第7話 夫婦
カーライル家の来賓室の隣には、もう一室来賓用の部屋がある。今はそのニ室ともに使われていた。
一室はもちろん、リデオン家次期夫人であるリシュリー・リデオンと名家の元嫡子アルヴァ・カーライルが。
そしてもう一室には、リデオン家次期当主であるデニス・リデオンとその彼に泣きつかれしぶしぶ一緒にいるアオイ・ウルシマがいた。
「壁に耳くっつけたって聞こえませんよぉ……」
アオイとデニスは初対面だが、どう考えても彼のこの姿は立場的にまずいのでは? という心配から蒼は声をかけてみる。
(アレクサンドラさんも話しやすいけど、この人もある意味では話しやすくはあるのよね……)
どういうわけか親しみやすい人柄だということがこの短時間でわかった。
「いや……! リシュリーが泣いてる声が聞こえるっ!」
そしてやっと壁から離れたかと思うと、扉を出て突撃しようとしている。
「離縁されても知りませんよ~」
「はっ! そうだった……」
そしてトボトボとソファの方へと戻ってくる。
蒼はデニスに頼まれたのだ。
『私を見張っていて欲しい!』
リシュリーが関わると、どうも自分は突発的に行動してしまうので、そうなったら声をかけてくれるだけでいいから、と。
どうやらこれまで自分と縁のない蒼の方が都合がいいと判断したようだ。それに直属の家臣でも領民でもない、名家カーライル家の客人であるので、時期領主である自分に多少の失礼があっても許される、ということでデニスにしてみると蒼はまさにうってつけの人物。
『アルヴァとの話が終わるまでは邪魔をするなと……邪魔をしたら離縁すると……』
『そんなに大事なお話なんですね』
『う……うぅ……』
いよいよシクシクと泣かれてしまったので、蒼はその依頼をうけざるを得なかった。
ソファへどすんと座り込んだ後、デニスは自分語りだ。
「リシュリューは皆の憧れだったんだ……その婚約者がアルヴァに決まって……まあ仕方ないな、と思った男は多かった。もちろん私は諦めてはいなかったぞ!」
「アルフ……アルヴァ様ってそんなにすごかったんですか?」
これもこの屋敷にやってきてあっちこっちで聞こえてきた話だ。カーライル家の長男アルヴァは戦闘力はアレクサンドラに及ばないものの、文武両道で、同世代で群を抜いて優秀だったと。
「まあ……それなりにな。私程度には優秀だったと言っておこう」
蒼が詳細を知らないと思ったのか、デニスは堂々と見栄を張る。
「なのにあいつはリシュリーに優しい声一つかけず……! 傲慢な男なんだ!」
「傲慢か~……今のアルフレド、じゃなかったアルヴァ様からは想像もつかない言葉ですねぇ」
「なにぃ!? 本当か!?」
うんうん、と蒼は頷いてみせる。
「婚約中まともに会話したのなんかほんの数回程度! 最後は一言の別れも告げずにカーライル家を出て行ったんだぞ!? どれだけリシュリーが傷ついたか!」
デニスは思い出してまた怒りが湧いてきたようで、自分の太ももを拳で叩きつけた。
「なのにリシュリーはいつまでもあいつのことを思っていて……」
「えぇー!! 今もですか!?」
「……いや、それは……うん……おそらく……」
そしてまたしおしおになって、目にいっぱい涙を溜め始める。
(あらあら……)
夫婦だというのにこんな風になるのかと、蒼は新鮮な驚きの中にいた。貴族に恋愛結婚はありえないという話だったが、そんな中でも愛する人と結ばれたというのに、まだまだ片想い真っ最中のようだ。
「デニス様はお優しいですね。奥様を本当に大切に思ってらっしゃるのがわかります。奥様のためにグッと我慢できて……器が大きい! こりゃあリデオンの街も安泰ですよ」
流石に大泣き三秒前の成人男性に適当な言葉をかけるのは憚られたので、蒼は違う方向から元気付けることにした。
「私は……リシュリーの気持ちを考えると……どうも辛くって……気持ちはわかるから……あんな婚約破棄をされたら心に残ってしまうに違いないし……」
「そうですねぇ……ちゃんと終わりは告げてもらいたいですよねぇ」
「アオイは私のことを女々しいと言わないのだな……」
「誰だって弱気になる日もありますよ~」
必死に慰める蒼の努力もむなしく、結局またボロボロと涙を流し始めたデニスを前に、
(だ、誰か助けて~~~!)
そう彼女が思ったのは致し方ないだろう。
そしてそんな蒼の祈りがどこぞの管理官に通じたのか、いや、通じてはいないのだが、ノックもなしに突然扉が開いた。
「今のは聞き捨てならんなデニス!」
「げ!」
途端にデニスの涙が引っ込んだ。アレクサンドラはいつもの面白いものを見つけたという目をしている。
「いいかアオイ。片方の話だけを信じたらダメだぞ」
「それは心得ております」
「ふっ! 失礼。お前はそうだろうな」
ニヤニヤとするアレクサンドラを前にデニスはどんどん小さくなっていく。
「アルヴァはリシュリーと婚約していたが、このデニスは誰と婚約していたと思う?」
「……まさか!」
「そう! この私だ!」
アレクサンドラはなぜか嬉しそうだ。
二人の視線がデニスに注がれると、あからさまにデニスは視線をそらして冷や汗をかきはじめていた。
「アルヴァが出ていってすぐにこの男は私の元にやってきて、どうか婚約を破棄してくれと頭を下げ続けたのだ。まあ、またとないチャンスだ。我が家としてもリシュリー嬢に負い目がある。別の婚約者をたてるぐらいせねばならん。アルヴァと家柄が同格の男となるとこの街じゃあ自分だけだとわかっていたのだろ~」
長年微妙な関係であったリデオンとカーライルの和平ともいうべき婚約をとり止めても、デニスはリシュリーと結ばれたかったのだ。
「一生の貸しということで渋々その申し出をうけたよ」
肩をすくめるアレクサンドラについにデニスが吠えた。
「そっちの方が都合がいいと思ったくせに!」
「何を言う。私だって枕を涙で濡らす夜もあるんだ」
「え? 本当か……?」
急にデニスの顔が心配をするような罪悪感にまみれた表情に変わるが……、
「いや嘘だ」
その一言でまたムキー! とデニスは怒り始めた。
蒼はそのやりとりを聞いて思わず声を上げて笑ってしまったので、彼をフォローするためにも少し味方することにした。
「情熱的ですねぇ~一生懸命な恋! 個人的にはそういうの好きですよ」
この街の人間だったらまた意見は違ったかもしれないが、蒼はそうじゃないので好みだけで語ることができる。物語のような純愛は見ていて眩しいが、たまには見たいものだ。
アレクサンドラの目がピクリと動いた。
「さあ、終わったようだぞ」
そう言って扉を開く。
「どうせいらしていると思いましたよ」
「リシュリー!」
不機嫌そうな巻き毛の美人がそこにはいた。デニスが言っていたように泣いた跡が見える。
「あいつ……くそぉ〜〜〜あのヤロォ〜〜〜! 決闘だ! リシュリーを泣かすなんて!」
顔を真っ赤にしてデニスは怒りに震えるが、
「何を馬鹿なことを。世界が大変な時にそんな浅はかな発言……いい加減にしてくださる?」
そう冷たい視線を妻に向けられた瞬間、顔が青色へと変わっていく。
「だが……」
「私が一人感情的になっただけです。貴方と暮らし始めてどうも性格まで似てきてしまったようですわ」
フッと優しく笑ったリシュリーは確かに美しい人だった。
「リ、リシュリ~~~!」
デニスの方も妻の笑顔を見て、先ほどの怒りも悲しみも一瞬で消え去りこの笑顔が何よりの幸福! と、満面の笑顔へと変わっていった。彼の表情筋はきっとかなり鍛えられているだろう。
「貴女がアオイ様ですね」
「ひゃっ! ひゃい!」
急に話が飛んできて、蒼はピッと背筋を伸ばした。
「アルヴァ様のことを……頼みましたよ」
(頼むって何を? なんて聞けない……)
ので、
「あ、その……私にできる範囲で……ええ……」
この答えはダメだとわかっているのに、ゴニョゴニョとしてしまう。
結局は貴族の圧なのか、元婚約者の圧なのか、それとも恋する女性の圧なのか、
「頼みましたよ!」
「は、はい!」
気をされるままに返事をしたのだった。
そうしてリデオンの若夫婦は腕を組み、二人仲良く帰っていった。
「なんだったの……?」
とりあえず、デニスは今後それほど不安に思わなくてもよさそうだ、ということだけはわかった。
「十年分の恨みつらみを本人に語りにきたのさ」
そうアレクサンドラは言うと、蒼にアルフレドの方へ行くよう頼んだ。
「これ以上アイツの面倒を見るのはごめんでね」
アルフレドは来賓室のソファに座ったまま呆然としていた。
しおしお具合はデニスにも負けない具合だ。
「ビンタされた?」
蒼は少し茶化すように尋ねる。
「いや……いかに彼女が傷ついていたか知って……俺って本当最低な男だって思い知らされたというか……」
婚約されてからアルヴァにされ、腹立たしかったことや傷ついた内容を文字通り一から十まで語って聞かされたのだそうだ。
ドレスを褒めたことも髪型を褒めれたことがないだとか、パーティで嫌そうな顔をして踊ったことだとか、何を話しても上の空で聞いていなかったことだとか……。
「まあ、禊ってことで」
「ミソギ……?」
その質問に答えることはなく蒼は、さあ切り替えよう! と、
「今日の夕飯はスキヤキにしよ。私が久しぶりに作るからさ」
いいお肉だけまだ残ってるし。そう言って肩をポンポンと叩いた。
アルフレドが元気を取り戻したのは言うまでもない。
◇◇◇
「その、アルヴァは、どうだった……?」
恐る恐るデニスは愛する妻に尋ねる。漠然とした質問なのは、彼なりに自分の心を守っているからだ。
「アルヴァではなくアルフレドですね。彼はもう」
「そんなに変わってたのか……」
リシュリーはまた不機嫌そうに答えるが、その直後に小さく笑った。
「いえ。元からそうだったのかもしれません。ですが、それを表に出す余裕がなかったのかも」
そうして少しだけ寂しそうに、
「なんにしても。いい変化です」
そう呟いた。
「リシュリー……」
名前をよばれたリシュリーは、今度は心配する夫の頬をそっと触れて、
「また私のために泣いたのですか?」
「いや、違うんだ! これはその……」
ワタワタと慌てふためくデニスだったが、
「泣くのは私の前だけにしてくださいませ」
「ひゃい……!」
妻の顔を見てうっとりとそう答えた。
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