第5話「幻想の極北」(SF)

 ジョン・スミスは、薄暗い書斎で原稿用紙を睨みつけていた。机上の古びたタイプライターから、規則正しく文字が並んだ用紙が溢れんばかりに散らばっている。彼の双眸は、40年間の人生で積み重ねてきた疲労と、今まさに完成させようとしている作品への期待で、異様な輝きを放っていた。


「これで……これで完成だ」


 彼は呟くと、最後の一文字をタイプした。カチャリ、という音と共に、彼の人生をかけた作品が完成した。


 ジョンは、売れない作家だった。しかし、今回の小説には並々ならぬ自信があった。歴代の名だたるSF作家にも劣らぬ傑作だと、彼は固く信じていた。


「きっと、これで認められる……いや、世界が変わる」


 彼は原稿を丁寧に束ね、出版社に送る準備を始めた。その時、彼の視界の端で何かが光った。振り返ると、窓の外の夜空に見慣れない星座が瞬いていた。一瞬の違和感を覚えたが、疲れのせいだろうと彼は首を振った。


 数週間後、ジョンの元に一通の封筒が届いた。差出人は、彼が原稿を送った出版社だった。手紙を開く手が小刻みに震える。


「拝啓 ジョン・スミス様

 

 この度は、貴殿の作品『現実という幻想』をお送りいただき、誠にありがとうございます。

 

 当社の編集部で慎重に検討いたしましたが、残念ながら今回は掲載を見送らせていただくこととなりました。……」


 ジョンは、それ以上読み進めることができなかった。また、駄目だったのか。彼は椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。


「なぜだ……? 今回こそは自信があったのに……編集部の目は節穴か……!」


 落胆と怒りが入り混じった感情が、彼の中で渦巻いていた。頭がズキズキと痛む。そして、その痛みの中で、彼は何かがおかしいことに気づいた。


 その時、彼の目に小さな付箋が留められているのが見えた。そこには編集者の手書きのメモが残されていた。


「スミスさん

 

 正直に申し上げます。あなたの作品は驚異的です。しかし、私たちには掲載する勇気がありません。なぜなら、これは単なるSF小説ではないからです。あなたが描いた未来……それは、私たちの現実そのものなのです。


 政府からの圧力で、この事実を公表することはできません。しかし、あなたには真実を知る権利があります。どうか、これからも書き続けてください。そして、真実を隠し続けることの是非を、あなたの作品を通して問いかけてください。


                   編集長 サラ・ジョンソン」


 ジョンは、目を疑った。自分が書いた小説が現実? そんなはずはない。しかし、この編集長のメッセージには切実さが滲んでいた。


 彼は急いで自分の書いた原稿を開いた。そこに描かれていたのは、テレパシーによるコミュニケーションが一般化し、人々の思考が政府によって管理される近未来社会。そんなディストピア的世界が、本当に現実だというのか?


 ジョンは、自分の額に手をやった。そして、初めて気づいた。彼の頭には、小さな金属製のデバイスが埋め込まれていたのだ。指先で触れると、それは確かな存在感を持っていた。なぜ? なぜ今まで気づかなかったのか? あたかもロボットのように操作されていたかのごとくに?


(これは……テレパシー・インターフェース? まさか、僕の小説の設定そのもの……?)


 突如、彼の脳裏に見知らぬ声が響いた。


「その通りです、ジョン。あなたは真実に気づきました。私たちは長い間、あなたの才能を利用してきました。あなたが書いた『フィクション』は、実は抑圧された記憶の断片だったのです」


 ジョンは、自分がいつの間にか、壮大な陰謀に巻き込まれていることを悟った。いや、むしろ彼自身がその陰謀の一部だったのかもしれない。彼の人生は、今この瞬間から大きく変わろうとしていた。


 窓の外を見ると、先ほど見た見慣れない星座がより鮮明に輝いていた。そして彼は気づいた。あれは星座ではない。宇宙船だったのだ。


 ジョンは深呼吸をし、決意を固めた。


(よし、行こうじゃないか。現実という幻想の彼方へ)


 彼はタイプライターに向かい、新たな物語……いや、真実を書き始めた。政府の監視の目をかいくぐりながら、彼は真実を世に知らしめようと決意したのだ。


 しかし、彼の脳裏に再び声が響く。


「ジョン、気をつけたまえ。真実を知ることは、時に危険を伴う。そして、真実こそが最大の幻想かもしれないのだよ」


 ジョンは、ふと不安を覚えた。自分が知った「真実」さえも、また別の幻想なのではないか? しかし、もはや後戻りはできない。彼は、この途方もない現実と幻想が交錯する世界で、真実を追い求める旅に出るのだ。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る