第55話 亮編 / 倒れた愛理

 

 この日、愛理は「食欲がない」なんていって、朝の食事を抜いていた。

 そんな調子で大丈夫かと俺は内心ハラハラしていたんだ。

 

 

 男子と女子の体育は、基本的にグラウンドを半分にわけて行われている。

 だから、常に気を配れるわけでもない。

 そんな体育の授業中にそれは起こった。

 

「大変、佐々木さんが――……」

 

 突然、一人の女子の声がはりあげられ、それが男子側のグラウンドに響き渡る。

 

 佐々木さん、というキーワードに慌てて、俺は女子側へと走って向かう。

 すると俺を追うように、後からクラスメイトの男子も何人かついてきた。

 どうしたんだろう、何かあったのかな、見に行こうぜなんて小さく話しているからたぶん野次馬だろう。

 

 そして叫び声が聞こえたあたり、女子たちが円を囲むように立っていてその中心には――……


「愛理!」

 

 顔色が蒼白で、唇も真っ青だった。

 以前倒れた時のように、意識が全くない。

 担任がかけよった男子たちに早々にタンカを持ってくるように、と指示する。


 愛理の傍らにいつの間にか座っていたのは山中で、愛理の左手の脈を図るように腕を持っていた。


 それを見た瞬間、頭が真っ白になりそうだった。

 思わず周りに集まったクラスメイトたちを押しのけるように、俺は山中の傍へと走り寄る。

 

「愛理」

 

 声をかけるが、返事はない。

 見る限りどこも血はでていないが、どうしたのだろう。

 

「矢継くん、大丈夫。突然倒れただけらしい、ちゃんと佐々木さんの脈はあるよ」

「そうか、ありがとう。山中、後は俺が運ぶから」

「いやあ、無理しなくていいよ? あんまり体力がなさそうな矢継くんより、運動部の僕が運ぶし?」

 

――コイツはさりげなく喧嘩を売ってるのか?といいたいが、そんなことをいっている場合ではない。

 

「結構だ。俺が運ぶっていってるだろ」


 少々強気の語気になってしまった。

 

 山中と話している時間が惜しい。

 タンカを待っていたりなんて悠長なことを考えていると、このまま山中がさっさと連れていきそうな勢いだ。

 それならば自分で保健室に連れて行った方がいいだろう。

 瞬時そう判断し、愛理を抱え上げる。


 次の瞬間には、女生徒たちの「そんな!」「私も」などという悲鳴とも思えぬ悲鳴が耳に届き、それがやたらと煩く感じられた。

 かまわず俺が歩き出した時、一人の女性とが騒ぎ出した。


「あれ、佐々木さん……指輪してる!?」

 

 ふと抱えながら俺がちらりと左手の薬指に視線を落とすと、いつもしてあるはずの指の絆創膏が剝がれ落ちている。

 露出したプラチナのリングが太陽光に眩しく輝き反射して、皆の注目はそこにくぎ付けとなった。

 

 一瞬だけ山中を見やると、それは本当にもう心から愉しそうな表情で俺を眺めている。


 ――あいつ、俺を嵌めやがったな。

 

「左手の薬指?」

「え、それって……つまり矢継くんの――……?」


 その女生徒たちの言葉の先は聞いていない。

 すでに俺は駆けだしていたから。

 

 後ろの騒ぎなんか知ったことか、今そんなことに構っている場合じゃないんだから。


 前に家まで運んだときは背負っていたからか、感じる重さは段違い。それに気を失っているからか、少しだけ重く感じられる。保健室まではさほど遠くないけれども、それでも抱えて歩くのは大変だ。

 

 でも、だからといって、ここで下ろすわけにもいかない。

 他の奴に運ばせるのも、絶対にイヤだ。

 上がる息をこらえ、気力を振り絞る。


 廊下がやたらと長く感じるし、あともう少しのところでチャイムが鳴って廊下へ続々と人が飛び出してきた。

 上級生も下級生も交じり、一応避けてはくれるが、これがまた雑多としているうえにジロジロと見られて視線が痛い。

 

 全くなんでこんなことに。

 恥ずかしさで死にそうだ。 

 この場で海や凪兄はいない。みていなくて良かったと思わずにはいられない。 

 

 背中いっぱいの汗をかきながら、保健室に到着して、ようやく愛理をベッドに下ろした。保健室の先生は、タンカを待てばよかったのにとか救急車をとかいっていたけれども。俺は保健室の先生にグラス一杯の水を飲んで愛理の横に倒れ込んだ。

 少しだけ眠った後、起きるとありがたくも放課後となり、みんなは帰ってしまったようだ。

 

 疲労困憊から回復した俺は、ようやく教室へと戻る。

 待ち構えていたかのように教室に入ってすぐにいた山中を睨みつけた。

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