・千竜将軍 千艘飛びのイーラジュ - 最強への弟子入り -

 私はなぜ忘れていたのだろう。

 イーラジュといえば、ヤツカハギ帝国の生ける伝説、千そう飛びのイーラジュだった。


 役職は千竜将軍。

 事実上、武官の最上位に位置する男だった。


「たっ、頼もうっっ! 大商人ホスロー殿の紹介によりつかまつった! 千竜将イーラジュ様へのお目通りを願わんっ!」


 書店業界で言うならば、本を卸してくれる大問屋の専務取締役に会いに行くようなものだ。

 絶対に怒らせてはいけない存在と、私はこれからお会いする。


 そうとなれば、心落ち着く和風建築と庭園に目を奪われている余裕などなかった。

 私は緊張のあまりに『気を付け』のポーズを取ったまま、屋敷の玄関先に立ち尽くした。


 しばらくすると、庭園の方から木刀を肩にかけた男がぬらりと姿を現した。


「お邪魔しております、私は――」

「帰れ」


 重低音という表現が相応しい野太い声だった。

 その身長は190センチをゆうに超えているだろうか。


 熊のようにガッチリとしたその巨体が、突如として肩の木刀を鋭く薙いだ。

 力強い突風が私の首を撫でて、男の圧倒的なりょ力を証明した。


「そうはまいりません。私はホスロー殿からの正式な紹介できたのです」


 頑固一徹という言葉がお似合いの男に書簡を見せた。


「寄越せ」

「……どうぞ」


 不安はあったが、私はホスロー殿の書簡を男に渡した。

 ホスロー殿は大商人。大手貿易会社の会長のような方だ。


 よもやその方の書簡を破くような豪の者が、いるはずが……。


「ふん……っ」


 ないと思っていた頃が私にもありました……。


「何をするのですか……?」

「気に食わん」


「そんな理由で?」

「ここは子供の遊び場ではない」


 私は男を観察した。

 善人か悪人か。

 どういった動機で書簡を破いたのか、ムダに長い人生経験を元に分析した。


「私は遊びでここにきたのではありません。最強の男になるためにきました」

「20代後半。ずぶの素人丸出しの身のこなし。そして、そのむやみやたらに上等な刀と鎧。我らをバカにするのも大概にしろ」


 なるほど、狭量ではあるがもっともな話だった。

 要するにこの大男は、有力者のコネを使って門下生になろうとする舐め腐った客人が、心の底から気に入らないのだろう。


「帰れ」

「はっ……やだね。家に帰るのはそっちだろ、おっさん」


 私が言葉づかいを変えると彼の威圧感が倍になった。

 これが大陸最強の男に師事するモブA。

 さっきの一撃といい、この男は私から見て遙かに格上だった。


「ほぅ、俺の威圧に臆さぬか。それなりの骨はあるようだが、どちらにしろ、その年齢ではな……」

「20代後半から最強を目指して何が悪い!」


「思い上がりもはなはだしい男よ! 20年遅れの貴様に何ができる!」

「おうっ、つまんねード正論ありがとよっ!! けど、やってみなきゃわかんねーだろがっ!!」


 私は信じている。

 たとえ経験で20倍も200倍も離されていようとも、私はスーパーヒーローになる男だ。


 今さら遅いと否定されようとも私は迷わない。

 否定の言葉を堂々とした態度で跳ね返した。


「……よい。道場に上がれ」

「はっ、そうくると思ったぜ、おっさん!」


「ソウジンだ。武門を舐めるな小僧、全力で叩きのめしてやる」


 外廊下に上がり、離れの道場に入った。

 薄暗い道場にろうそくの明かりが灯された。


「他の門下生はいないのか?」

「イーラジュ様の薫陶を受けられるのは、選ばれし者のみ」


「少数精鋭ってことか?」

「……ゆえに、貴様のような腐った魚の頭は、いらぬ」


「この野郎……っ」


 私はこの男に勝てないかもしれない。

 少なくとも経験の差は歴然だ。

 この男ソウジンは、最強の男に師事してきた門下生であることを、そのたたずまいだけで証明している。


 ソウジンは私に木刀を投げ渡した。

 私は刀を腰から外し、鎧はそのままにして木刀を向けた。

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