。ルーナと会って以来、仕事中も時々彼女について考えてしまっていたのだ。しかし周りからすると、いつもと変わらぬ様子にしか見えなかったので、誰もウィードが仕事中に仕事以外について思いを馳せているとは、想像もしなかった。とはいえ当人は自分の身に何が起きているのか理解しているため、自分自身にうんざりしていた。仕事を終えて自室に帰ると、荷物を置いてベッドに突っ伏した。

「なあ、俺は最低な人間なんだろうか。私生活での出来事を引きずって仕事に支障をきたすなんて」

 ウィードは自分の部屋に住まう3体の魔物に問いかけた。ベッドの下からテリーがベッドの下から這って出てきた。「ああ、最低だ」と悪態をつきながらベッドに上ってきてウィードの背中に乗った。

「お前の私生活なんて、周りの人間からすれば知ったこっちゃない。個人的な理由で仕事仲間が迷惑してるんだぜ。たまったもんじゃない」

 テリーの体は埃まみれだった。ベッドの下をしばらく掃除出来ていなかったからだ。

「で、でもホセやリンドはお父さんお母さんが亡くなった時、仕事を休んでいたよ。他にも自分が怪我したり病気したり、い、家を引っ越したりする時も仕事を休んでいた。だったらいいんじゃないかな」

 シードはおどおどしながら喋っていたが、しかしおかしな意見ではなくまっとうな内容だった。ウィードはその通りだと思った。自分の生活でつらい出来事があれば仕事を休むのは普通なのに、何故俺は皆と同じようになれないんだ、と。だが、その理由をモックは知っていた。

「程度が違うだろう、程度が。家族を亡くしたら、そりゃあ心に傷を負うさ。でもお気に入りのコップが割れた程度で仕事を休むのか、そうじゃないだろう。それがどんなにお気に入りでも、立ち直れないほどの傷は負わない。例え本人が負っていても、周りの人間にはそれを理解できない。それだけの話だ。なあウィード、お前は何故仕事に身が入らないんだ。正直に理由を言ってみろ」

 彼はなかなか答えらえれなかった。分からなかったからではない、悩んでいたからでもない、単に認めるのが恥ずかしかったからだ。3体とも、答えを待っていた。

「答えろ」

「こ、答えないの」

「答えるんだ」

もう、言うしかなかった。

「彼女にもう会えないんじゃないかって不安で仕方がない」

 いつもの自分からは想像できないような弱弱しい声だった。

「そもそも俺はこれほど女性に興味を持った事がないんだ。溌剌として、聡明で、何より楽しそうにお喋りする。これほどもう一度会いたいと思わせてくれる人はいない。けれど、彼女は俺に会いたいと思ってくれているのか。あの日の別れ際、あんなふうに言ってくれたけれども、ただの社交辞令かもしれない。俺は彼女の名前も家も知っている。きっと会おうと思えば会いに行ける。けれども理由もなく会いに行ったら、気味悪がられてしまうんじゃないか。だったらもう会えないも同然じゃないか。だからものすごく不安だ」

 3体とも、黙り込んでしまった。ウィードの内に秘めた感情が予想以上に情けないものだったからだ。しかし彼らはそれを笑ったりはしなかった。

「お前は優しい人間だからな。他人には他人の人生があって、それを邪魔しちゃいけないといつも思っている。そして邪魔をしたら、嫌われるとも思っている。分かるぞお前の辛さ。言い訳でもいいから、なにか、会う理由が見つかるといいな」

 モックは、優しくゆったりとウィードを諭した。

「も、もう寝ようよ。明日は王宮に呼び出されているんでしょ。朝早く出かけるんでしょ」

「そうだ、さっさと寝ろ」

 ウィードは考えるのを止めて、シードとテリーの言う通りにした。


 翌朝、メテオ隊長と共に王宮に向かった。大通りは仕事場に向かう人や店を開ける準備をする人たちが行き交っていた。

「こうやってお前と歩くのは、なんだか久しぶりだな」

「そうですね。今や同じ班での行動しなくなってしまいましたし」

 ウィードは、移動しながら人と会話するのが好きだった。というのも移動という目的を果たしている以上無理をして会話する必要はないし、しかし会話できる余裕は存分にある。不思議と、いつも以上にリラックスした気分で他人と一緒に居られるのだ。こういう時、ウィードは自分の悩みを人に打ち明けてしまう、相談するつもりがなくても。

「私生活の出来事を引き摺って仕事に支障をきたすのは、どうなんでしょうかね」

 メテオ隊長は、一瞬だけこちらを見て、すぐに前を向き直した。向かいからやってくる人と肩が当たりそうだったので、少し体を逸らした。

「どうした急に。それは隊の誰かの話か、それともお前自身の話か」

「自分の話です」

 ウィードが間を空けてから答えると、メテオ隊長は、「うーむ」とありきたりな悩み方をした。というのも、ウィードがどれほど真面目な人間であるかを理解していたからだ。仕事が辛いとか嫌とか泣き言を言っている瞬間を見たことがないほどなのだ。だからこそ甘えたことを言うなとか手をぬく言い訳を作るなだとか、厳しい意見は出せなかった。ここでの発言を間違えてしまい、ウィードに何かしらのきっかけを与えてしまい、駆除隊からいなくなってしまうと大損失だ。彼は次の一言を慎重に選んだ。

「普段から果たすべき責任を果たしているなら、構わないんじゃないのか」

 ありきたりで、普遍的で、目新しさもない内容となった。ただ、これで良いのだとメテオ隊長は考えていた。「お前ならいつでも休んでも構わない。しっかり帰ってくるのならな」と続けた。ウィードは「ありがとうございます」と言いかけたところに、馬車が車輪の回る音を立てながら近づいてきたので、一旦話すのを止めた。通り過ぎてから「いつかお言葉に甘えるかもしれません」と話を終わらせた。メテオ隊長としては、急に何故そんな相談をしてきたのか非常に気になっていたのだが、これ以上深入りするのは止しておいた。王宮の入り口で手続きのために門番が近づいてきたので、そもそも会話を続けられなくなった。

 ウィードが前に出て、門番に伝えた。

「王に呼ばれて参りました。簡易召喚状があります」

 これに合わせてメテオ隊長が2枚の紙を取り出した。門番が目を通すと、二人の前から退いた。二人はどのような用事で呼ばれたのか推測しながら、王の間の扉の前までやってきた。メテオ隊長は王と面識はあるものの、そこまで近しい仲ではなかったため、少し緊張していた。扉の前で少し躊躇ってから、「じゃあ、行くか」と中に入っていった。


 王は、二人を呼び出しておきながら、特に待ち侘びた様子ではなかった。扉が開いてこちらを一瞥すると、すぐに手元にある紙か何かを再び見つめ、ため息をついた。王も二人が部屋に入っているのは気がついているが、名乗ることで自らの存在を示した。

「召喚状により参りました、国境警備兼特定生物駆除隊長メテオです」

「第一班副班長ウィードです」

 王は、暫く手元を見たままだった。王室内に沈黙の気まずさが行き渡った頃、そこでやっと口を開いた。「よく来てくれた」そう言いながらも、できれば来てほしくなかったかのようだった。

「王、召喚状には一切の詳細は記載されておりませんでしたが、我々をお呼びになった理由を教えていただけますでしょうか」

 二人は王の様子を感じ取っていたのだが、何故呼ばれたのか問わない訳にはいかなかった。王は仕方が無いと言わんばかりに、ゆっくりと立ち上がった。そして一枚の写真を渡してきた。

「この者を捕らえてほしい」

 写っていたのは、少し前にウィードが知り合ったばかりの女性、ルーナだった。目と肌の澄み具合は写真でも分かる程だった。ウィードはこれを見た直後、どうするべきか、どう振る舞うべきか、考えた。ウィードが今置かれている立場、人間関係、遂行すべき業務、様々な要素を判断した結果、彼は黙り込んだ。いや傍目には黙ったとすら思われなかっただろう。メテオ隊長も写真を見ていて、何も喋らなかったからだ。二人はこれから追う女性の顔を一生懸命憶えようとしている、そういう状況だった。しかしメテオ隊長は違った。憶えるどころか、心に刻み込まれてしまったのだ。

「王、この女を追うためにも、この写真を持っておいてもよろしいでしょうか」

 「ああ構わない」と短く答えた。メテオ隊長は写真をじっと眺めていた。ウィードは不安に思っていた、もしかしたら隊長も森の中で彼女を見かけていたのかもしれない。だとすれば駆除隊を動員し簡単に見つけ出してしまうだろう。しかし当の本人は、そんな事を考えていなかった。なんと美しい女性だろうか、これほど可憐な女性は見たことがない、美しいばかりではない、俺の地位に釣られて寄ってくる浅はかな者たちと違って、明確に強い意志を持った目をしている。きっと聡明で溌剌な女性なのだろう。と、いうことばかりを考えていた。

「この者を捕らえた後、どうするおつもりですか」

「捕らえたならば、牢に入れておくまでよ」

「その牢には、時々私も様子を見に行っても良いでしょうか。我々が行った初めての駆除以外の仕事として記憶に残しておきたいのです」

 「風変わりだが、面白い考えだな。別に良いぞ」王は少し笑いながら答えた。メテオ隊長は少しだけ嫌な笑みを浮かべた。そして「では、仕事に取り掛かります」と王に伝えると、ウィードと共に部屋を出た。

「まずは隊員を集めてこの話をしないとな」

「そう、ですね」

 ウィードはぎこちなく答えた。その日は一旦家に帰り、翌日から彼女の捜索が始まった。


   ・・・・・


 ファビュラスとジャックは、一仕事終えて今日はもう上がろうとしていた。泥棒を二人追いかけ、酔っ払いの喧嘩を止め、迷子を親元に送り届け、とても地味で疲れる事件ばかりだった。

「最近、なんだか地味な事件ばかりですね。この前みたいに、犯罪集団を牢屋にぶち込むなんて戦果も挙げたいものですけども」

 ジャックは足が疲れていたらしく、歩こうにも明らかにいつもより足が上がっていなかった。

「いいんだよ、俺たちは暇な方がいい。平和な証拠だ」

 ファビュラスはそう言いながらきちんと街中に問題が無いか見渡していた。

 「ですけども」ジャックは歩きながら腕を組んだ。二人は話すことも無くなったので、少しばかり、黙ったまま歩いた。詰所に向かう中、朝にはなかった張り紙を見つけた。ファビュラスはそれに気がつき、近づいた。そこにはルーナの顔が写っていた。

「ONLY ALIVE、生捕りのみ。情報求む…これは一体なんだ」

「逃亡犯か何かですかね」

「いやそんな筈はない。彼女が何か犯罪をしたとは思えない」

「知ってるんですか? この人のこと」

 「え、ああ、まあ少しだけ」と言葉を濁した。ジャックはそれ以上尋ねてこなかった。前方にその張り紙を持っている青年がいたので声をかけに行った。ファビュラスはその青年の制服に見覚えがあった。駆除隊のものであった。

「この人、何かしたのかい」

「なんでも、国に対して害をなす研究をしているらしいですよ」

「そんなふうには見えないんだけどな」

「俺もそう思います」

 青年は次の箇所に紙を貼りに行った。「俺もそう思います」その一言が妙に力強く、何故か印象に残ってしまった。突き放すように会話を切られたので、ファビュラスは一瞬だけ立ち尽くしてしまった。すぐに、そうもしていられないと気がつき、すぐにルーナを探し始めた。彼にとっての手がかりはあの日のお喋りだけだったのだが、それを手がかりにするしか無かった。


   ・・・・・


 メテオ隊長は隊を二つに分けていた。いつもの通り国境の魔物の駆除にあたる者たちと、彼女を探す仕事をする者たち。ウィードは後者に割り振られ、メテオ隊長もこちらに取り組んだ。とりあえず今日は手配書を張って回る。ウィードは、出来ればこんな事はやりたく無かった。しかし命令には逆らえない。黙々と仕事を進めるしか無かった。明日からは本格的な捜索が始まる、出来れば明日が来て欲しくない、そんなふうに考えていた。そこに一人の男が話しかけてきた。

「この人、何かしたのかい」

「なんでも、国に対して害をなす研究をしているらしいですよ」

「そんなふうには見えないんだけどな」

「俺もそう思います」


 メテオ隊長は、狂ったように女を探し始めた。飯屋に押し入って許可もなく店の中を歩き回り、クロスで覆われたテーブルがあればわざわざそれをめくり、そのせいで料理をひっくり返したりもした。慌てて店員がやってくると「王の命令だ、この女を探している」そう言い張って彼らの制止を気にも留めなかった。さらに厨房も見せろと奥に押し入り、あちこち漁った。また、街行く人に適当に声をかけ、写真を見せて反応を伺っていた。少しでも怪しいと感じると尋問にかけようとした。ウィードからすると、急な問いかけにただ驚いているだけか、他にほんの少しだけやましい何かを抱えているのだろうと思えた。なので隊長を上手く諫めるのに必死に努めた。そんな日々が続いた。

 誰も国境を捜索しようとは考えていなかったので、彼女を見つける手がかりも何も無かった。全く進展が無かったのだ。なのでウィードは、しばらくは問題はないだろうと考えていた。しかし違った、問題はそこではなく、あることに気づいた。彼女は自分が捜索の対象であると気づいているのだろうか。もし何も知らずに王都にやってきて、捕まってしまうのではないか。であれば彼女に警告しに行かなければならない。幸い翌日は、捜索から外れて休む日であった。

 予定通りウィードは彼女の家に向かった。彼は何も考えていなかった。家にいないのではないかとか、その他諸々の可能性をだ。憶えている道を進んでいった。なのでまずは研究所に向かった。一人鍛錬していた場所から彼女を見かけたおおよその場所を思い出し、逃げた方向を思い出し、順を追って記憶を辿っていった。道のりに自信が持てない瞬間もあったが、周りを見渡してあの日切った草木を見つけ、再び確信を持ったりしていた。遂には彼女の研究所を見つけられた。そこに、後ろから声が聞こえた。

「なるほどここが女の家か」

 そこにはメテオ隊長と何人かの隊員がいた。自分が尾けられていたのだ。

「どうして俺がここを知っていると分かったんですか」

「さっきまで分からなかったが、今分かったよ」

 ウィードは、あからさまに不味いことを言ってしまったという顔をした。

「正直、この命令が下ったあの日からお前の様子がおかしいのは気づいていたんだ。何か知っているのではないか、という疑念がほんの少しあっただけなのだが。しかしここまで重要な情報とは思いもしなかった」

 メテオ隊長はずかずかと近づいてきた。今から研究所の中を、箱をひっくり返すように探すつもりだろう。さっきまでは彼女が中に居ればと期待していたのに、今では彼女が居ない方に期待していた。

「あの、部屋を荒らしてしまうのは得策では無いかと思われます。もし女が中にいなかった場合、誰かが女を探していると気付かれてしまいます。もし居ないのであれば探した痕跡を消し、近くで見張り、帰ってくる時を狙った方が良いのではないでしょうか」

 彼女が中に居た場合、なんの意味もない提案であるが、今はもう居ない方に賭けるしかなかった。一人を外に残し、メテオ隊長と二人の隊員が中に入っていった。扉には鍵そのものがなく、壊す必要もなかった。


   ・・・・・


 ファビュラスは、なんと自力で研究所を見つけ出していた。ルーナが指名手配された日からずっと境界の森を探し回っていたのだ。魔物に何度も襲われ、危険な目に何度も遭った。だが、それでも諦めなかった。おそらくこれが彼女の研究所だ、見つけた時に確信を持った。中に入って彼女に会いに行こうと思っていたのだが、先客がいた。駆除隊のメテオ隊長と、その隊員三人に、あの時張り紙をしていた青年だ。研究所に押し入ろうとしているのだろうが、今いる茂みの影にいては会話の内容を聞き取れなかった。そこに、後ろから声が聞こえた。

「ファビュラス? 貴方なんでここに」

 そこにはルーナがいた。彼女に会えた瞬間喜びが湧いてきたのだが、すぐに冷静になって声の大きさを落とした。

「君、何をやらかしたんだい」

 ファビュラスは王都中に貼られている手配書を見せた。

「これは、なるほど、ここまでやるなんてね。お父様も意地が悪すぎるわ」

「ごめん、説明してくれないかな」

 彼女はため息をついて、心の落ち着きを取り戻してから話し始めた。自分の父親は何者なのか、父親が自分に対してどう思われているのか。「なんてこった、娘が疎ましい父親なんて最低だ」ファビュラスは彼女の心に寄り添った。「ありがとう」ルーナは安心したような顔を見せた。

「ああ、それで今の状況なんだけど」

 ファビュラスは思い出したように彼女の研究所の方に目線を向けた。「彼ら、どうやら君の家まで行き着いてしまったようだね」「ああ、あれは家じゃなくで研究所なの」彼女はすぐに訂正した。自分の研究所のほうに目を凝らしていると、見覚えのある顔があった。

「ウィード、なんでここに! まさかここまであの人たちを招いたってことなの」

 「いやそれはないよ」彼女の考えを遮るように言った。

「あの青年は君のことを信じている。君が追いかけ回される筋合いはない、って」

 ファビュラスは彼の「俺もそう思います」の一言を思い出していた。「きっと、僕と同じだよ。君に警告しに来ていたんだ」

 二人は、研究所に入っていって中を物色されているのを見ているしかなかった。たとえ家の中を荒らされようと、壊されようと、燃やされようと。しかし意外にもどれも起こらず、全員が出てきた。あそこにはルーナにとって大切なものがたくさんあった。それらを自分の家に移動させておきたかったので、立ち去るのを待っていた。じっと様子を伺っていたのだが、なかなか彼らは移動しようとしなかった。メテオ隊長が何か指示している様に見えた。すると一人がこちらに近づいてきた。ここに潜んでいたのが悟られたのかもしれない。今ここで逃げ出すか、いやそんなことをすれば余計に気付かれる。ならば道は一つだった。

「どうも」

 ファビュラスは茂みから出て行った。

「もしかしてみなさんも、この人探してるんですか」

 ファビュラスは手配書を広げた。

「命を受けたのは駆除隊だ。警備軍には関係ないだろう」

 駆除隊員達は威圧的な物言いをした。

「いやぁ、直接捕まえるのは駆除隊の役目かもしれません。しかし情報収集は誰がやってもいいのでは?」

 彼らは言い返せなかった。しかし彼らはどうやらろくでもない奴らだったらしく、悪態をついてきた。「前から腹立たしかったんだ、お前のことは。大して危険な目にも遭わず、賞賛ばかり浴びやがって」三人は剣を抜いた。「ここなら別に、魔物にやられたって思われるだけかもな」もはや、八つ当たりに近い攻撃だった。ファビュラスは剣を抜かずに迫る刃を、ただ躱した。ウィードはその様子を見て、最早ファビュラスという男にこの三人が傷一つつけるのは不可能であると悟った。しかし彼らは気にも止めず剣を振り回していた。

「どうした、反撃する勇気もないか」

 一人がそんなことを言った。仕方がないのでファビュラスは腰に携えた剣を抜いてそいつの剣を受け止めると、そのまま力を込めて突き飛ばした。残りの二人も切り掛かってきたので先ほどと同じく、いとも簡単に躱したのちに腕を浅く切った。

「その程度の傷なら、きちんと治療を受ければ簡単に治る。だが今無理をすると二度と剣を振れなくなるぞ」

 その言葉に二人は引き下がった。突き飛ばされた一人も、攻撃してこなかった。

「あまりウチの若いのを、虐めないでもらえるかな」

 戦いに加わっていなかったメテオ隊長が口を挟んだ。「そっちが先に虐めてきたんだろう」ファビュラスは反論した。メテオ隊長も剣を抜いたが、構えはしなかった。しかし空気は明らかに張り詰めていた。

「私は君をよく知っているよ。王のお気に入りの様だしね」

「僕は王を気に入っていないがね」

「なるほど傲慢な男だ」

 「どこがだ。僕はそんな人間じゃない」ファビュラスの声に少しだけ怒気が込もった。

「いやいや傲慢だよ。その容姿や実力、性格にかまけて様々な問題に直面した経験を持たない。理不尽な挫折も味わっていないだろう」

 「僕だって失敗の一つや二つあるさ」ファビュラスは切先をメテオ隊長に向けた。

「それは挫折じゃない、ただの失敗だ。君は、あの女を助けたいのだろう、それぐらい察しがつく。だが君は助けられない、それでもそこに挫折はないだろうな」

「ぬかせ!」

 ファビュラスは一直線に駆けて、腰の下から腹を切ろうとした。しかしメテオ隊長は足の裏で剣を受け止めた。押し返すのではなく、膝を緩衝材のように使って受け止めた衝撃を和らげた。そのまま後ろに飛んで距離をとると、そこでやっと剣を構えた。ファビュラスは直情的に剣を突き立てようとした。メテオ隊長は体を回すように避けると、その勢いのまま耳の横から水平に剣を通そうとした。ファビュラスは屈んで、それを回避したのだが、今度は彼の胸元に爪先が向かってきた。その一撃は反応できず、まともに受けてしまった。鈍い音がなった。ファビュラスはむせ返えっていた。メテオ隊長は、相手が目を切ったその隙を見逃さず、首の上から剣を突き立てようとしたのだが、直前でこれに気付かれ、後ろに逃げられた。もう一度ファビュラスは直線的に向かって行った。ウィードには、彼がなぜそんな簡単な攻撃を繰り返すのか疑問だったが、もっと別の仕掛けを用意していた。腰の鞘を左手で投げてメテオ隊長の隙を作り、剣で一太刀入れようとしたのだ。しかしメテオ隊長はそれを気にも止めなかった。回転しながら飛んできた鞘を掌で受け止め、それを使ってファビュラスの剣による追撃を止めた。メテオ隊長は剣を上げて、左肩から腰にかけて切りつけた。決定的な一撃だった。ファビュラスは倒れた。それを見ていたルーナは声をあげそうになったが、必死で堪えた。

「君は今、敗北した。しかしそれでも挫折には至らないだろうな。私は君のような男が嫌いだ。だから、ここで始末しよう」

 メテオ隊長はファビュラスを見下ろし、剣を逆さに構え、胸に剣を突き立てようとした。「君のような男がいなくなるのが残念に思う者はたくさんいるだろうな」そう言いながら、ほくそ笑んだ。

「お待ちください、隊長」

 ウィードは、殺す必要は無く最早非道であると思っていた。その心の内の小さな反逆を悟られないよう、あえて声を張った。

「この者は、国内の犯罪を取り締まる重要な役割を持っています。惜しい人材である以上に、失うと治安において大きな打撃を受けてしまうでしょう。それに国王はこの者を気に入っていると聞いたことがあります。隊長が殺したとなると、貴方は国王からの評価を著しく落としてしまいます。であれば」

 言葉に詰まってしまった。自分がこれから、完全な反対意見を述べるのであるから、躊躇いがあったのだ。「であれば?」催促する様な言い方だった。

「であれば、殺さないでおくべきかと」

「この者が、私に襲われたと言いふらしたらどうする」

「その時は誤解があったと答えるまでです。こちらは証言出来る人間が四人もいます、充分でしょう。それに、彼が狂ったように言いふらすならば、きっと彼自身が評判を落とし、その信頼を失います。他人を貶める噂を流す者は自分自身も一緒に堕ちるのが常ですので」

 「その通りだな」少し沈黙があってからそう呟いた。メテオ隊長は、ファビュラスの胸元から剣を引いた。「お前たち」連れていた3人を立ち上がらせた。

「自分の家にも居ないならば、やはり王都に滞在しているのかもしれんな。ここには二人見張を配置する。それからウィード、お前はこの捜索から外れろ。重要な情報を報告しなかったのは、本来ならばクビにしてもおかしくない背反行為だ。しかしお前は有能だ、手放すには惜しい。お前はいつもの仕事に戻れ」

「申し訳ございません」

 メテオ隊長達は、去っていった。


 「ありがとう、助かったよ」ファビュラスは寝転んだまま発した。

「喋って大丈夫なのか」

「致命傷ではないんだ、きちんと手当すれば問題ない」

 しばらくして、ルーナが茂みから出てきた。

「ファビュラス、大丈夫なの」

「ああ、大丈夫だ。それよりも」

 彼が何か言いかけたのだが、ルーナは彼の手を握った。

「貴方がやられた時、どうしようと思ったの。私のせいで誰かが亡くなってしまうなんて耐えられないから。だから、よかった」

「心配かけたな」

 ファビュラスは続きを話すのはやめにした。彼が一命を取り留めたのはよかったのだが、ここに居続ける訳にはいかない。メテオ隊長が指示した見張りがいつやって来るか若ならない。ウィードはここを離れるように提案した。

「でも、どこに行けば」

「僕の家は王都の中だ。迂闊に彼女を入れる訳にはいかない」

「私の家は当然危険だし」

 二人はウィードのほうを見た。「それが一番か」彼は状況を察した。

「確かに、俺の家は王都の外だからな」

 ウィードはファビュラスを、お姫様抱っこした。

「すごいな、装備もあるし僕をこんなに軽々持ち上げるとは」

「重いとは思っているよ。ルーナ、ファビュラスの剣を持ってくれないか」

 彼女が拾うのを待ってから、自分の家に歩き出した。

「なんで僕を助けてくれたんだ」

「理由なんてない。ただ、お前が殺される必要は無いと思っただけだ」

「だからって、匿ってくれるなんて。僕たちとしてはありがたいけども」

「それは単に彼女が…彼女も困っていた。そういう人を助けてあげたい、純粋な善意だ」

「君は、素晴らしい男だな」

 ファビュラスはそれ以上ウィードに話しかけなかった。

 家に着くとルーナに、ベッドの上に布を広げてもらった。ウィードはそこにファビュラスを寝かせ、上着を脱がせた。胸の傷から血は出ていたが、骨が見えるほどの深さではなかった。この程度であれば自分でも処置できる、そう判断した。綺麗な水を用意して、傷口を入念に洗い流した。少し水分を拭き取ると、今度は酒を傷にかけた。傷口に染みたらしく、ファビュラスは苦悶の声をあげた。

「さて、ここからが問題だぞ」

 ファビュラスは何かを察したらしかった。「いいぜ、やってくれ」「わかった」ウィードは針を熱した。そして針と縫合糸を用いて、傷口を縫っていった。今度は声をあげなかった。息を詰まらせて、脂汗をかくばかりであった。

「ねえ、こんなに痛そうにしてるんだよ、他に方法はないの」

 ルーナは、直接そうは言わなかったが、治療を止めさせようとしていた。

「いいんだ、この方法しかない」

 詰まった息を絞り出す様な声だった。ウィードは綺麗に、均一に、縫合していった。最後まで終えると、糸を結んだ。

「これで大丈夫だ。悪いな、麻酔の用意がなくて」

「いやいいんだ。すぐに綺麗に閉じてしまった方がいいに決まってる」

 ファビュラスは感心していた、この怪我を対処する技術とその冷静な判断力に。

「どこでこんな技術を習ったんだ」

「俺の隊は治療をすぐに受けられない事が大半だからな。だから、訓練の時にここまでの応急処置を習うんだよ」

「だが習った程度で身に付く手つきではなかったぞ」

「同じ隊の仲間の手当をした事もあるし、自分の脇腹を自分で縫った事もある。部屋の中でこれだけ準備があるんだ、だったらこれくらいはやってのけるさ」

「…部屋も、少し汚してしまった」

「構わねえよ」

「ありがとう」

 ファビュラスはそのまま寝てしまった。ルーナはソファで横になり、彼女も寝た。ウィードは二人に、冬用のローブをかけてそれを布団の代わりにした。彼は、床に座り込んで二人を見守った。何も起こらないに決まっているので、しばらくしたら意識を失った。

 翌朝目が覚めると、三人とも腹が減っていた。最後に目を覚ましたのは、ルーナだった。家には、3人分の食事がなかったので王都まで買い出しに行っていた。そこでウィードは今朝話した内容を思い返していた。


「これからどうしよう」

 追われているのは、彼ら二人ではなく、彼女だけだ。この場において本当の意味で悩んでいたのは、彼女だけかもしれない。それでもファビュラスは声をかけるしかなかった。

「大丈夫、なんとかなるよ」

「何が大丈夫なの。私、自分の生まれた街に入れなくなっちゃったのよ」

「そうだけど、これからもずっとそうとは限らないだろ」

「友達にも、お母様にも会えなくなっちゃった」

「それは確かに、辛いな」

 沈黙が続いた後に、ウィードが質問した。「君は、一体何をしたんだ。そもそも何故指名手配されているんだ」「そうね、話さないとね」ルーナは自分の事について説明してくれた。二人はそこでやっと、ルーナが王の一人娘である事を知った。そして王が他国を攻め入ろうとしている事、国境の駆除隊は活動しすぎである事、王とルーナはお互い嫌っている事。

「お父様は、個人的に私を苦しめるためにやっているんだと思う」

「じゃあ、王が態度を改めるしかないのか」

「あんな頑固で愚かな父が、自分の過ちに気が付くはずないわ。だったら、実行役のあの人を止めて。あなた、あの人の部下なんでしょ」

 ルーナは、ウィードをじっと見つめた。彼は、自分がどうすれば良いかとても迷っていた。それを察したファビュラスは、助け船となる様な事を言ってくれた。

「それは酷な話だよ、あの人の部下だからこそ意見を言うのは難しい。そういうものさ」

 「いつお母様にも危害が及ぶか」ルーナは、少し涙を浮かべているようにも見えた。


 結局結論が出ないまま、ウィードは外に出た。議論から逃げるつもりはなかったが、一旦現状から目を背けたくなったのだ。彼はその自分の心の機微を理解していた。

 王都では、人が全く出歩いていなかった。ルーナの手配書が一定の間隔で貼られていたが、見る人がいないので無意味なものに成り下がっていた。家が立ち並ぶ通りは、何軒か荒らされているところがあった。扉が壊され、窓が割られ、中を覗いてみると、家具は壊され、モノが散らかっていた。その家の住人が、片付けをしていた。一瞬だけ目が合ったので顔を逸らした。他にも、火をつけられたであろう家もあった。店が並ぶところまで出た。そこでやっと、街を歩く人を見かけられるようになった。皆、声をかけられないように伏目がちに歩いている。昨日の出来事でルーナが王都にいると間違った確信をしてしまい、メテオ隊長がこれまでより無茶な捜索をするようになったのだ。

 開いている店は、半分もなかった。少し歩き回って、卵とパンと果物を買った。それと、薬と包帯も増やしておくために再び街を歩こうとした時、広場の方から声が聞こえた。そこに行くと、人がたくさん集まっていた。皆家にこもっていたのではなく、ここにいたのだ。どうやら無理矢理集められたらしく、乗り気な者が誰一人いなかった。広場の中央の台にはメテオ隊長と王が立っていた。

「これは、何が始まるんですか」

 ウィードは近くの人に話しかけた。

「分かりません。ただ重要な話がある、としか」

 「静粛に!」メテオ隊長が声を張り上げた。人々はそれに従い、そして中央に注目した。

「残念な事に、今手配中のこの女ルーナと、我が国の王妃ナナは共謀していると分かった。二人して国家の転覆を図っていたのだ。こうなると、ますます急いでルーナを捕える必要がある。どんな些細な情報でも良い、我々に話してくれたまへ。また、ルーナよ。もしこの話を聞いているならば、これだけは言っておこう。王妃ナナの扱いは、君の出方次第であるぞ」

 ウィードから見ても、メテオ隊長の様子は明らかにおかしかった。本来ならもっと理詰めで考え、ルーナが何をやらかしたのかを調べてから行動に移しているはずだ。こんな訳のわからない仕事に躍起になる人ではない。ウィードは急いで自分の家に戻った。そして広場で見聞きした内容を二人に話した。

「ルーナ、王妃が人質に取られている」



   4  


「どうやら、僕がやるしかないらしいな」

 ファビュラスがベッドから立ち上がった。「どこ行くの?」「そりゃあ、王とメテオ隊長を止めに行くんだよ」部屋に置いてあった装備を身につけた。「その傷じゃ無理よ」ルーナは彼を止めようとしたのだが、彼の考えは変わらなかった。

「僕がやられたら、また治療を頼むよ」

 ファビュラスはウィードにそう言ったのだが、ウィードは何も答えなかった。そして剣を持って出ていった。ウィードとルーナは部屋で二人きりになった。しかし話す事は何もなかった。程なくして、彼女も彼を追いかけて出ていった。ウィードは、取り残された。これから自分はどうするべきかを考え始めた時、ベッドの下からテリーが出てきた。

「おい、これからどうするんだ」

 怒ったような口調だった。

「どうするって、なんだよ」

 「そんなの、自分でも分かってるだろ」テリーは苛立ちを隠せないでいた。

「か、彼女を助けにいくのか、だよ」

 シードがおそるおそる口を挟んだ。その後言葉を続ける訳でもなく、それだけ言って口を噤んだ。

「彼女は君に助けを求めているんだぞ」

 モックは低く強い声で言った。「でも彼女は本当は、あのファビュラスという男に助けてもらいたいんじゃないのか」「それは、君がそう思っているだけだろう」ウィードを抑え込むような声色だった。ルーナはきっと、本当に、ファビュラスに助けてもらいたいと思っている。これは嘘じゃない。だったら自分は出しゃばるべきではない。そう思っていた。「だいたい、なんで俺が助けに行かないといけないんだ」ウィードは精一杯自分に嘘をついた。

「自分がそうしたいからだろう」

「そ、そう思ったのならそうするべきだよ」

「またそうやって他人を優先するのか」

「他人を優先してる? どこが?」

「いつも自分を殺してきただろう」

「そ、そこがいいところなんだけど」

「自分の望みをいつも忘れている」

「俺の望みは、みんなの役に立つ事それだけだ」

「間違っちゃいないな」

「で、でも間違いじゃないっていうだけだよ」

「君は一つ忘れている。君の望みが、いつもみんなに迷惑をかける訳じゃない。君だって君の望みのために行動していいんだ」

 ウィードは昔から、自分に厳しかった。生きるために常に現実を受け入れてきた。だからこそ強い人間になれた。けれども、その生き方はとても辛かった。求められる期待に自分を高めるための努力はとても大変だった。そしていつしか彼は、忘れてしまった。

「たまには自分のために、都合の悪い予想から目を背けていいんじゃないか」

 モックがそう言ってくれた時、ウィードの中で抱え込んでいた何かが無くなった。「その通りだな」防具を身につけ、剣を持ち、扉を開けて家から出た。


 王都の広場の中心に構えた壇上で、メテオ隊長は国民を一人一人問い詰めていた。壇に上げ、詰問し、知ろうが知るまい難癖を付けて暴虐な仕打ちを与えた。骨が折れた者や、歯が抜けた者、意識を失った者、死んでしまった者もいた。国民は反旗を起こしたかったが、武装した駆除隊が何人も構えていたので、ただ怯えて自分の番が回って来ないよう祈るだけであった。

「メテオよ、馬鹿な真似はいい加減やめろ」

 ファビュラスは声を張り上げた。皆がその声の元に視線を向けると、そこは壇上のメテオ隊長の背後であった。その壇は王を座らせるために無駄に豪華にしており、その装飾に隠れられたので気配を気付かれないまま近づける道のりはいくらでもあったのだ。

「よくここまで来れたものだな」

「貴方が隙だらけだったから、簡単に近づけましたよ」

「そうではない、あれほどの力の差を見せたのに、という意味だ」

「分かっています、わざと外しました」

「あのまま逃げていれば生きながらえたものを」

 ファビュラスは国民の方を見た。

「皆も薄々気づいていると思うが、この国境警備兼特定生物駆除隊長メテオは、自分の手にした権力にかこつけて、愚かにも皆を苦しめているだけだ。そしてこのような愚か者に権力を与えた王はもっと愚かだ。我が軍よ、今こそ真の意味で国を守る時だ。剣を構えろ!」

 広場に来ていたジャックは、何もできない無力な自分を恥じていた。しかしファビュラスのその言葉によって目を醒ました。自分は国を守る仕事をしている。今、国は暴力によって平和を乱されている。最初にジャックが立ち上がった。「剣を構えろ!」そして駆除隊の者に掛かっていった。すると、それに合わせて他の警備軍も蜂起した。広場全体で、乱戦が始まった。剣と剣がぶつかる鋭い金属音が広場で鳴り始めた。剣を携えていなかった警備軍の者は、転がっている長物を使って応戦した。素手で戦う者もいた。

「さて、僕も仕事に取り掛からないと」

 壇上のファビュラスは、剣を抜いた。

「お遊びには付き合ってられんな」

 同じく、メテオも剣を抜いた。そして無造作に近付いて、ファビュラスに刃を振り下ろした。なんの工夫もない剣筋だったが恐ろしい速さだった。体を回してこれを躱すと、その勢いのままメテオの腹に突き刺そうとした。射程距離をすでに見極めていたメテオは、少し後ろに飛んでちょうど届かない位置まで離れた。王は二人の戦いを眺めているだけだった。そこからは二人の剣が何度も何度も激しくぶつかり合った。ファビュラスの攻撃の手の方が速いため、メテオは常に剣を受け止める形になっていた。傷も痛むが、このまま押し切ろうと考えていた。しかし程なくして彼はそれが難しい事だと気がついた。メテオは、全く後ろに下がっていなかったのだ。それどころか左右にも動いていない。つまりそれは、ファビュラスの剣を、腕の動きだけで去なしているのだ。この戦いにおいてどちらに余裕があるのか、それは明らかだった。ファビュラスは、メテオは直感的に、このままでは負ける理解した。ならばこそ、油断してくれている今のうちに決定的な一撃を与える。それしか策はない。そう考えてから四度ほど剣がぶつかった後、最も力を込められる頭上の位置に剣を構え、両腕で力一杯振り下ろした。メテオはこれを受け止めようとした。その動作が見えたファビュラスは、そのまま叩き折るつもりで力と気持ちを込めた。剣と剣が触れた瞬間、メテオはそれを斜めにして受け流した。ファビュラスは壇の床に傷をつけただけになり、完全に体の動きが停止した。すぐに次の動作に入れない体勢だった。メテオは再び、無造作に剣を振り下ろした。ファビュラスは必死になって後ろに飛んだ。刃が唇と顎先を掠めた。彼はすでにメテオを討つ想像ができなかった。それでも諦める訳にはいかず、立ち向かおうとした。しかし、昨日の傷が痛んで踏ん張りが効かなかった。その隙は二人の実力差において決定機となるには充分だった。メテオは一歩前に踏み出して、今度は脳天から叩き切る軌道となるように振り上げた。ファビュラスは自分の敗北を受け入れ、その呆気なさに少し笑ってしまった。

「やめて!」

 メテオは背後からの声により動きを止めた。壇上に、ルーナが立っていた。メテオは初めてルーナを見た。

「やっと君に会えたね」


 ファビュラスにとどめを刺すのを後回しにして、彼女に歩み寄って行った。彼女は短剣を構えていたのだが、意にも介さず近付いてきた。戦う勇気もなかった彼女は短剣を落としてしまった。

「大人しく捕まるから、もうやめて」

 声が、涙で震えていた。

「何を泣いているんだ、別に君をいたぶろうって訳じゃないんだよ」

 メテオは、ペットを撫でるように顎下に触れた。「写真で見た通りだ。体は華奢で肌は色白で目は澄んでとても綺麗だ」舐め回すように彼女の全身を眺めた。

「君をずっと探していたんだよ。聞くところによると、君は危険な研究をしていたんだって。それは君なりの事情があったんだろう、私には分かるよ」

 メテオは彼女の両方を掴んだ。

「でももう大丈夫。私が君を守る。そんな研究をしなくて良い生活を送らせてあげるよ」

 広場では、乱戦が終わろうとしていた。武器を持たない人間との戦いが多かった警備軍と、得体の知れない魔物と常に戦い続けていた駆除隊の実力差に開きがあったのは当然であった。一人、また一人と戦いに敗れていくにつれて、少しづつ剣の音も無くなって行った。

「これで全て終わりだ、君を見つけるのはとても大変だったんだから。でも最初からこうすればよかったんだよね。君は王妃をとても大事に思っていると聞いていたからさ」

 ファビュラスは、メテオが背中を向けている間に立ち上がった。しかし彼は、ルーナと目が合い、彼女が小さく首を横に振っているのが分かった。

「さあ、君は私が用意した牢屋で暮らすことになるけど、君には私がいるからね。何も心配いらないよ」

 メテオは、広場で行われている戦いを放ったらかしにしたまま、ルーナをつれて立ち去ろうとした。その瞬間、メテオの首元に剣が現れた。誰かが背後から突きつけたのだ。ゆっくり振り返ると、今度はウィードがいた。

「隊長、もうやめましょう」

「貴様誰に楯突こうとしているか、分かっているのか」

「分かっています。でも、例え隊長であっても、間違っている事には間違っていると言いたいんです」

「間違い、何がだ。彼女は国を危険に晒そうとしたのだぞ」

「本当にそうですか。隊長の目でそれを確かめたのですか」

「王の言葉を疑う訳にはいかないからな。貴様は、王の言葉を信じないというのか」

「そうではありません、俺はただ…」

「俺はただ、何だ。言ってみろ。…そうか分かったぞ、この女だな。お前はこの女を」

 ウィードはメテオが喋り終わる前に構え直し、ルーナに当たらない軌道で剣を振った。メテオは最小限の動きで軌道から体を外した。攻撃に気を取られた隙に、ウィードは彼女の腕を掴んでメテオから引き離した。「離れて」小声でそう伝えた。

「まさか、お前が私に楯突く日が来るとはな。愚かに盲信していたお前が。本当に私が切れるのか。私を殺すのはお前の存在意義を失うも同義だぞ」

 「うるさい!」ウィードの声には、怒気が混じっていた。

「俺だってこんな事はしたくない。隊長と戦いたくないに決まってる。けど、俺自身がそうした方が良いと決めたんだから、そうするだけなんだ」

 広場には、駆除隊でありながらこの戦いの疑問を抱いている者もいた。ホセもリンドもブレオも、そう思っていた。ウィードの言葉を聞いた時、彼らは自分たちの今の行いが間違いであると気がついた。元々、駆除隊はメテオ派とウィード派に分かれていた。これは派閥どうしで争っているとかそういう話ではなく、単にどちらを慕っているかというだけだ。ウィードを慕う者たちは、彼の先の言葉を聞いて、一斉に寝返り、そして彼らは警備軍に加勢した。

「また騒ぎが大きくなったな」

 メテオの興味は、もはやルーナにしか向いていなかった。この広場での争いの行末など気にもしていない。「彼女を返してもらおう」メテオがウィードにそう告げると、二人の戦いが始まった。ファビュラスと戦った時とは比べ物にならないほどの剣の動きの速さ、鋭さだった。剣のぶつかる音、風を切る音が全く違う。

「お前は自分の心を押し殺して皆に役立とうとする男であった」

「その通りだ、俺はそういう生き方の方がよっぽど合っている」

「しかし心で考えている事は分かりやすい」

「だからどうした」

「分かっているぞ、お前はあの女を」

 またそれを言葉にしようとした時、ウィードの剣は激しさを増した。メテオがその力強い一撃を受け止めると、息が止まるほどであった。

「そんなに嫌か、自分の心の内をバラされるのは」

「別に嫌じゃないです。そうではなくて、その感情一部だけで俺の全てを理解した気になっているのに腹が立つだけです」

「それは悪かったな。ただ、彼女はこれから私と暮らすのだ。彼女にとってそれが一番良い。彼女もそれを望んでいる」

 メテオがウィードの腹を突きにかかると、体を捻って直撃は避けたのだが脇腹をほんの少し掠めた。その痛みを気にも止めず最小の動きでメテオの腕を切り落とそうとしたが、肩に僅かな傷を負わせるだけだった。

「それは貴方が決める事ではない」

「残念だが、物語はお前が望む通りには進まないぞ。私を殺しでもしない限りは!」

 メテオの痛烈な一撃を受け止めた時、ウィードの剣が折れ、さらに体勢を崩された。決定機と見るやいなや、追撃を加えてきた。メテオはウィードの胸に剣を突き立てようとした。それを左腕で受け止め、上腕を貫通するも胸の前で止まった。ウィードは右足を踏み込んで、折れた切先をメテオの隊長に突き刺した。決着には充分な一撃だった。メテオは剣を放し、膝から崩れ落ちた。

「そりゃあ、俺の望み通りの物語になってほしいです。でも彼女には彼女の望みがある。結末は誰にも分からない。だから俺たちが勝手に決めちゃいけない…と思います」

 ウィードの左腕には、剣が刺さったままだった。

「ルーナ、君のお願いの通り、止めてみせたよ」

 彼が振り返った先には、彼女はいなかった。ルーナはファビュラスの方へ駆け寄っていたのだ。ファビュラスの腹からは血が滲んでいた。傷が、完全に開いてしまったのだ。

「僕なら大丈夫だ」

 ファビュラスの意識ははっきりしていた。

「生きていてよかった」

 ルーナはファビュラスにキスをした。


 争いは、ウィードとメテオの決着を堺にどこか真剣味を失っていた。皆何のために戦っているのか分からなくなったのだ。そこに、ルーナに肩を支えられて立っているファビュラスが声を張って広場の皆に告げた。

「争いをやめろ!」

 誰からともなく、剣を振るうのを止めた。

「この争いは、終わりだ!」

 広場の皆が、壇上のファビュラスを見た。

「この戦いは、誤りしか存在しない! 彼女は国に害を及ぼす研究などしていない。このような混乱を起こした、駆除隊のメテオ、そして王こそが国の害でしかない。これよりこの国は…」

 ファビュラスは王妃とルーナに目と合わせた。

「この王妃と王女によって治める。賛同してくれる者はいるか!」

 広場に、歓声が上がった。



   5  


 あれから半年が経った。境界での仕事については見直され、害獣と認定できる魔物を駆除するのみになったのだ。明らかに活動の量も規模も頻度も減った。元々世間から認知されていない地味な仕事なうえ、かてて加えて給料も減ったので「割に合わない」と辞める者もたくさんいた。しかしそれでよかった。ウィードもそれほど大人数の面倒は同時に見られない。その仕事ぶりは、今までとあまり変わらなかった。今日も淡々と仕事をこなし、酒屋でブレオと飯を食べていた。

「そういえば、あの最近王室に戻ったルーナ王女とファビュラス将軍、結婚するらしいですね」

「ああ知ってるよ」

「ウィードさんは結婚式には行かないんですか? 二人ともお知り合いですよね」

「いいんだ、俺がこの仕事を離れたら皆困るだろう。俺は俺のやるべき事をやるだけさ」

「さすが、仕事熱心ですねウィード隊長。隊長は結婚したいと思わないんですか」

「思ってるよ。でも、俺みたいな男に相手は見つからないよ」

「そんな事ないですよウィードさん。僕から見れば充分素晴らしい男ですよ」

 赤い癖毛の店員が酒を運んできた。ブレオは彼女に尋ねた。

「この人、どう思います?」

 彼女は答えた。

「そうね、私はいい男だと思うよ」

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ウィード(全編) 山木 拓 @wm6113

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