第15話 カクヨム三方良し

 連載を終え、今は、このエッセイを「カク」ことのほかは、「ヨム」ことに専念している。

 ヨムことを続けているうちに気づいたことについて今日は書き残しておきたい。この文が誰かの助けや気づきに資するならば幸いである。


 私は今まで、カクことやヨムことに集中するあまり、自分の思いだけが先走っていた。そのことに気づいたのが今日である。

 私が書く作品は展開するのが早いと思う。文章表現も端的で簡潔すぎて、会話が多い。そして完結させようとする意識が強すぎて、物語を進めすぎてしまう。その結果、読者はおいてけぼりになる。早い展開を好む読者ならば私を許してくれるであろうが、ゆっくりと物語を楽しみたい読者には、ついていくのに精一杯となり、肝心の物語を楽しむことが二の次になってしまうという弊害が生じる。

 私の作品に★が少ないのは、書く題材に、あまり取り上げられにくいセクシャルマイノリティや転生ものでない中国の歴史を使っていることもあるが、このあたりにも原因があるのだと思う。

 例外として、幸いなことに、百に近い★をいただいている作品もある。これらの作品がなぜ好評を博したのかを分析することも必要であるし、このエッセイを読む方の役に立つと思う。そこで次は、なぜ★が多いのかについて、私なりの分析を述べたい。

 百に近い★をいただいている作品は、いずれも私の実体験にもとづくエッセイである。しかもその内容たるや、二次創作の同人誌を作っていたの、二次創作で知り合った人々との人間関係がうまくいかなくて苦労したの、小説を書いていると打ち明けるや「エロ小説書いてるの?」と質問されるのと、なかなか面と向かって話しにくいものばかりである。他の作品については、その文のほとんどを私が生まれ育った地域で年配者が話す方言で書いたものである。方言で書いたエッセイは思いのほかコメントを頂戴し、方言を小説で使用することに対する作者さんたちの関心の高さを実感した。

 なるほど、これらの作品は、私にしか書くことのできない題材を扱っている。しかも、一話完結で字数も多くない。つまり手軽に読み飛ばせる。だから★もつけやすかったし、コメントも書きやすかったのであろう。

 だからといって長編小説は受け入れられにくいと断じるわけではない。初めから長編小説を読むのが苦手な方もおられるだろうし、二話くらいまで読んだあと、また読もうと思ってそのままになっている方も多いと思う。

 結論としては、自分の見たこと聞いたこと、体験して感じたこと考えたことを、作品に昇華させることが、カク側にとっても、ヨム側にとっても、そしてカク側ヨム側が所属する社会にとっても良いことなのだと私は考える。これは三方良しという近江商人の考え方の真似をしたものである。



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