第5話

タウンハウスの扉を閉め、プリムファを下ろして、すぐに抱きしめ直す。プリムファは何も言わずに黙ったまま抱きしめられている。固まってるようにも思えたが、今のエヴィに彼を気遣う余裕などなかった。

僕の知らない彼女との時間が憎い。自分の方が大切にしていたはずなのに、名前を先に呼ばれた彼女が憎い。彼女の名を呼んだプリムファが憎い。あの場でプリムファの声を聞いた奴らも憎い。僕だけの、僕だけの可愛いプリムファだったのに。プリムファの笑顔は誰のものだったのか、今はその笑顔すらも憎い。けど、僕だけに向けてほしい。他の誰にも、その声も姿も見せないでくれ。

憎さと、胸を切り刻むような恋しさが入り交じる。ドロドロとした気持ちをプリムファに知られるのが怖くて、彼の顔を見ることができないまま抱きしめ続ける。

「僕じゃ君の一番にはなれないのかな」

「......」

返ってこない返事に虚しさが増し、いたたまれなくなる。

何故なんだ......僕じゃだめなのか。

彼と過ごしたひと夏の間、着替えも食事も、寝るときも、片時も彼の傍を離れずに慈しみを注いだことで、心を開いてくれたと思ったのは、勘違いだったのだろうか。

負の感情に押しつぶされそうになっていたエヴィだったが、ある出来事を思い出す。ひと夏の間ずっと傍にいたが、一回だけどうしてもと招待された舞踏会に一人で足を運んだ時があった。帰りが遅くなるから、と。プリムファに夕食を摂って先に寝るよう言っていたのだが、舞踏会から帰ってくると部屋の明かりが煌々と灯っていたことに驚いた。まさか起きていてくれてると思わず、サプライズのような嬉しさに部屋まで足早に向かう。部屋の扉を開いて目に飛び込んできたのは、プリムファの為に準備された夕食、傍らに置かれた寝巻、そのテーブルの横にはプリムファが感情を落としたような顔で佇んでいた。舞踏会に行く前と変わらない光景に言葉を失っていると、帰ってきたエヴィに気づいたプリムファと目が合う。彼は柔らかく微笑み、エヴィに近寄り抱きしめると、帰ってきたことがよっぽど嬉しかったのか、抱っこをせがむようにくっついてくる。

「なにも食べていないのか」

戸惑いつつも、プリムファを抱き上げ問いかけると、首は縦に動く。

「待っていたのか、僕がいないと何もできないなんて」

冗談交じりで言ったつもりだったが、首を縦に動かしたプリムファは大きな瞳でエヴィを覗き込む。そしてまた、頷く。まるで、言い聞かせるように何度も頷くプリムファ。彼は、僕がいないと生きていけない……? その時、エヴィの中で何かのスイッチが入る音がしたのだ。

「僕がずっと傍にいるよ。きみの為に」

そう言ったエヴィを、包むように抱きしめるプリムファを抱きしめ返す。

過去の出来事と重なるように、プリムファがエヴィを抱きしめているのに気づいて、現実に引き戻される。

「僕だけを見て……僕の名を呼んでよ……」

懇願するその声は震えていた。

「プリムファが僕なしでは生きられないように、僕もきみなしでは生きられなくなったみたいだ。誰のものにもならないで、僕だけのでいて」

返事など要らなかった。いつものように自分と同じ世界に一緒に堕ちればいいだけだ、と返ってこない好意に言い訳をする。何もしらないまま、一緒に堕ちてくれ。初めから、世界には二人しかいないかのように……。

「メン、ティ、ラ、さま…」

たどたどしく紡がれた、プリムファの声は鈴のように可愛らしい。しかし、その名はエヴィの本当の名ではなかったことに落胆する。嘘の塊だ、愉悦しか貪ってこなかった、人間を見下していた、そんなエヴィが、たった一人に愛されたいなど、過ぎた想いは破滅だったな、と自嘲気味に笑う。

「名を呼んでくれて嬉しいよプリムファ。でもエヴィって呼んでくれないか」

破滅でもいい。この嫉妬の感情に焼かれてもいい。管轄する立場を追われてもいい。もう、プリムファさえ、僕の傍にいれば何でもいい。

「エ、ヴィ…さま」

感嘆の息が漏れる。名を呼ばれるのが、エヴィだけを見つめてくれていることがこんなに気持ちのいいものなんて知らなかった。

エヴィはうっとりとした表情で微笑むと、プリムファの顎を持ち上げて唇に吸いつく。赤く熟れたプリムファの唇は柔らかく仄かに甘く、貪るように何度も味わう。エヴィよりも小さいプリムファは必死で上を向いて、キスを受け止めている。その姿が健気で、エヴィの嗜虐心をくすぐる。このまま、全てを奪ってしまいたい、その目にエヴィしか映させないようにしたい、エヴィしか考えられなくなればいい。そんな考えが過ぎり、そして決心する。

本当に堕としてしまおう、僕の世界に。そして、閉じ込めてしまえばいい。愚かなことだとわかっていても、プリムファとエヴィの間に他者が入り込む隙を許せなかった。

「プリムファ……行こう」

どこへ行くのかと言うように、縦でも横にでもなく、曖昧に尋ねるかのように首を傾けるプリムファ。

「二人だけの世界、かな」

要領を得ない顔でこちらを見つめていたプリムファだったが、やがて絞り出すように言葉を紡ぐ。

「エ、ヴィ……さま、となら、どこに……で、も」

「可愛いプリムファ、きみの全てが欲しいんだ。ずっと一緒だよ」

契約の印が結ばれたかのように、幾何学模様の陣が足元に現れ、仄かに光を放ったかと思うと、二人の姿が消える。

残ったのは、簡素なタウンハウスには過ぎた、華美な家具と、ついこの時まで人が住んでいた痕跡のみだった。秋口の散歩帰りの体を癒やすよう温められた空気さえ、そのまま置き去りにされた。


下界の遥か深く、奥まった所にエヴィの居城はあった。あれだけ人界に遊びに行くのが好きだったエヴィが、その居城に篭っていることに他の罪たちも不思議がっていたが、外に出ているエヴィに会った罪の一人の話によると、さらにたちが悪くなったと話していた。

「愛する人が出来たんだ。誰にも見せたくないし触らせたくないから城に囲ってるよ。愛する人の世界に僕しかいないなんて最高に幸せじゃない?」

それから先も、誰ひとりとしてエヴィの愛する人を見たものはいなかった。

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七つの物語 嫉妬編 @poqco

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