第52話 凪くん

 「凪兄が部屋からでてこない」


 海君にそういわれ、私は凪くんの部屋の前に赴いた。

 山中くんや矢継のおじいちゃんの一件で、自分が起こした騒動だと責任を感じて、ずっと部屋に閉じこもっているそうだ。

 

 コンコン、とノックするが返事がない。

 仕方なく、「凪くん、いるの?」と声をかける。


 しばらく待ったが、――返事がない。

 

 それはそうか。

 もともと私のこと、好きじゃなさそうだったし。

 兄弟の海くんですら会いたくないのであれば、なおさら私なんてもっと会いたくないだろう。

 

 うん、私じゃ力不足だね。

 

 そう思って、早々に面会を諦め踵を返し自分の部屋へと戻ろうとした。

 すると、後ろでガチャリ、とドアの開く音がして――


 凪くんが、現れた。

 私が知っている、見目麗しく自信にあふれる凪くんの姿ではない。

 髪の毛はボサボサだし、目の下には隈まである。

 それでもなお、その顔立ちが整っている点は――素材の違いか、ひどく羨ましくもあるけれど。

 

 「何しにきたの?笑いにでもきた?」

 「そうじゃないけど……」


 以前みたときとは、別人のような弱弱しい雰囲気だ。

 なんだかネガティブ思考まったなしだし。

 ……うーん、これは大丈夫、だろうか。


 「ちょっと話をしにきただけだけど……でも、無理しないでいいよ。あんまし話したくないだろうし、私はもう行くね」


 そういって、私は首を振る。

 あまり長居してもよくないし、切り上げよう。

 

 「別に無理じゃない、俺も……君に話があるから、入って」

 

 ――想定外だ。

 そういわれるとは、全く思わなかった。

 どうも苦手な凪くんの部屋には、あまり入りたいとは思えない。

 亮くんや海くんならば大丈夫だけれども。

 どうしようかと迷い足が止まった私に対し、凪くんは少しだけ頭を下げた。


 「うん、そうだろうと思ってたし、わかってる。でも、俺は今までのことを謝りたいんだ。だから、入ってくれないか」

 

 そういわれ、私はようやくおずおずと凪くんの部屋へとお邪魔した。

 部屋は散かっている、というより、床に本が散乱している。

 カーテンがしっかりと閉められ、小さな電灯だけひっそりとついていた。

 

 「薄暗いね。カーテン開けようか?」

 「今の俺の気分なんだ。開けなくていいよ……」

 

 そういわれても気になるものは気になる。

 余計なお世話だと思いつつも、こんな薄暗い中では私の気持ちまで沈んでしまいそうだ。

 別邸の薄暗い日本人形たちを思い出し、ぶるっと身震いする。

 

 「いいや、やっぱり開けちゃうね」

 

 これでは質問した意味がなくなったが、カーテンを開け日差しが差す。

 ついでに窓もあけて、換気する。

 涼しい風がとたんに舞い込んできて、カーテンを揺らした。

 うん、どんよりこもっていたような部屋の空気が変わった気がする。


 「それで、なんの話だったっけ」

 「俺、ずっと君に辛く当たってたから……謝ろうとして」

 

 窓から光差す太陽の日差しを眩しそうに手をかざしながら、凪くんはソファーへと倒れ込んだ。

 

 そう、そうだった。

 危うく忘れかけて、ついでに部屋の掃除までしちゃいそうだった。

 すでに、床にある本を拾おうと――というより、話しながらもうすでに拾いはじめている。

 

 「え?なんで掃除してるの?」

 「なんか気になるのよ、っていうか、凪くん。なんでこんなに散らかせるの?部屋にずっといるなら片付けなさいよ」


 土日にやたらと部屋を散らかすお父さんを思い出し、少し怒り口調になってしまった。

 そうやって顔をあげると、凪くんは私をじっと見ていた。

 呆気にとられたような、驚いたような、不思議な表情。

 

 ――すごくひさびさに顔を見た気がする。

 うわあ、髪の毛ボサボサでも、こうやって見るとやっぱり美形は美形だ。

 ちょっとナルシストかなあと思ったけど、確かに類まれな美しさなんだから仕方ないかとも思う。

 

 「え、君……違うでしょ?もっとないの?今更謝られてもとか、傷ついたんだからとか……」

 「うん、気にしてない、っていわれると嘘だけど。それよりソファーに倒れ込んでないで、暇なら手を動かしてよ」


 話はそれだけだろうか。

 私の片手に、どんどん本が積み重なっていく。

 重いので、いったん隅に置いて再び拾い始めた。

 

 「えっと、それで話が終わりなら……私の用件もいいかな」

 「ああ……。君にはさんざん文句いってきたんだから、俺にもさんざんいってくれて構わない。どうせもう俺には何も……」

 

 そういって、投げやり発言をしつつソファーのクッションに顔を埋める。

 なんだろう、あの一件以来、あの自信家だった凪くんが妙な方向にいってしまったものだ。

 これはこれで面倒なんだなと思わずにはいられない。

 

 「そうじゃなくて、海くんたちが心配してるから、そろそろ部屋から出て学校いってもらっていいかな?」

 「そういう話で?それでわざわざ君が俺のところへきたわけ?」

 

 私はそのまま本を本棚にしまい始める。

 思った以上に凪くんは読書家のようだ。

 というより、恐らく三人とも、各部屋の蔵書量から察するにかなりの読書家だな。

 そうなると天才かと思っていたけれども、全員努力家ともいえるのかも。

  

 「そう。別に他に用事がなかったし……というか、凪くんが部屋に閉じこもっていることすら、知らなかったわ」

 「……そうなんだ。君は俺に興味ないからね」

 「そりゃ確かに興味ないけども。それで、結局何で落ち込んでたの?」

 「え、だからみんなに迷惑をかけて、嫌われて。君にだって……」

 「それだけ?」

 「それだけ、ってだって――……」

 

 その言葉に、凪くんはクッションから顔をあげる。

 

 「みんな別に怒ってないよ。むしろ心配してるから、部屋から出ようよ。じゃあ、こうするのはどう?私はかなり怒ってるから、許す条件として、さっさと部屋からでてちょうだい」

 

 するとその言葉にいらだったように立ち上がり私に大きく近寄った。

 

 「なんだよ、なんでなんだよ!そんないまさら、君が良いやつぶったって、俺は君のこと――」

 

 「好みじゃないんでしょ?知ってるってば」

 

 「――!」

 

 即座に返した言葉に、凪くんは悔しそうな表情を浮かべる。

 うん、いつもの凪くんが戻ってきた。

 少しだけ、元気を取り戻したようだ。

 

 「わかったよ、部屋をでるし、学校にもいくよ。大嫌いな君にそんなことを言われ続けるのはすごく癪だ」

 

 盛大なため息をついて、鏡に向き合って髪の毛を整える。


 「ああ、もう……こんなにヒドイ顔してたんだ、俺。あんなに美男子だったのに」

 

 ネガティブな言葉から、ようやく本領発揮したのかポジティブな言葉へと変貌する。

 はいはい。

 それでこそ、凪くんかな。

 

 「それにしても、おせっかいだよね、君」

 「だから、さっきからいってるけど、口だけ動かしてないで手を動かしてよ?鏡はあとでいいでしょう?部屋はまだ散かってるんだから、片付けてよ」

 

 「……全く、そういうヤツなんだね。君は。やっぱり、君のこと大キライだよ」

 

 ふっと凪くんは目を細め、広角を上げる。

 

 ――それは初めて、私をしっかりとみて、私そのものに対して、心から笑ったように見えた。

 

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