第8話 青春のつまみ食い
リデオンでの商売は、これまでで一番熱気あふれる日々だった。
それはいつの間にか、蒼達がこの街を出発するその前日まで続く毎日昼食時間のイベントになっていた。
「わーちょっとちょっとちょっと! 周りの人に気をつけて来てくださーい!!!」
正午の鐘の音が鳴ると共に、地響きのような足音が蒼の屋台の方へ向かってくる。
「コラー貴様ら!!! 兵学校の名に泥を塗る気かー!!!」
後方から聞こえる指導教官の声など届いていないようだ。兵士のたまご達の勢いといったら……。
「いちにーさんしーご……よんじゅきゅ、ごじゅう! ……ここまでだな!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
「今日のライスバーガーは絶対に食べたかったのにぃぃぃ!!!」
店の列も兵学校の生徒達でしきり、蒼の屋台の販売上限である予定数を上回ったらそれまで、と敗者達は大きく嘆き悲しんだり、トボトボと立ち去っていた。そしてそのレース見たさに人々が集まり、周囲の屋台も潤うという流れができている。
「今日はレオナルド様だったか~」
「ラミロ様は惜しかったな」
この学校には名家の子息達もやってきているので、それなりに名の知れた者達もいたが、どうやら青春をめいいっぱい楽しんでいるようだ。
さて、蒼の屋台にはこの街限定の店員が一人。現在婚約者募集中のファーラである。蒼の庭の聖水のおかげもあってか、体調のいい日が続き、まったくもって決まらない婚約者面接に飽き飽きした気分転換にと、手伝いを申し出たのだ。
『私はいいけど……いいんですか?』
『ハハ! もちろん! 父と義母に見せてやりたいよ!』
『精一杯頑張ります!』
領主代理のアレクサンドラの許可は簡単に降りた。もちろん変装して護衛も付いているが、前述のレースの見物人達にうまく紛れている。
アルフレドは今、兵学校の訓練に駆り出されてる。リデオン家からのお願いを断れなかったのだ。あれだけ故郷を否定的な言葉で表していたが、彼も久しぶりに本腰を入れた訓練は楽しかったようで、夜遅くまでみっちりと体を動かしスッキリとした表情で屋敷に戻ってきていた。
『訓練後のご飯は格別に美味しいなぁ……!』
そうしみじみと蒼の作った夜食を食べていた。焼きおにぎりだったり、雑炊だったり、にゅうめんだったり……そんなメニューを用意していると、蒼はまた翔のことを思い出す。受験勉強の夜食に、と何度か持って行っていたからだ。
(今どこにいるんだろう)
勇者が参加していると言われていた対魔王軍の居所は蒼の耳にも入っていたので、今はあの辺にいるのかぁと妙に安心していたが、実際はその勇者は影武者で、翔本人は今どこにいるのかわからなかった。
蒼はアレクサンドラが戦士の末裔として翔と共に旅することも、翔が今この街に向かっていることも知らなかったのだ。
屋台の片付けをしながら、ぼぉっとそんなことを考える。リデオンを旅立つ日程はもう決めていた。天空都市ユートレイナは冬になると街自体が閉鎖され出入りが困難になる。それに間に合うためにはそろそろこの街を出なければならない。
「アオイ様?」
「ああごめんなさい!」
「……お疲れですか?」
心配そうにファーラが覗き込む、この表情が兄のアルフレドとよく似ている。
「いやいや! 圧倒されただけ! それはそうと今日はレオナルド様だったねぇ」
蒼はついこの話題はニヤニヤと話してしまう。なぜなら先ほどまでの気遣うような顔が急に沸騰したように赤くなったからだ。
(いかんいかん。つい若者をからかいたくなってしまう……)
ファーラは最近、あきらかにレオナルドを意識していた。元気いっぱいだが、蒼にもレーベンにも、子犬のフィアにも、もちろん平民に変装中のファーラにも丁寧で優しくいつもニコニコとしていた。まごうことなく好青年である。
しかも! レオナルドの方もファーラ目当てに蒼の屋台へ突撃してきている。彼女の目を見ながら一心不乱に一番目指して走り続けている。なんせ一番前に並んでいれば、屋台がオープンするまでのほんの少しの間、ファーラとの会話を楽しめるからだ。
(もう婚約しちゃいなよ!!! 勢いも大事よ勢いも!)
ニヤニヤしたりヤキモキしたりと、蒼は他人の青春に便乗して楽しんでいた。
「……アレクサンドラ様に相談したら? レオナルドさんのとこ、嫡子はお兄さんっていうし婿入り先探してるって、その辺の人達が噂してたよ」
こういう話って皆大好きだよねぇと蒼は呑気なものだったが、
「そうですね……でも、レオナルド様のお家は……」
しょんぼりと目を伏せる。このしょんぼり具合もアルフレドによく似ている。
(アンチカーライル家か~~~)
レオナルドの実家であるランティス家は、リデオン派の筆頭家臣なのだ。
(だけどデニスさんの代になったらなんとかなりそうだけどな……)
とはいえ、あちらは代替わりまではまだしばらくかかりそうなので、そう簡単にいく話でもない。
◇◇◇
「レオナルド・ランティス? うん。真面目で剣の腕も悪くない。なによりカーライル家の俺にも丁寧だよ」
最後の一言は笑いながらアルフレドは答える。ランティス家がリデオン側ということを彼はちゃんと覚えていた。アルフレドは兵学校の生徒達相手に模擬戦の相手もしているので、レオナルドのこともよく知っている。
(よしよし。兄貴の印象もいいわね! でかしたレオナルド!)
となると、あとはアレクサンドラ……最大にして最強の壁だ。ちょうどその日の夜、蒼はアレクサンドラに、一杯やろう! と花金のサラリーマンのノリで誘われたので探りを入れようと意気込んでいた。だが、探りを入れたのはアレクサンドラの方だった。
「それで。いい婚約者候補は見つかったか?」
「ええ!? なに!? 知ってたんですか!?」
「いや。それほど期待はしていなかったのだが、どうやら護衛の話だとそれなりに粒揃いだと聞いてな」
蒼の反応を見てアレクサンドラはご機嫌だ。そろそろ彼女も
「ラミロ・エスピノかレオナルド・ランティスあたりだと都合がいいんだが」
「本当ですか!? エスピノ家はともかくランティス家はカーライル家を目の敵にしてるって……」
興奮を悟られないよう蒼は気をつけているが、酒のせいか、話題のせいか、それは無理のようだった。
「ランティス家はカーライル家というより、我々の父を嫌っていたのだ。まあ私が父を追い出したのは知っているし、支持するリデオン家がカーライル家と仲良くしたいと思っているから、それほど心配しなくていいだろう」
「なるほど……むしろリデオン家がカーライル家に近づくいいチャンスだってことですね」
「そうだな。私とデニスが婚姻関係を結ぶよりマイルドだし、なにより本人達が好き合っているならそれが一番いい」
「あ……」
いつものようにアレクサンドラはニヤニヤするかと思ったが、優しく穏やかな、本当に嬉しそうな微笑みだった。
「よかった。どちらかわからなかったんだ。ファーラに聞いてもお得意の曖昧な微笑みでな」
ファーラもアレクサンドラがカーライル家を守るため、いや、ファーラを守るために日々動いていたことを知っている。だからこそ、自分の意見など二の次で、カーライル家にとって都合のいい婚姻を結ぶつもりだったのだ。
アレクサンドラの方はファーラを心の底から大切にしていた。なんせ生みの母はすでにこの世におらず、双子の弟は家を去り、もう一人の弟は死んでキメラになってしまっているのだ。自然と、どうにかこの妹には幸せになってほしいという思いが強くなっていた。
◇◇◇
「ええ!? レ、レオナルド様とですか!!?」
突然姉からその名前が出てきて、
「ああ。どうだろう。家格は少し劣るが、人物として申し分ないと聞いているし、リデオン家との繋がりも持てる」
「そ、それはあの……もちろん……」
すぐにファーラは側にいた蒼の方を見る。蒼は黙って頷いた。
「あの……レオナルド様が望んでくださるなら……もちろん私は嬉しいです……」
「ああよかった! ファーラ。幸せになるんだぞ!」
だがハッピーエンドはまだ来ない。
『屋台の売り子を愛しているからその話を引き受けられない』
という回答がランティス家から返ってきたからだ。
「甘酸っぱーーーい! 少女漫画じゃん!」
という蒼のツッコミを最後に、無事、ファーラ・カーライルとレオナルド・ランティスは婚約した。
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