第4話 実家−2
当主の部屋の中では、儚げな少女がポツリと立っていた。
事前に聞いていなかったら、蒼はギャア! と叫び声を上げ、屋敷の使用人達に見つかっていただろう。
「はじめましてアオイ様。ファーラ・カーライルでございます」
「あ! は、はじめまして……!」
小さなフィアは一目散にフィーラの方へと走っていった。
「……ああ……このコが……」
ファーラがギュッとフィアを抱きしめる。フィアはボロボロと流れでている少女の涙をペロペロと舐めていた。
「お見苦しいものを……申し訳ありません」
「いえいえそんな」
蒼も目頭が熱くなる。家族の再会だ。ファーラはフィアの一つ上の姉だった。ということはアレクサンドラとアルフレドの妹でもある。やはりブロンドで朱色の目を持っているが、強烈に強い上二人とは違いヒョロリとした線の細い、しかしやはり美しい少女だった。
カーライル家は四人姉弟。アレクサンドラとアルフレドは双子。ファーラとフィアは後妻の子供。年齢も離れているせいか姉弟の中は大変よかったが、これもよくある話で、後妻は優秀な双子の姉弟を毛嫌いしていた。
(フィアも人間のままだったらこのくらいだったのか)
フィアは本当なら十五歳だと聞いている。
「急ぎましょう。すぐに例の資料が見つかるとは限りませんから」
涙を拭うと、ファーラの表情が凛々しく変わったのがわかった。
(DNAを感じるわね~)
そんなことをコッソリ考える。
ファーラは執務机の上にある羽ペン用のインクの土台をグルリと回した。
——カチャリ
どこからか小さな音が聞こえた。フィアの耳がピンと立つ。
それからまた机の引き出しを開き、中に入っていた手帳を横へ傾けた。
するとまたカチャリと小さな音が蒼の耳にまで届く。
「どうぞ」
促されるまま蒼はファーラの側に行くと、机の下……足元の部分に隙間が。
ヨイショと少女がその扉を開くと、地下へと続く階段が現れた。
(おぉ……!)
隠し扉に蒼は思わず感動を覚える。だが地下に何があるか知っている以上、この儚げで美しい少女に不謹慎と思われたくなくて表情を押し殺す。
そのままファーラの後ろをついていくと、わりとすぐに目的地に到着した。重々しい扉を開くと、中は薄薄ぼんやりとした緑色の照明が等間隔につけられていた。
(ひぃぃぃ!)
覚悟はしていたが、様々な生き物のホルマリン漬けが並べられてある。大きいものから小さいものまで。
「こちらです」
ビクッと心臓が大きく揺れるほど驚いた蒼は、いそいそとファーラの後を追う。彼女の方は慣れたものだ。自分の家の中だからあたりまえかもしれないが。
資料室のようなその部屋にはたくさんの古びた紙が棚の中に積み上げられていた。
「十年前のものはこの棚のあたり……以前、実は見たことがあって……」
二人で手分けして資料を読み漁る。ファーラは弟の痕跡を探して一度その資料を盗み見たことがあった。右上に赤色で大犬の印が付けられていたことを覚えていたので、まずはその印がある資料だけを抜き取る。
「貴重な資料がぐちゃぐちゃで助かったわ……後片付け気にしなくていいし……」
資料がいくつかなくなってもわかることはないだろう。
「お姉様が昨夜遅くに、研究員を呼びつけてアレコレ資料を見せろと大騒ぎしていましたから」
フフフと可愛らしく笑っている。姉の破天荒な行動が大好きなのだそうだ。
(しっかり準備を整えてくれてたとは)
今回のフィアの設計図拝借計画は、細かいところまで考えられていたようだ。
「あった!」
この時ほど体をリルケルラから作り替えてもらっていてよかったと思うことはない。というより、主になんでも読める、というおまけ機能の方にだが。
研究者達の癖のある文字を読み解くにはこの力がなければ難しかっただろう。
さて、あとはこれを持ち帰るだけ……というところで、
「……部屋に近づいている人がいます」
ファーラも戦士の末裔として加護を持つ。範囲は狭いが、人の気配を察知できた。
「急ごう!」
ワタワタと他の資料を棚の中に入れ込むも時間切れだ。
「別の出口から……フィア、覚えてる?」
先導したのはフィアだった。資料室のさらに奥、ただの物置部屋に置かれていた古い机をヨイショと蒼とファーラが動かすと、またもや床に扉が現れた。
「アオイ様はここからフィアと……裏庭の小さな石像の側に出ます。そこからの帰り道はフィア……わかるわね?」
「クゥン」
小さく返事をした。
「一緒に行かないんですか!?」
「この机を戻しておかなきゃ。それに、私がここにいても別におかしなことはないですから」
またフフフッと悪戯っ子のように笑うと、ではまた後ほど、と蒼を扉の中へと押し込みゆっくりと閉じた。
◇◇◇
「ファーラ様……どうしてこのようなところに」
しかもこんな時間に、と訝しむ声だ。
研究室のホルマリン漬けを覗き込んでいるこの家の次女の存在に、研究員は内心酷く驚いているが、カーライル家の人間と研究員達は最近対立が続いているためとりあえず強気に出ている。
この研究員は昨日から外出していたためアレクサンドラの嫌がらせの呼び出しが届いておらず、忘れ物をとりに職場へとやってきていた。
「私の家よ。どこにいたって勝手でしょうに」
「はぁ……まあそうですが……」
本当になぜこんなところに? と、研究員はいよいよ不審な声色になってくる。
「……自分がキメラになる時のことを考えているのよ。何と融合するのがいいだろうって。そう遠くないことでしょう」
「お嬢様……そんなことはありません。我々はなにもキメラのことだけを研究しているのではないのですよ。そこからわかる人の仕組みも多いのです」
今度は気を使うような口ぶりになった。彼は本気でファーラのことを気の毒に思っている。
彼女はもう長いこと病に侵されていた。年齢の割に幼く見えるのもそのせいだ。実際、彼女を治すための研究がおこなわれており、だからこそ、あの強硬手段ばかりとるアレクサンドラがこの研究室を潰していないのだ。
「それでも……私がキメラになる時は、昔飼っていたような黒い大きな犬と一緒になりたいわ……覚えておいて」
「……承知いたしました」
研究員は、ゆっくりと研究室を出ていくファーラを頭を下げて見送った。
◇◇◇
月明かりの下を、蒼は一人でコソコソと歩いている。フィアはすでに蒼の家の中。ファーラが蒼を屋敷まで案内するように伝えていたせいか、少しばかりフィアは渋っていたが、
「離れた街でも、黒い犬のことを覚えている人がいたわ。今はあまり他人の記憶を刺激しない方がいいと思うの」
そう伝えると、それもそうかも……と、納得したようだった。
例の資料も家の中へとしまいこんだ。あそこなら今更ボディーチェックされても見つかることはない。
「誰だ!」
見張りの兵士には案の定すぐに見つかった。今夜は来賓が多いからこそ、警備も厳重になっている。
(ふぅ……危機一髪ね……)
そうしてとりあえず両手を上げながら、
「アオイと申します。あの……ここはどこでしょうか? 散歩をしていたら迷ってしまって……」
オロオロと怖がって見せる。もちろん見張りの兵士は、うわぁ~という顔になっていた。アレクサンドラが連れてきた客人とあまり関わりたくなさそうな表情をしている。とはいえ、関わらないわけにはいかない。
「どうぞこちらへ……ご案内いたします」
「お手間をかけて申し訳ありません」
丁寧な蒼の態度に、兵士は驚いた顔を隠さなかった。
(今までどんな人達を連れ込んでたんだ……?)
彼女ならなんでもありそうだと蒼は笑いを堪えた。
その時、気持ちいい夜風が蒼の黒髪を揺らす。
「うわっ!」
「アオイ様!!!」
急に誰かに体を持ち上げられた。そしてそのまま連れ去られる感覚が。
蒼はすぐに相手が誰かわかった。この体温と匂いは、
「アルフレド!?」
「遅くなってごめんね! さっさと逃げよう!」
そう言うと、兵士など無視して颯爽とかけていく。というより、全く相手になりそうにもなかった。蒼を人質に取られたことを、彼女を巻き込んだことをアルフレドは静かに怒っている。
「わー! 待った待った! ちょっと待った! アルフレド! あなたやることがあるわよ!」
「……え?」
蒼がバタバタと体を揺らし、アルフレドを静止しようとする。
「嫡子になる気がないなら、それを譲らなきゃ」
「……アレクサンドラに?」
予想外にムスッとした態度になった。彼はまさか自分が嫡子のままだとは思っていなかった。その話自体が予想外。だが蒼がどうもあのアレクサンドラに肩入れしているような気がして、自分でも驚くことに、嫉妬という感情が湧いていることが彼にはわかった。それでより複雑な心持ちになっている。
「違う! ファーラに!」
「……どういうこと?」
「そうだぞアルヴァ。そのためにお前をここまで呼び寄せたんだ。アオイまで使ってな」
早くも姉上の登場だ。アルフレドの苦々しい顔と言ったら……。
「だいたいアレクサンドラはなんで屋敷にいるんだ。真っ先に対魔王軍に入ったと思ったよ」
拗ねるような口調だった。ちょっと嫌味も入っている。家族に対して不貞腐れモードのアルフレドはなんだか新鮮だと、蒼はじっくり観察することにした。
「それは父上に行ってもらった。日頃から英雄の末裔とは~戦士の末裔とは~などと偉そうに語っていたから本望だろうよ」
実にどうでもよさそうだ。だがその件に関しては蒼は複雑になる。翔の側にはできる限り強い人にいてもらいたい。例えば、アレクサンドラとか。
「ずいぶんうまく真実を隠したじゃないか」
「しばらく街中は歩いていない。だがお偉方はご存知だぞ。まあ私の怒りを買うのと情報漏洩、どちらを選ぶのが正しいかの判断はできているようでいい実験になったよ」
リデオンの街の有力者達や屋敷の使用人達はアレクサンドラがまだ屋敷に残っていることもちろん知っていたが、決して外にその情報を漏らすことはなかった。彼女は裏切り者には容赦しない。生まれてこの方、一貫していたので周囲はそれを非常によく理解していた。
兵士が続々と集まってくる。が、アレクサンドラが手を振って下がらせた。
「こっちに被害が出てもたまらん。無駄な損失だ。アオイ、悪いがアルヴァに説明してやってくれるか?」
チラリ……と、まだ少し拗ねているようだったが、アルフレドは蒼を地面へと下ろし話を聞く態度になった。ニヤニヤとするアレクサンドラの視線を感じながら、蒼はゆっくりと小声でアルフレドに言って聞かせる。
「後継者の……嫡子を変更するためには血判がいるんだって。で、アレクサンドラさんは家を出る予定があるから嫡子になる気はないんだって。だから残りは……」
「ファーラか……」
カーライル家にはなにかと決まりが多かった。特に嫡子に関しては、例の秘密の研究のこともあってか、他の家系よりもさらに揉めるのだ。そのため、血の契約という古より伝わる特別な魔法が使われていた。
そうして蒼は、そのままこっそりとアルフレドに耳打ちする。
「例のものは手に入ってる……皆の協力で」
一瞬、アルフレドは固まった。そしてチラリとニヤついている姉の方を見る。
「……わかった」
「よし。よくやったアオイ!」
へへへとアレクサンドラに褒められて照れている蒼に、アルフレドはまた何とも言い難い感情を抱くのだった。
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