特に意味はない小説の戦闘シーン

佐藤真登

意味などない

 都市の外門が陥落し、どうっと敵兵がなだれ込んでいた。

 勝利を確信した敵方の鬨の声、負けを悟った味方の悲鳴が混在して響き渡る。門内に築いていた防衛線はあっという間に崩れて、大通りに異国の敵兵が流れてきた。

 ここまで来れば市街戦で多少の抵抗しようとも、あと少しで行政中枢部が制圧されておしまいだ。

 負け戦の決定的な瞬間を、一人の男が高所から見下ろしていた。

 襤褸同然の着流しをまとい、刀を抱えた風体の男である。明らかに兵士という恰好ではなく、刀を持っている分だけ、なんとか浮浪者ではなく食いつめた浪人だと言い張れる程度の身なりだ。

 男は陣取った物見台の上から敵兵の動きを分析する。

 市街戦にあって、強奪や殺戮に酔いしれている兵は見当たらない。数人で纏まって街路を動き、的確に要所を制圧しながら市政の中枢部を狙って動いている。統制のとれた行動の一つをとっても、練度が高さが見て取れた。

 精強な集団の前に、分断された個の強さなど、いかほどの意味もない。

 敵兵の強さを見て、刀を抱えたはぐれ者である男の胸中に疑念が浮かんだ。

 剣技は、なんのためにあるのか。

 男は、かつて己が少年だった頃に、町一番の道場主である父に問いかけたことがあった。

 間合いに槍で負け、弓矢には一方的に射かけられ、最近では鉄砲などという兵器まで生まれた時代にあって、刀を振り回して鍛える意味などあるのか、と。

 そもそも合戦において、剣が主武器だった時代など、果たしてあったのかどうかすら怪しい。護身具としての価値までは疑わないが、この世の男どもはあまりにも剣に夢を見すぎている。

 どんなすぐれた剣士でも、流れ矢一本で死んでしまうのが戦場だ。戦うために剣を鍛える意味があるのか。生き残るためならばもっと違う鍛錬があるのではないか。すぐれた剣士一人を育てるよりも、十人の雑兵に槍を仕込んだほうがよほど強いではないか。

 つらい鍛錬をさぼりたいが一心でさかしげに主張する彼に、すぐれた剣士だった父は応えた。


 ――どれほど他の兵種に劣ろうとも、剣とは戦場の華だ。


 納得がいかなかった。

 弱い武器が、どうして華となるのかと不服そうな顔をした彼に、父は珍しく強面を緩めて苦笑した。


 ――いつか、お前にもわかる。


 父の言葉の意味は、幼少時代の彼にはわからなかった。

 大人と呼ばれる年齢に至ったいまも、まだ。

 男には、剣の意味などわかっていない。

 それでも結局、男の手元に残ったのは、一本の刀しかなかった。

 とりとめのない回想の間にも、眼下の戦場は動き続けている。すでに敗戦は決定的だ。街を守る兵卒は散り散りになり、家を離れられなかった市民は地に伏して慈悲を願っている。

 この都市に流れてきただけのはぐれ者である男に変えられるものなど、なにもない。

 それでも。

 無言のまま、物見台から飛び降りる。

 音もなく着地し、地面を転がって落下の衝撃を逃がす。体を回転させた勢いのまま立ち上がって駆け出し、人気のない路地裏から大通りに出ると、すぐさま敵兵に察知された。

 反応が早い。不意打ちの芽が消えながらも、男は構わず直進する。

 いち早く男の接近に気がついたのは、目端の利く弓兵の一人だった。

 武装の刀と迷いなく駆け寄る姿から、男を敵と見て警告もなく矢が射かける。弩と呼ばれる敵国の弓矢は、非常に早く飛ぶ。その上、腕のいい弓使いだった。素晴らしいことに、風を切る矢は初手で男の頭をめがけてまっすぐ飛んできた。

 男がわずかに首を傾ける。鉄製の矢じりが数本の髪を巻き込み、風切りを音が右耳のすぐそばを通過する。

 かんっ、と乾いた音が鳴った。

 放った矢が、男を素通りして民家の壁を射抜いた。外れたのではなく、外されたと悟った敵兵の顔色が変わる。放たれた矢を見て避けられる腕利きが出てきたと判断を下した彼は、周囲の仲間に呼びかけて迎撃の用意を整えた。

 数人の兵から放たれた矢が、弾幕となって怒涛に降り注ぐ。数の揃った飛び道具の攻撃は、点ではなく面制圧になる。常人では回避も防御も不可能な、まさしく必殺の攻撃だ。

 男が、鞘を握る手の親指で鯉口を切った。

 面攻撃など言われようとも、弓矢の弾幕には隙間がある。駆け足のまま抜き打ちの一閃。進む足を緩めず、見切りに従った最小限の動きで当たる分だけの矢をことごとく打ち落とす。

 相手の顔が引きつった。もはや矢をつがえる弓の間合いを超えている。槍に武器を持ち換えながらも、敵兵の一人が口を開く。


「クソッ……! 敵襲ぅがァ!?」


 他の部隊に危機を知らせようとしたそいつを、一人目にした。

 飛び込むような踏み込みと同時に刀を逆手に持ち替え、開いた大口に切っ先を叩き込んだ

 後頭部に刃が抜ける。即死の感触に、手首をひねる。するりと滑る刃が死体から抜け、血しぶきを上げた。

 壮絶な仲間の死にざまを見ながらも、敵兵はひるまない。一人の犠牲の合間に槍を手にして包囲し、刀では届かない遠間から男を穴だらけにしようと突きを繰り出す。

 男が飛んだ。

 一足で高く飛び上がり、突き出された槍の柄を駆けあがって敵の顔面を踏み抜く。一人、押しつぶした程度で男の動きは止まらない。相手が一斉に突き出した槍を引き戻すよりも早く刀を振るい、両脇にいた二人を切り殺す。

 地面が血に染まる。敵が悪態をつく。着地で男の動きが止まる。好機と斬りかかってきた敵の槍を、いましがた殺した死骸を盾にしてしのぎ、返す刃で首を飛ばす。あと一人。必死になって仲間の死骸から槍を引き抜こうとしてる。

 一歩、歩み寄る。

 びくりと震えた敵兵の喉を、男の刃が貫いた。

 敵の部隊を、一つ、殺し尽くした。

 だから、なんだろう。

 肩で息をしながら、男は虚しさに立ち尽くす。

 男が一人で殺せる数では、戦局に変化など及ぼせない。この国は負ける。滅ぶ祖国にあって、鍛えた剣技の意味など――


「ッ」


 殺気。

 あらゆる雑念を捨て置いて構えた上段水平の刀に、苛烈な衝撃が走った。

 敵襲だ。強靭な一撃を放った相手は、一人だった。

 片手剣と盾を持った、一部の隙もないフルアーマー。土煙が舞い散る戦場の汚れゆえか、銀色に輝いていただろう鎧姿はくすんでいる。

 騎士と呼ばれる彼らは、敵国の将兵だ。

 しかし、その立ち姿のなんと堂々たることか。

 見たこともない巨躯にふさわしい力強さがありながら、鈍重な気配はない。ただそこに立っているだけで、並みの兵なら圧倒されるほどの存在感。まさしく将と呼ばれるにふさわしい騎士だ。

 男は見惚れ、破顔した。

 自分は、この騎士と戦い、果てるためにあったのだ。多数と戦い消耗して倒れるでもなく、弓矢に射かけられて死ぬのでもない。平和の中で家族をなすのでもなく、誰かを守って生きるのでもない。

 この威風堂々たる騎士との闘いこそが、自分の剣技の天命だ。

 刀を、八双に構える。

 男が最も信頼を置く、攻勢の一手。喉が、大音声の気炎を吐く。裂ぱくの気合とともに猛然と切りかかった上段の一閃が、盾で弾かれる。ただ壁として盾でさえぎるわけではない。振りおろしの芯を外され、刃をそらされる。少しの油断があれば、弾かれた瞬間に体幹を奪われて転ばされていた。人が絶技と呼ぶ領域の、巧みな捌きだ。

 男の笑みが深まる。瞳に獰猛な炎が燃え盛る。

 一合が二合となり、死線が幾重にも繰り広げられて剣戟が重なる。

 互角の勝負だ。命のやり取りながら、永劫の没頭を求めたくなる。命を取るために容赦のない刃を振るいながら、まさか相手が死ぬはずがないという不思議な確信がある。

 拮抗しているからこそ、もし将兵の部下が一人でも駆けつければ、男はすぐさま敗北する。

 邪魔など許せない。それよりも早く勝負をつける。盾をすり抜ける左の鎧どおしの突きから、切り換え。不意を突いて、攻勢に備えて剣を握っている右の手首を狙う。

 狙いすました一撃は、読み切られていた。

 騎士の片手剣が、流麗な軌跡を描いた。

 小手先の騙し手を浅慮と断じる、迷いのない剣だ。右手首を狙った剣線と対称の一閃。男の手を読み切って後の先をとった騎士の片手剣が、男の刀の腹を叩いて折り砕く。

 茫然とする暇など、一瞬たりとも存在しない。刀を叩き折った騎士は盾と剣の役割を転換。左の盾が純然たる暴力となって男の胴体に叩きつけられる。

 痛烈な一撃に、立っていられたのが奇跡だった。

 男はよろめきながらも、刀の柄を離さなかった。意味をなさない言葉を吼えて、折れた刃を騎士の喉元へ突き出す。

 騎士は揺るがない。

 片手剣の切っ先が、踏み込んだ男の太ももに刺しこまれた。力の重心が死んでしまっては、こらえようもない。たまらず膝をついて崩れた男を前に、騎士は舌なめずりなどしない。躊躇のなくとどめの刃が首元へと振り下ろされる。

 これで、終わりか。

 完全な敗北をもたらす刃に、男はいっそ安堵を覚えた。

 剣にて戦い、剣で終わる。

 これ以上に、剣技を鍛えた意味があるだろうか。恍惚の面持ちで、人生最後の瞬間を待ち望む。

 不可避の剣は、しかし男の首を落とすことはなかった。

 都市いっぱいに響き渡る音量で、ほら貝が響いた。

 決着の合図だ。敵兵の喜びの声が各所で上がった。戦が終わったのだ。

 騎士は、剣を止めた。

 彼は勝利を手にしたのだ。敵の降伏を知れば、残存兵の追い打ちなどする意味はない。

 だが。


「おい……待てよ」


 背中を向ける騎士の高潔さは、男にとって裏切りに等しかった。


「いや……なんでだよ。それは、違うだろ……」


 男は出血する足を引きずって進み、声を振り絞る。

 負けた分際で、なにを言うつもりなのか。自分でもなにが違うのか、なにを求めているのかわからず、それでも、鎧姿の騎士に向かって、苛立ちに似た焦燥をぶつける。


「これは、違うだろ……?」


 まだつながっている自分の首元を掴んで、叫ぶ。

 ここで、相手を生かすくらいならば、なぜ。


「お前は、なんで剣を鍛えた!!」


 騎士が、足を止めた。


「正義のために」


 兜の中でくぐもりながらも、凛とした返答だった。

 有無を言わさず、一片の曇りもない返答は男の心を打ち据える。

 騎士は今度こそ、男を置いて立ち去る。


「なにが正義だ……」


 男には、わからなかった。

 異国より始まった戦乱で父が死に、故郷の町が滅び、祖国の敗戦で終結した今でも。

 両の手から滑り落ちた問いの回答を求めて、男は刀を握る。


「俺には、剣しか、ねえんだよ……!」


 人生を費やして磨き、命を懸けて敗北し、折れて砕けたというのに手放せない。

 剣とは、なにか。

 与えられることのない意味を求めて震える男の足元を、どうしよもなくこらえられなかった滴が濡らした。

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