第4話

始めは興味本位だった。社交界では誰もが囀り、蔑み、妬み、嫉んでいるのに。プリムファは何も言わずに佇み、その瞳には何も映さず、人形のような様に異質さを滲ませていた。その人形に惹かれ、そばに置いてみようと取引をしたのはつい先日のことのようだ。

ただ日々を過ごすうち、この子から湧き出る感情を教授したい、純粋な喜怒哀楽どれでもいい、僕に向けて欲しいと願うようになっていることに戸惑いを感じていた。

今まで、醜い感情を愉しみに人界に現れては掻き乱して遊んでいた自分が、純粋な感情を欲しているなんて......。

そんなエヴィの気持ちの変化などお構いなしに、今日もプリムファは柔らかな微笑みを携えて都市施設の植物園の花たちを眺めている。

可愛い。それ以上の言葉など思いつかなかった。

プリムファと過ごすようになって、もうすぐ夏が終わりを告げ、秋の涼しい風が吹き抜け、赤く染まりつつある葉を揺らしていた。彼はひと夏でさらに美しさを増した思う。

か細く折れそうな体は、全体的に肉がつき、不自然に白かった肌も、頬がピンクに色づいたことで、赤い唇がより映えるためにあるかのようだった。人形そのものだった彼は、人形のように可愛らしい彼に変わりつつあった。表情も分かりやすく豊かになったと思う。言葉を持たないプリムファの表情は裏表なくはっきりしており、エヴィにストレートに伝わる。その心地良さといったら、何ものにも変え難い愉悦を与えてくれた。

「ここの花たちは綺麗かい?」

プリムファは口角をキュッとあげて、大きな瞳を輝かせて頷く。穏やかな晴れ間に、外へ連れてきてよかったとこちらまで頬が緩む。

「あら、伯爵......?」

声をかけてきたのは、クラリネス嬢だった。久しぶりに見る彼女の表情は暗く、鬱屈した気持ちを隠せずにいるのが分かった。咄嗟ではあったが、自然にプリムファを背に隠して彼女を向き、挨拶をする。

「ごきげんよう、クラリネス様。本日は植物園で散歩でしょうか」

「ええ……気分転換も兼ねて。伯爵もでしょうか」

「そうです。涼しい風にも当たりたくて」

「……伯爵、実はあなたを探していたのです」

そう言ったクラリネス嬢はどこか焦った様子だ。次の言葉を次ごうとした彼女の目が、エヴィの背中に隠れているプリムファに留まった。

「まさか、その子は、わたくしの……」

「ああ、そうです」

わたくしの、という言葉に心臓のあたりがひりつく。

「な、んででしょう。私、伯爵に頂いた力で、初めはうまくいっていたのです。ステラ様の嫉妬の心を増幅させて、公の場で暴言を吐くように致しました。あれよあれよとステラ様の評判は落ちていきましたが、新たに他の方が社交界を支配されるのです。次から次にと……その度に陥れ、盤石の地位を得ようともがきましたの……」

大方予想はついていた。嫉妬を増幅する力は、人間には過ぎたものだ。使い続ければいずれはその力に飲まれ、自身の嫉妬も増幅させコントロールがつかなくなるのだ。俯いていた彼女が、勢いよく顔をあげると、傍にいた侍女が小さく悲鳴をあげる。その侍女が気にくわなかったのか、平手で仕置きをしたと思うと、そのままプリムファに近づこうとしている。

「御戯れを、この子は今は私の従者です」

「なぜ、わたくしはこんなにも辛いのに、その子はのうのうと幸せそうにしているのです」

その声は震え、目は吊り上がり、瞳には妬みの炎が燃え上っている。

「わたくしは、……なぜ一番になれないのでしょう。社交界一の華になればあなたに振り向いてもらえると思っておりました。なのに……なぜその子なのです!何も持たぬ、その子なのです!」

まずい、と思った時には既に遅く、彼女の振り上げた手は、プリムファめがけて振り降ろされる。

「クラリ、ネス、さ、ま」

肌と肌が思い切りぶつかる音がした。

エヴィは、プリムファが殴られたことにも強い怒りを感じていたが、それよりももっと醜い感情が身の内から零れ出そうとしていた。


「いまのは?」


問いかけるエヴィの声の響きは、地の底を這うように低い。普段と様子の違うエヴィにその場にいる全てのものが固まったように動けなくなる。野次馬のように集まった人々でさえ、声をあげる者は一人もいなかった。

「わたくし、悪くありませんわ……」

狼狽えるように訴えるクラリネス嬢は、エヴィに見つめられると、冷たい空気でも吸い込んだかのように喉を鳴らして押し黙る。確かに秋にしては空気が冷え込んでいる。周りの人々も体を震わせていた。

「クラリネス様、いくらなんでも他者の使用人に手をあげるのはいかがでしょうか」

「わ、わたくしは……」

「過ぎたる力は身を滅ぼすと、身に染みたでしょうに」

エヴィは、自身の身の内から溢れている感情を持て余していた。

目の前の女を張り倒してしまいたい怒りと、周りの野次馬から不躾な視線を向けられていることへの怒りが沸々とこみ上げ、飲み込まれまいと珍しく必死で抗っていた。

しかし、そんなことよりも、初めて言葉を発したプリムファに対して、なぜ自分の名前ではなかったのか、僕よりも彼女の方が大事にしていたと? 僕よりも彼女の方が、君の心を占めていたと? 次々に溢れだすまさかとも疑いたくなるような嫉妬に心を囚われてしまっていた。

震えるクラリネス嬢の耳元で、「破滅への扉は開いてますよ」と。

暗澹たる生活の中で最後の支えであっただろうエヴィが言葉で突き放すと、その場に膝から崩れ落ち、子どものように泣きわめきだす。野次馬の中に彼女に手を差し伸べる者はいなかった。

クラリネス嬢とエヴィの間で固まったままのプリムファを抱えあげると、集まった人々をかき分けるように植物園を後にする。

プリムファがエヴィの服をぎゅっと掴んで何かを訴えようとしていたが、今言葉を交わせば、プリムファにまで心無いことをいいそうで、無視を決め込んだ。

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