第3章 いざ、異世界旅行へ

第1話 船の中

「うああああああ!!! 無理! 無理ぃぃぃ!!!」

「おっと!」


 蒼の叫び声は波音にかき消される。アルフレドが船の大きな揺れで吹っ飛びそうになる蒼の体をギュッと引き寄せた。蒼の心臓はドキドキと大きな鼓動を打っているが、残念ながら優しく顔のいい護衛と密着したからではなく、このジェットコースターの安全バー、ちゃんとロックしてるよね!? と考えている時のドキドキと同じものである。


「アオイはに戻っときなよ。俺ちょっと外に出て手伝ってくるから」

「そ、そんな余裕があんの!!?」


 もはや蒼はまともに立ってはいられなかった。揺れるという程度ではない。嵐の船を舐めていた。というよりも、船旅自体を舐めていた。これほど命懸けとは。経験が少なすぎて想定すらしていなかった。


「まあ船旅は慣れてるからさ」


 彼にとってはそれほど珍しい現象ではないらしい。蒼とアルフレドに割与えられた船の中の小さな部屋に置いてある二人の荷物は、本来の場所から遠くへと吹っ飛んでいる。これが普通とはにわかには信じ難い。蒼がかつて乗ったどんな乗り物よりも絶叫度が高いのだ。これが普通だと信じてたまるかと彼女は今思っている。


「気をつけてね……うあっ!」


 またも大きく地面が揺れる。目を見開いたまま叫びそうにいなるのを蒼はグッと耐えていた。そうして急いで胸元からなんとか金色の鍵を取り出す。


「何度見ても信じられないなぁ」


 しみじみとしたアルフレドの声が上から聞こえてくる。二人の目の前には大きな門が。

 蒼はアルフレドに抱えられたまま鍵穴を回し、抱えられたまま中へと入る。途端に地面は安定し、揺れはとまった。

 

「ふぅ……」

「外は嵐だねぇ」


 蒼の庭からは真っ黒な雲が渦巻いているのが見えた。そこでようやく蒼は護衛の腕から地面に降り立つ。彼女の持つ特別な空間はまるで透明なドームの中のようだった。


 蒼とアルフレドは昨日、トリエスタを発った。五日から一週間で目的地、水の都テノーラスに到着する。陸路ではなく海路を選択したのは、単純にその方が早く着くからだ。魔法使いがいるこの世界、それなりに安全に、そして安定した速度で目的地に辿り着けると蒼は聞いていたが、そもそもの安全基準が違うのだとやっと理解した。もう遅いが。


『陸路だと魔物や盗賊の遭遇率が高く、道が何かで塞がってたり、橋が落ちてたり、馬車がなかなかつかまらなかったりすることがある』


 という話を聞いたが、次の移動は時間がかかっても陸路にしようと思えるほどの酷い揺れが半日ほど続いている。 


「これ……船、沈まない?」

「たぶん大丈夫! この船の乗組員、腕がいいよ」

「たぶんかぁ~」


 蒼の家は船と一緒に移動している。このまま船ごと沈んだら……想像を続けるのは怖い。だから蒼は考えるのをやめた。心配して彼女にどうこう出来ることではない。最近は心配のし過ぎで心配することにも慣れてきていた。


「夕飯の時間には一度部屋に出るね」

「わかった! その時間には俺も一旦に戻るようにするよ」

「今日はカツカレーにしよっかな」

「カツも!!? 豪華だね!!!」


 ウキウキとしながらアルフレドは荒れ狂う海に浮かぶ船へと戻っていった。

 

「夕飯時に嵐がおさまってますように!」


 蒼はアルフレドを見送りキッチンへと向かう。

 さて、蒼はこの船の中でも商売を続けるつもりでいた。トリエスタでの商売の収入はかなり順調だったが、路銀はいくらあってもいい。


(なんだかんだ、バジリオさんのおかげでテラーノス直通の商船に乗せてもらえたのは大きいのよね)


 船旅に言いたいことはあれど、目的地に辿り着くまでの旅費がかなり浮いたのも事実。次の街でも商売がうまくいくとは限らないので、節約できるところは節約もしたい。


「いっつもサイズが迷うところなのよねぇ」


 今日はレモンパイ。昨夜のレモン果汁を使ってレモンカードをすでに作っているので、あとは蒼のお得意、冷凍パイシートで包んで焼くのみ。蒼個人としてはメレンゲをのせたものを食べたいところだが、そうすると流石に船の中に持ち込んだ品物には見えない。


(ビタミン何が足りなくなるんだっけ……A? B? C?)


 曖昧な元の世界の知識で思い立ったメニューだ。船員からこれを食べるといい、とオレンジに似た柑橘系のフルーツを渡されて思い出した。


(大航海時代に船乗りがかかった病気……うーん思い出せん……)


 食事は持ち込みしていると伝えているので船員たちと一緒に食べることはないが、旅の携行食は陸路とそう変わらないのだと蒼は昨日知った。

 ただこういった魔法使い同伴の大型船や大型の馬車で旅する時は保冷庫を持ち込むことがあり、そこに食材をいれこんでいるのでいくらかは食生活がマシではあり、アルフレドは氷魔法が使えることをアピールし、そういった船によく乗っていたとちょっと恥ずかしそうに話していた。


「お疲れ様~」


 蒼は庭から空を眺め、ホッと息をつきながら船の中へと戻っていた。ついに嵐を抜け、綺麗なサーモンピンクの夕焼けが見えていたのだ。


「蒼もお疲れ! なんかいい匂いするね」


 蒼が手に抱えている箱にアルフレドはついつい視線がいってしまう。アルフレドは鼻がきく。


「レモンパイ。売りに行こうかと思って」


 おひとつどうぞと手渡すと、彼は満面の笑みで受け取って一口で食べてしまった。


(やっぱりちょっと小さかったかな)


「んんん~~~! 甘酸っぱくて美味しい~~~!!!」


 蒼のパイは贅沢に頬張ると幸福感が上がるのだとアルフレドは熱心に語り始めた。口いっぱいに美味しいものを噛み締めることがどれほど素晴らしいことか、と。


「これは前食べたジャムとは違うよね?」

「そうそう、ちょっと違うんだけど……よく気がついたね~」

「そりゃあ気づくよ!」


 珍しくアルフレドは得意気だ。


「疲れた体に染み入るなぁ」

「そう? そしたら船員さんに差し入れ……」

「うーん……商売の挨拶に船長にいくつか渡すのはいいけど、船員にまでタダだと目立っちゃうかもしれないなぁ」


 蒼の他にも個人の商人も多く船に乗り込んでいることをアルフレドは心配していた。彼女のお菓子は高価なものを差し入れているのと同じということなのだ。


「金のある人間と思われちゃうってこと?」

「そうだね。まあ俺がいるけど、変な気を起こす人間はいない方がいいし」


 自衛は必要。そう言われるとそうだと、蒼はちょっと残念そうに納得した。あの嵐の中この船を沈めなかった彼らにお礼をしたい気分でもあったのだ。 


「いつも通り銅貨一枚でいいと思う。これ砂糖いっぱい入ってるだろ? 安いと出所が探られちゃうよ」


 船の甲板には船員だけでなく商人たちも出てきている。特に嵐が去ったので出てきている者も多いはず。そこで商売をするのなら、嗅覚のいい商人に買われることは避けれらない。

 トリエスタでは神殿にやってくる街の住人が大多数のお客だった。聖水を買いにくる商人もいたが、そのほとんどが下働きだったので、値段の根拠を深く探る者もいなかった。だがこの船は違う。


(プロばっかってことかぁ)


 商人としてはど素人の自分が太刀打ちできそうにはないと、あっさりとアルフレドの案を受け入れた。


 だが甲板に上がってみると、プロの商人たちはことごとく海のほうに顔を向けている。青い顔をして。


(そういえば私、船酔いしてない!)


 あれだけ大荒れの中船にいたというのに。元の世界で乗った船で、思いっきり酔って何も楽しめなかったことを思い出し、リルケルラの加護にこれ以上ないほど感謝したのだった。


 結局商人たちには食べ物のことなど考えたくないと、蒼のレモンパイは見向きもされなかった。


「えーっ!」

「じゃあ俺が……」


 だが船長が蒼からご挨拶として受け取ったそれをいたく気に入り、船員のために嵐を乗り切った労いとして全て買い取ってくれ、見事売り切れとなった。

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