第8話「詐欺師は流転する」(ピカレスク)

 十八世紀末のパリ。ルイ十六世の首が転がった年、セーヌ川のほとりで一人の男が佇んでいた。ボロボロの燕尾服を纏い、くたびれた山高帽を被っている。その名はクロード・ル・フルベール。無一文の詐欺師にして、元貴族の落胤だ。


 「ああ、何と素晴らしい香りか」


 クロードは高級レストランの前で立ち止まった。店主が得意げに答える。


 「今宵の特別料理、フォアグラのコンフィでございます」


 クロードの目が狡猾に光った。


 「失礼ながら、私はかの有名な美食評論家ブリア=サヴァランの弟子でして。ぜひ一皿いただきたいのですが」


 店主は色めき立った。


 「まさか! ブリア=サヴァラン様の弟子とは。どうぞお召し上がりください。代金は後日で」


 クロードは優雅に頷いた。


 「感謝いたします。きっと素晴らしい評を書かせていただきますよ」


 そう言って、クロードは高級料理を受け取ると、颯爽と立ち去った。


 その夜、橋の下で料理を頬張りながら、クロードは独り言を呟いた。


 「ふん、貴族も平民も、結局は食う者と食われる者の差でしかないのさ」


 翌朝、クロードがパリを出ようとした矢先、突如として怒号が響いた。


 「そこの詐欺師め! 覚悟しろ!」


 振り返ると、レストランの店主が革命派の暴徒たちを引き連れて追いかけてくる。クロードは全力で走り出した。


 「くそっ、まさかこんなにすぐ正体がバレるとは。フランス革命のご時世に、貴族の真似事をしたからかもな!」


 石畳の路地を駆け抜け、屋根を飛び越え、クロードは必死に逃げ回った。そして、ついにノートルダム大聖堂の塔に追い詰められた。


 「降りてこい、インチキ野郎!」


 暴徒たちが迫る中、クロードは高らかに叫んだ。


 「諸君! 私を捕らえたいのはよくわかる。だが、その前に一つ問わせてくれ」


 クロードの声に、追っ手たちは足を止めた。


 「君たちは何のために革命を起こしたのだ? 自由か? 平等か? 友愛か? それとも、単なる略奪の快楽か?」


 群衆が言葉につまる中、クロードは畳みかけた。


 「私は確かに詐欺師だ。だが、君たちだって毎日嘘をついているだろう。政治家への忠誠や、隣人への偽りの友情。それらと私の行為に、本質的な違いはあるのか?」


 静寂が広がる。そして、クロードは情熱的に語り始めた。


 「我々は皆、この世界という大きな詐欺の犠牲者なのだ! 王政も、革命も、全ては虚構にすぎない。真の自由を手に入れたいのなら、まず自分の心に嘘をつくのをやめるべきだ!」


 驚いたことに、群衆から拍手が起こり始めた。


 「あいつの言うとおりだ!」

 「俺たちも考え直さなきゃな」

 「詐欺師のくせに、妙に説得力があるぜ」


 騒然とする群衆の中、レストランの店主が前に出た。


 「貴様、名は何という?」


 「クロード・ル・フルベールだ」


 「クロード、貴様は確かに悪党だ。だが、我々に大切なことを教えてくれた。これからは、パリの道化師として働かぬか?」


 クロードは一瞬驚いたが、すぐに狡猾な笑みを浮かべた。


 「ふん、まあ悪くはない話だ。やってみるとしよう」


 こうして、クロードは一夜にしてパリの人気者となった。彼の機知に富んだ話術と哲学的な洞察は、やがて評判となり、遠方からも人々が訪れるようになった。


 そして一年後、革命の嵐が静まりかけたある夜、クロードは密かにパリを去っていった。後には、大金を持ち逃げされた市民たちと、彼の言葉に感化された若者たちだけが残された。


 マルセイユ行きの馬車の中で、クロードはつぶやいた。


 「さて、次はどんな舞台で踊ってやろう。この世界という茶番の中で」


 馬車は闇夜に消えていった。クロードの旅は、まだ始まったばかりだった。


(了)

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