第13話
私たちが洞窟から出ると、海の向こうにまだその体の半分ほどを地平線に隠した太陽が目に入った。
本当にあの景色は、太陽の出始めたほんの数分しか現れないものだったのだ。
改めて先ほどの光景を、決して忘れないように心へと刻み付ける。
何度も思い出して、美しい思い出になるように。
そんな昇りかけた太陽の様子から感傷に浸っている私を見て、ヘルメスは少し不思議そうにしている。
どうやらこういった情緒は、ヘルメスにはわからないらしい。
こんな小さなことから人間である私と、アンドロイドである彼との感覚の違いを感じる。
この違いが面白くもあり、少しさびしさも感じる。
この先この違いが埋まることはあるのだろうか。
『…?どうかしたのかい?』
「ううん。何でもない」
ヘルメスはうーんと頭をかいているが、私はあえて説明しないことにした。
こういうのは自分で気づいてほしいと思うから。
そんなやり取りをしながら私たち三人は、岩場を離れ砂浜まで戻ってきた。
朝日に照らされた砂浜は先ほどとはまた違った美しさがある。
この景色はきっと何十年も前から変わらずここにあって、昔の人々も同じように美しさを感じていたのだろう。
海から吹く風に少し寒さを感じながらそんなことを考えていると、おもむろにニコが自身の背負っていた荷物から少し大きめな円筒形の箱を取り出した。
「それは?」
ニコがその箱を開けると、その箱の中には白い粉のようなものが入っていた。
『館長の遺灰です。生前、館長にここに来ることがあったら海に流してほしいと頼まれていたんですよ。どうせこんなことで死ぬのなら、死んだあとは自分の見た最も美しい場所で眠りたいと』
「それが出発するときに行っていた約束?」
『はい、これでやっと館長との約束を果たせます』
そういってニコは大切そうにその遺灰を抱え海へと歩いていく。
私はそれ以上ニコには質問せず、そんなニコの様子を黙って見つめていた。
まだまだ知らないことだらけの私でも、これがニコと館長との最後のお別れなのだということは理解できた。
最後のお別れは、二人だけでした方がいい。
そう思ったのだ。
ニコがゆっくりと箱を傾け、箱の中から遺灰が海へと流れ始める。
青く透き通っていた水が白く濁ってゆく。
しかし、それも一瞬のことで何度か波が流れた後にはまた、透き通った海が広がっていた。
館長さんの遺灰は海へと溶けていき、彼の望み通りこの海岸で眠りにつくことができたのだろう。
すべての遺灰を流し終わりニコが空になった箱を抱えて戻ってくる。
『お待たせしました』
「しっかりお別れは言えた?」
『はい、それはもう』
ニコは満足そうに答えた。
「でも、ニコはこれでよかったの?これで館長さんとは本当にお別れになっちゃったんでしょう?」
数十年、ニコは館長さんの遺灰を持っていた。
彼にとってこの遺灰は館長さんのいなくなった世界で、館長さんを感じさせる大切なものだったんではないだろうか。
『確かに寂しくはあります。ですが私は、私の思い以上に彼の望みをかなえてあげたかったのです。彼の望みをかなえることがたくさんのものをくれた彼へのせめてもの恩返しになると思いますから。』
「そっか」
彼の中で納得がいっているのなら私がこれ以上何か言うのは無粋なことだろう。
結局これは彼自身が納得できるかということでしかないのだから。
『それに、寂しさを埋めてくれるものはもうたくさん持っていますから』
「写真のこと?」
『はい。前にも言いましたがこういうところが私の写真が好きな理由です。特別ではなかった時間が特別になったときに、改めて見返すことができる。特別だった時間を何度だって鮮明に思い出すことができる。だから私は大丈夫ですよ、大切なことはすべて館長が教えてくれましたから』
ニコはとてもうれしそうに胸をたたく。
そんなニコの誇らしげな様子に私は少し驚いたがすぐに微笑みを浮かべた。
確かに写真はいいものだ。
その時の景色を未来に運ぶだけじゃない。
その切り取られた過去が未来を進むために背中を押してくれるんだ。
『ああ、そういえば。これをあなたに渡そうと思っていたんでした』
ニコがほとんど空になった荷物の中から何かを取り出す。
それは一台のカメラだった。
「このカメラを私に?」
『はい、これから先にあなたが歩く道が少しでも特別になるように』
ニコからカメラを受け取る。
そのカメラは少し古いものだったが、よく手入れされておりニコが大切に扱っていたことが感じられた。
このカメラで多くのものを撮影しよう。
この先であったものが、未来で特別になるように。
「ありがとう、ニコ」
『いえいえ、こちらこそ』
◇◇◇
砂浜から出た私たちはここで別れることになった。
次の町が歴史館に戻るよりもここから移動したほうが近かったからだ。
ニコの所有権の問題はどうなるのかとヘルメスに聞いたところ、どうやら仮所有者登録を解除すると、元のところまで強制的に帰らされるそうで帰りは同行する必要はないらしい。
「ねぇ、ニコ。本当に写真は撮らないの?」
『ええ、思い出として記憶しておきたいんです。』
ニコの思いは理解できる。
ニコが話してくれたように、写真を撮ると特別でなくなってしまうのが嫌なのだろう。
でも…と思ってしまうのはわがままなのだろう。
これ以上は迷惑だな。
「そっか」
『はい、今回の旅は館長が生きていたころを思い出せてくれるくらい良い旅でした。この数十年誰一人として訪ねてくる人のいない中、待ち続けてよかったと思えるほどに。この数日間は…あなたたちとの出会いは間違いなく特別な日々になりましたから』
ニコは私を納得させるためにそういったのだろう。
しかし、私はニコの言葉にハッとした。
この数十年、ニコは一人であの博物館でお客さんが来るのを待ち続けたんだろう。
その期間、彼は一体どんな気持ちで来るはずのない人々を待ち続けたのだろうか。
あの歴史館の様子を思い出す。
もう人が来なくなってずいぶん経つのに、そうは感じさせないほどきれいに掃除されていた。
彼もわかっていたはずだ。
もう誰も訪ねてこないことが。
それでもそんなことを続けていたのは、館長の大切にしていた歴史館を守りたいという思いだけだったのだろうか。
いや、そうではないのだろう。
ただの寂しさもあったのではないだろうか。
誰かに訪ねてきてほしいと。
だから外から見ても目に付くようにしていたのではないだろうか。
「ヘルメスっ、このカメラ持って」
『おっと』
私はヘルメスにカメラを押し付ける。
「ニコはこっち」
『はい?』
突然の私の行動に困惑し、ニコもヘルメス訳が分からずされるがままになっている。
『ヘルメスはそのまま私たち全員が入るように腕を伸ばして…そのままシャッター』
減るメスが困惑しながらも言われた通りに行動する。
カシャッとシャッターが切られ一枚の写真が現像。
その写真には一人の笑顔の少女と二人のアンドロイドが写っていた。
私はその写真をニコへと手渡した。
『あの…どうして…』
ニコが私の行動に思わずといった様子で尋ねる。
「ニコ…思い出になるっていうのはとても素敵なことだと思う。でもね、私は何度も何度も写真を見返すことで、私たちがあなたにとって特別だった過去じゃなくて、今現在当たり前にいる友人にしてほしい。そうすればそれはきれいな思い出ではなくなってしまうかもしれないけれど、きっと楽しい今になると思うから」
『…友人、…私がですか?』
「うん、私にとって初めての友達」
ニコは手の中の写真を見つめる。
その構図はかつて何度も見たことのあるようなもので、それが逆に現実である今を想起させていた。
『…わかりました。ではそうしてまたあなた方が今度は旅の写真を持って訪ねてくるのを待っていることにします』
「うん、待ってて。次会った時には今度は私が素敵な旅の話を聞かせてあげるから」
『はい、お待ちしています』
ニコの声は心なしか嬉しそうに聞こえた。
別れの挨拶を済ませ、私たちはそれぞれの目的地へと歩を進める。
珍しく晴れた青空は、私たちの今の心を表すかのようにどこまでも澄んでいた。
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