第27話 みんながいるから寂しくない

 このエッセイは、どの自主企画にも参加していない。ましてカクヨムコンテストにもエントリーしていない。だから好き勝手に書ける。しかしただのひとりごとになってしまっては、書く意味も、読んでいただく意味も、ないと思っている。

 現在は、このエッセイを書く以外は、交流のある方々や、同じ自主企画に参加している方、拙作に応援や評価をくださった方々の作品を読む毎日を過ごしている。その中で気づいたことを書きたい。

 気づいたこと一つ目。作品にレビューを書きたくなる時がある。その時、私の脳内には、その作品のあらすじが明確に記憶されている。そしておすすめしたいポイントも鮮明に記憶されている。ネタバレにならないように留意して書かなければならないが、不思議なことにネタバレしない推薦文が脳内で構築される。つまり、私にとってレビューを書きたくなるような作品とは、あらすじがはっきりしていて、アピールしたいことが明確な作品なのだ。

 二つ目。応援コメントを書くのは難しい。感想を書くのはもっと難しい。★をプラスしようかと迷う時は、時間をおいてもう一度読み返している。もともと私は目の前で展開する物語を、ただひたすら、まるごと、受け入れるたちである。細かい点はあまり気にならない。違和感を覚えたとしても、最後まで読む。

 ところが、コメントや感想を書く段階になると、言葉が脳内に散らばり、集めきれなくなる。だから、ただ、★をプラスするだけのことが多い。

 しかし、コメントや感想を書き残すこともある。先日も縦縞ヨリ様のエッセイ『「カクヨム……!!」※非公式』最新話(十二月一日現在)に、長文のコメントを残した。残した理由は、その内容に、笑いが止まらなかったからである。大いに共感したからである。ショートショートくらいの文字数で書いてしまった。もしご興味がわいたなら、ご一読ください。エッセイそのものも、創作する側ならばうなずける内容ばかりである。縦縞様は説得力ある文章を説得力ある構成でつづり、なおかつどのような読者にも受け入れやすい雰囲気があるので、私は愛読している。

 読む人の心を揺り動かす文章をあらわすためには、相応の熱量が必要になる。カクヨムにつどうのは、感性を常に研ぎ澄ませている方々ばかりである。喜びも悲しみも、自分を守るために感性を鈍麻させた人よりも、強く深く感じる方々ばかりであろうと想像する。私もその一人だ。カクヨムで書くことを知らなければ、一人でノートに心情を書きつらねる寂しい毎日だったろう。

 今は寂しくない。子供みたいな言い方になるが、みんながいるから。

 みんな、ありがとう。


 縦縞ヨリ様のエッセイ『「カクヨム……!!」※非公式』はこちら

 https://kakuyomu.jp/works/16818093075771976879


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