第6章 異世界紀行

第1話 お呼び出し

 湖が見えなくなり森が深くなると、極端に人の気配がなくなった。道も獣道のようになっている。


「いつもとはちょっと雰囲気が違う森ね~」

「……この辺は人が住んでないんだ」

「あらなんで?」


 そういえばと、急に生き物の気配を感じなくなったことに蒼は気がついた。ルーもヒューリーも珍しくちょっと不安げに歩みを進めている。大きな体のまま歩いているフィアも耳を立てキョロキョロとし始めていた。


「あ……もしかして」


 先にその理由に気がついたのはレーベンの方だ。


「神域が近いんですか?」


 アルフレドがなんだかちょっと曖昧に微笑んで、


「たぶんここが神域だ」


 周囲をゆっくり見渡していた。


(神域って簡単に入れない場所じゃなかった? これも私への忖度サービス?)


 人間も魔物も簡単に入れないはずである安全な神域に、なぜ自分達が入り込んでいるのか。答えを知っていそうなアルフレドの言葉を待つ。


「神域が荒らされてるのかも……神域にしては気配が雑然としているし」

「……確かに」


 蒼がこの世界に降り立った場所である『リルの森』とも雰囲気が違う。似てはいるが、あの森で感じた怖いくらいの静けさがない。


「というかこれ……もしかして僕たちんじゃないですか?」

「そうかも」


 アルフレドとレーベンが深刻な顔になっているのを見て、蒼はゾクッとした。


(呼ばれたって何から!? まさかホラーな展開!?)


 彼女はその手のものが苦手だ。

 そして彼らの声に応えるように、一筋の風がすっと蒼達を通り抜けていく。


「ヒィッ」


 だがビビっているのは蒼だけだ。男子二人は神妙な顔になっている。それがまた蒼の不安を煽るのだった。


(なになになになになに!?)


 ふと顔を上げると、道の先に巨大なツノを持った鹿が現れた。しかもそのツノは黄金のような色をしており、本体は真っ白だった。ヘラジカに似ている。ツノに合わせて体も大きいので、巨大なシカといって間違いない。


「やっぱり呼ばれたんだ」


 レーベンはちょっと興奮気味だ。だがこれで蒼も少し落ち着いた。彼女もそれなりにこの世界について学んでいる。トリエスタで神官達に基本知識は教わっていたし、学術研究都市にある大図書館で挿絵つきの本もたくさん読んだのだ。


御使ギールベ昼と幸福の御使の眷属か!」


 御使リルはユニコーンだったな……と、この世界で初めて見た生物のことを蒼は思い出す。あのユニコーンも美しかったが、この大鹿の姿も負けず劣らずだ。


(あのツノ……確かすごい武器になるんじゃなかったっけ……?)


 武器というジャンルは、どうせ自分に使いこなせないし……と曖昧な記憶しか残っていない蒼だった。このツノを加工すると魔物に大変有効な聖銀以上の効力を持つ武器を作ることができるのだ。


 なるほど『呼ばれた』相手は聖獣かとあからさまにホッとした蒼を、大鹿はフンッ! と、大きく息を吐いて見つめた。前足を踏み鳴らしてから後ろを向き、ついてこいと言っているようだった。

 アルフレドとレーベンは蒼の方を見る。どうする? ということだともちろんわかっているので、


「用事があるってことでしょ? 聖獣からの依頼って断れるの?」


 彼女達はいつの間にか迷い込まされていたのだ。この森に。それもきっと目の前の彼か彼女に。


「勤めを果たさなければ出ることはできません」


 キリッと教室で先生の質問に答えるかのようにレーベンが言葉を発した。


ねぇ~……私も勉強不足だわ)


 と思っていたが、


「そう言われているね。……そんな経験する人、ほとんどいないから民間伝承みたいなもんなんだ」


 アルフレドがこっそりと教えてくれた。要するに困っている聖獣を助けろという話だ。

 まあしかし、その民間伝承はどうやら本当にようで、何度も何度も大鹿は蒼達がついてきているか振り返って確認していた。


 キラキラと金粉のようなものを撒きながら大鹿は歩みを進める。剣と魔法と魔物がいる世界にいても、こんな幻想的な出来事はそうそうお目にかかれることではないので三人と三匹は神妙な面持ちで後について行った。

 獣道から道なき道へと変わり、どんどん森の奥深くまで足を踏み入れる。


(水の音……)


 柔らかなその音を聞いて、フッと蒼は緊張が解けた。が、それは蒼とレーベンだけだったようだ。アルフレドとフィア、そして馬二頭は少し警戒するような表情になっている。


「あ……」


 ついに開けた場所に出た、と思ったが……目の前に大鹿が三頭。内一頭は倒れており、息は荒いが生きている。予想通り小川が流れているが、周辺には激しく争ったような痕跡があり酷く荒れていた。大きなツノが砕け散らばって、キラキラと光っている。


(なにごと!?)


 蒼達は急いで馬から降りる。すると大鹿の姿がさらに巨大に感じるが、ここまで蒼達を案内した大鹿以外の聖獣は少々気が立っているように感じたのだ。ルーもヒューリーも大変賢く大人しい馬だが、少しの敵意も見せない方がいいと判断した。蒼がそう思ったのだから、もちろんアルフレドとフィアは表情がこわばっている。


「え? 鍵?」


 案内役の大鹿がそっと頭を下げ、蒼の金色の鍵に鼻を近づけた。そして蒼がそれを理解したとわかると、次はアルフレドの方へ行き、聖銀の剣に鼻を当てる。


「魔物がいるのか?」


 その疑問の答えはフィアが見つけた。


 ゆっくりと聖獣達に敬意を払うように倒れている大鹿へと近づくと、フィアはその首元をクンクンと匂った。そして兄であるアルフレドの方に視線を送る。

 アルフレドも、フィアにならって決して走らずゆっくりと近づいた。その後を追うように、蒼とレーベンも。馬達はその場から動かない。


「なんだこれ……首輪?」


 蒼が目を顰める。

 大鹿の首に鎖のようなものが巻きつけられていた。中央に大きな黒い宝石がついているが、ヒビが入っている。そのヒビの中には金色のツノのカケラが。


「古代の遺物でしょうか?」


 レーベンは巻きつけられた鎖に細かく魔法陣のような紋様が描かれているのを見つけた。


「少し離れて」


 アルフレドはそっと聖銀の剣を抜き、その鎖を素早く切った。途端に、瘴気のような煙が上空に上がる。アルフレドもレーベンも急いで口と鼻を塞いだ。


(あ……鍵!)


 蒼はすぐさま門を開ける。二人は駆け込んで聖水に頭から突っ込んでいた。離れていた馬達も、これ幸いと門の中へと入って行き、珍しく裏庭の方へと向かって行った。


 蒼がホッとしていると、倒れていた大鹿が息も絶え絶えに立ちあがろうとし始める。


「わ! わ! わ! 待って待って! 聖水運んでくるから!」


 アワアワと蒼は門の方へ走っていくが、今度は案内役だった大鹿が後ろからついてくる。だが、どう考えても門を潜れるサイズではない。


「ぶつかるよ!?」


 だが大鹿が門に差し掛かった瞬間、その入り口がゴムのように広がったのだ。


「あ、そんな仕様だったんだ……」


 という予想外の気づきとなった。

 大鹿は聖水を少しだけ飲んだ後、庭に植えられてあるオリーブの木によく似た葉を食べ始めた。

 この木は実がなることもなく、ただ最初から存在していたので蒼はそれほど気にかけていなかった。ただごくたまに、ルーやヒューリーがその葉を食べていることは知っていた。間食かな? 美味しいのかな? くらいにしか考えてはいなかったのだが……。


(めっちゃこっち見てる……)


 つまりこの葉も必要だということだと蒼は理解した。

 この後、残りの三頭も蒼の庭に入ってくると、怪我が軽い二頭は聖水を飲み、葉を少し食べて門の外へと出て行った。どうやらその葉は薬にでもなるのか……少なくとも彼らにとって必要な何かが入っているのだ。

 案内役の大鹿だけが残って蒼の方をジィーッと見ている。


「あ、はいはい……やります。やらせていただきます……!」


 倒れていた大鹿を心配する仲間の姿を見ているので、蒼も甲斐甲斐しくその怪我を負った大鹿の介抱をする。動くことも辛そうなに聖水を飲ませ、葉っぱを口元まで運び、聖水でリンゴジュースを作ってみたりと、二日間に渡って世話をした。


「ツノ……なくても大丈夫なのかな?」

「数十年に一度生え変わるんですよ。すぐには無理かもしれませんあが、そのうちきっと……」


 レーベンが名残惜しそうに、門を出ていく大鹿達に手を振る。彼らはまだ傷跡は残ってはいるものの、全員元気に回復した。


「幸運の象徴なんだ」


 アルフレドもレーベンと同じような目をして見送っていた。

 そのツノを持つものには幸運が訪れるとされており、代々の家宝として受け継がれることもある品なのだ。


「そういう民間伝承や風習みたいな話、本には載ってなかったな~」


 選んだ本が悪かったのかもと、またあの学術研究都市の図書館へ蒼は行きたくなる。


「そんなの! いくらでも僕に聞いてください!」


 レーベンは少し得意気だ。彼は自分が蒼のために役立てることが少しでもあるのが嬉しい。


「あら? まだ何か用かな?」


 蒼はすっかり案内役の大鹿のアイコンタクトがわかるようになっていた。門の出口のところで立ち止まり、視線を送っている。


「はいはい。なんでしょう?」


 駆け寄ると、先に門を出ていた仲間達がボトリ、と金色のツノを落としたのだ。砕けたものもいつの間にか集められている。


「ええー! そんな気を使わなくていいのに!」


 と言いつつ、蒼はにやける顔が隠せない。アルフレドとレーベンもびっくりとそのを見ている。


 最後に全頭が蒼達の方を振り返った後、駆け足で去っていった。


「これ……いいんだよね?」

「ありがたくいただこう」


 アルフレドが大きなツノを持ち上げた。


「本当に綺麗ねぇ」


 小さなカケラでもずっしりと重みがある。それは真昼の太陽に照らされていつまでもキラキラと輝いていた。

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