1-5
戻って鍛錬の続きをやるためにウィードは振り返った。その瞬間、背後で何かが起こったように感じた。さっきまで魔物を探していた方に体を向けると、そこには一件の家があった。人が一人住むには充分な大きさだった。そんな大きさのものが突然現れたのだ、何が起こったのか、全く分からなかった。追いかけた人影と無関係とはとても思えない。ならばこれを調べない訳にもいかない。彼はその家のドアに近づいていった。すると足に何かが引っ掛かったように感じた。何かが切れた音がして、何かが飛んできた。死角からの飛来であったが、何かが風を切る音で方向を察知したのだ。それを躱すと、地面に突き刺さった。木の棒の先端を鋭く削ったお手製の矢だ。さらに何本も同じような矢が飛んできた。七本ほど飛んできて、五本は躱して二本は素手で掴んだ。今度は大きな丸太が振り子のように近づいてきた。ウィードはこれを、受け止めることにした。手のひらで先に触れて、肘から肩、肩から胸と勢いを逃がし、丸太の振り子をその場で停止させた。周りを見ると、いつの間にか砂煙で視界が悪くなっていた。それに乗じて、人影が接近して短剣で切りかかってきた。反応が遅れたせいで肩に傷を負った。さらその短剣を腹に突き刺そうとしたが、刃をつかんでこれを止めた。刃を直接つかんだ手のひらから、血が滴った。ここでやっと人影の姿形を見る事ができた。魔物ではなく人間なのは一目瞭然だったが、布で顔を覆っていた。ウィードはそれを剥いで姿を確認した。
「お、女?」
目が硝子のように澄んでいて、色白で華奢な女だった。ウィードは切りかかられて傷を負った事も短剣を腹に刺そうとしてきた事も忘れて、少し距離をとってから攻撃意志が無いと示すために両手を上げた。
「悪かった、すまない、違うんだ。君を攻撃するつもりはなかった、本当だ。俺は君のことを知らないしきっと君も俺のことを知らない。だから君に恨みがあるという訳でもない。ただ君の姿を見かけた時にこのあたりに住み着いている魔物だと思ったんだ。ああ、女性を魔物と見間違うのは、それもよくないな。すまない、悪かった、違うんだ」
ウィードはたどたどしく早口だった。その女が内容を聞き取れているかは怪しかった。「知能が高い魔物は君のように細身の場合もあるんだ。だから間違えただけなんだ、分かってくれ」さらにうだうだ言い訳を次々と加えていた。その女はしばらくウィードの様子を見ていた。どうやら真剣に謝罪していたので真剣に聞き入れていたのだが、ついには笑い出してしまった。
「ふふ、あははは! 何この人!」
ウィードは、彼女に笑われてやっと自分の間抜けな狼狽え方に気が付いた。
「あなた、強そうな見た目をしているのに、そんなに慌てちゃうの?」
その小さな口元を右手の甲で隠しながら笑っていた。「いや、見た目は関係ないんじゃないか。俺は見ず知らずの女性を」その間彼は言い訳をつづけながらも、どんどん声が小さくなった。ついには黙り込んだ。
「ルーナっていうの」
「え」
「私の名前」
「ああ」
「あなたが悪い人じゃないっていうのは充分わかったわ」
「それは、よかった」
「さっきはごめんなさい」彼女はウィードの肩の傷を見ながら謝った。「いや、大した傷じゃない」彼自身も、自分の肩に目をやった。
「あなたの名前は?」
「え、ああ、ウィード」
「よろしくウィード。ねえ、傷の手当をさせて。手当の道具なら家にあるから」
彼女はゆっくりと森の奥へ歩きだした。「来ないの?」「じゃあ、遠慮なく」彼はゆっくりと後ろをついていった。
「あれは君の家じゃないの?」彼は後ろから声をかけた。「そっか、説明してなかったね。あれは家じゃなくて研究所なの。今向かってるのが家なの」彼女は振り返らずに答ええた。「最初見えなかったのはなんで?」「そういう技術を作ったの」「技術って?」「説明してわかるかな」「説明してもらわないと、分かるかどうかも分からないけど」彼女は立ち止まった。「確かにそうね」振り返ってから、そう言った。足元も見ずに後ろを向いたまま歩きだそうとしたので、木の根っこに躓いた。「きゃっ」声を上げて背中から倒れそうになったので、ウィードはとっさに血が出ていないほうの手のひらで彼女の腕を掴んだ。「あ、ありがと」彼は黙って腕を引き、彼女の体勢を戻した。気まずくなるのを恐れて、特段気にもしていなかったのに尋ねた。「それで、君の家はまだなのか」「ごめん、もう少し歩く」それから到着するまで、なんとか当たり障りのない話題を繋いだ。
それは、ウィードの宿と同じように、古い木材が使われた家だった。「これでも中はキレイなの」何も質問していないのに勝手に答えた。「入って」彼女が扉を開けた時、木の軋む音はならなかった。「いいのか?」「いいって」二人は小気味よく言葉を交わした。
中は、特にかび臭いとか埃っぽいとかジメジメしているとは感じなかったのだが、少し散らかっていた。「いつもは、もっと整理されてるんだけど」と彼女が言ったような気がした。しかしウィードはその事を気にも留めなかった。なぜならば、彼が見たことも聞いたこともないモノが転がっていたからだ。変わった形の剣に画期的な構造の弓、光を放つ玉、何かの設計図。キレイな星空の絵もあった。「これ君が描いたの?」「そう。なんだかイマイチだけどね」「そんな事ない。素晴らしいよ」机の上には、自動でコーヒーを淹れてくれる装置があった。片方の瓶から管を通って豆の上に水が少しずつ供給され、出来上がったコーヒーがもう片方の瓶に滴っていた。「あ、これ動かしたままだったかしら」もう片方の瓶は、ほとんどコーヒーで満たされていた。淹れたてであるのに、湯気が立っていなかった。
「これ、火は使ってないの?」
「そうなの、すごいでしょ。作るの大変だったんだから」
「でも熱湯無しでどうやって淹れているの?」
「知りたい?」
彼女はいたずらな笑みを浮かべた。「知りたい」彼がそういうと、「これはね、この豆が入っている所にね…」長々と説明してくれた。
「すごいね、よく思いついたね」
「でしょ」
彼女は得意げだった。コーヒーは、瓶いっぱいで満たされていた。彼女がそれに気が付くと、どこかを操作して装置を停止させた。ウィードはその間も装置をまじまじと見ていた。彼女は台所からコップを二つ持ってきた。「飲む?」「飲む」そして、コーヒーをコップに注いだ。
「どうしてこんな装置を作ったの?」
「私猫舌だから、熱いコーヒーはすきじゃないの」
「わかるよ、俺も猫舌なんだ。いつも冷めるまでずっと待ってた」
「私もこれを作るまで冷めるのを待ってた」
ウィードは、ルーナから底知れない知性を感じていた。自分の欲望に忠実で、その欲望を実現するための活力を持ち、さらにそれを実現するための知識がある。君は何者なの、そう尋ねようとする前に、コーヒーを一口含んだ。「あ、おいしい」という声がもれた。
「だよね、おいしいよね。そうだよね」
ルーナは目を輝かせて、彼が飲む姿をじろじろと見ていた。「な、なに?」ウィードは思わず訊ねてしまった。
「いやね、そのコーヒー今まで誰に出しても微妙な表情しててさ。おいしいと思ってないの丸わかりなの。でもみんなそれを口にはださなくて」
「まぁ、悪いことって言いだしづらいからな、俺にも似たような経験はあるよ」
「どんな?」
「仕事仲間が俺の手料理を食う機会が一度だけあってな。自分がいつも食べているものをふるまったら、君の見たそれと同じような表情してたよ」
「そうなんだ。でも確かに、あなた料理下手そうだもんね」
ルーナは笑っていた。ほんの少しだけ間をとって、ウィードは切り出した。「それよりも、結局君は何者なんだ?」その質問にどう答えるべきか、ルーナは迷っているようだった。「強いていうなら、研究者かな」
「私、この森で影の国から来る魔物について調べてるの。ほら、さっき、家が消える技術の話したでしょ。そういう魔物がいたから、その体質を調べて応用したの」
「じゃあそういう、魔物の体質を技術に応用する研究者ってこと?」
「いや、実はそうじゃないの。これはただの副産物なの」彼女は小さく首を横に振った。
「彼らって悪意があるわけじゃなくて、でも世間では悪者にされてるみたいでね」
彼女は立ち上がって窓をあけにいった。彼女が口笛を吹いて窓の外に手をのばすと、そこに黒い鳥の魔物が止まった。ウィードが武器を構えようとしたのを察知したのか、彼の動きを制するように反対の手を向けた。「どうやら、全部が全部人間に敵意を持っているわけでもないのよ。だから、それについて調べてるの」彼女は左手に鳥の魔物を乗せたまま、ウィードに近づいた。「ほら」すこし躊躇ったが、ルーナと同じように左手を構えると、鳥の魔物は彼の腕に移った。「全然攻撃してこないでしょ」彼は、こんなにも近い距離で、まじまじと魔物を見たことはなかった。狩りの最中に見かけた時よりも可愛らしかった。「確かに人間を襲う魔物はたくさんいる。でもそうじゃないのもいる。だから、影の国の生き物を全部同じように駆除するのは間違っていると思うの」ルーナが手で合図をすると、それはウィードの腕から離れて窓から飛んで行った。彼女はそれを見送り、窓の外を眺めたまま問いかけてきた。「あなたはどう思う? 私の意見、変かな」ウィードは話し始めようとしたが、「俺は」とすぐに言葉を詰まらせた。少し間があってから、続けた。
「俺は魔物の事をよく知らないからな。君と対等な意見は持っていない。だから反論も持ち合わせてないよ」
「へぇ」彼女はウィードの方を向いた。
「この話をするとみんな、『そんな筈は無い、魔物は全部狩るべきだ』って言ってくるの。それか『そうだね、よくないね』って適当に肯定するか。あなたはどちらでも無かった」
「曖昧な意見しか言わない、最悪の回答だな」
「そんな事ないよ」彼女はどこか嬉しそうにも見えた。「私明日ね、」と別の話をしようとしたにも関わらず、急に黙り込んだ。
「何か忘れているような」
彼女はウィードの体をじろじろと見て、自身が負わせた彼の肩の傷を思い出した。「あ、手当してないんだ、ごめん」慌てて部屋の奥に何かを取りに行った。がさがさと、何かを漁る音が聞こえたのちに戻ってきた。包帯と着替えを持っていた。
「上脱いでそこに座って。手と肩よね」
「いや実は、大した傷じゃなくて」
「いいからやらせて」
その厚意を無下にする方が失礼だと思ったので、彼女のいう通りにした。ウィードは上の服を脱いだ。鍛え抜かれた体が姿を現した。
「すごいね」
ルーナは息をのんでいた。
「毎日鍛えているからな」
「そうなんだ」
自分の手が止まっている事に気が付いて、すぐに包帯を準備した。「えっと、手のひらから先に巻くね」ウィードは彼女に手のひらを見せた。
「あれ、血が止まってる」
「だから、大した傷じゃないんだ」
「でも、手当させて。あなたに怪我させたまま終わらせたくないの」
「なら、君の思うままに」
ウィードは手当を受けた。左の手のひらと右肩に包帯が巻かれた。「ありがとう」「悪いのは私だから」ルーナが服を持ってきていると気が付いていたのだが、彼は自分の服を着なおした。
「ねぇ、もう一杯淹れようか」
ウィードは、悩んだ。そして答えた。
「いや、今日はもう帰るよ」
「泊って行ってもいいのに」
「明日の仕事にも備えないと」
「そっか、残念」
ルーナは机のコップを下げた。
「でもそうね、ここでお開きにしよ。私も明日王都に行くから朝も早いし」
「王都に?」
「お父様が住んでいるの」
「そっか、会いに行くんだね。きっと君みたいに賢い人なんだろうな」
ルーナは何も答えなかった。「それじゃあ」ウィードは立ち上がって、扉に向かった。「帰り道、分かる?」「分かるよ」「また会える?」「また会えるよ」彼は扉から出て行った。
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