第47話 交渉人②

 「いらっしゃい、佐々木さん」


 出迎えてくれたのは山中くんに案内されたのは、彼の――山中くんの家の応接室だった。

 といっても、二人きりというわけでもない。

 広めの自室ソファーに座る彼の隣には、黒スーツの背の高い女性が傍らに黙って立っていた。

 そして、予想通りあの美人さんもいた。

 

 山中くんは、 終始笑顔の向かい側のソファーに座る私に対して、紅茶を出す。

 出された紅茶に手を付けず、私は山中くんの視線をじっと受け止めた。

 

 「紅茶でもどうぞ。と、安心していいよ。別に毒も入ってないし?」


 そういわれても、飲む気にはならない。

 

 「あ、そうだ。たぶん、盗聴器やGPSあるよね?それは、ちょっと困るんだ、今から出してもらえるかな」

 

 「もってません」

 

 「そんな言葉を信じると思う?出してもらえないなら、無理やりこちらの女性から身体検査を受けてもらうことになるけど」

 

 黒スーツの女性が、私を冷たい視線で一瞥する。

 

 「きちんと尋ねるなんて、紳士でしょ?だから、手荒にしないうちに出してくれないかな」

 

 その言葉に、渋々私は隠すことを諦め、盗聴器とGPSを外しテーブルの上に置いた。

 

 「うん、キチンということを聞いてもらえて助かるよ。やっぱり佐々木さんはいつも真面目だもんね。それが、またいいところだと思うよ」

 

 山中くんがさっさと回収すると、ジェラルミンケースのようなトランクに入れられ、そのまま黒スーツの女性とあの美人さんは外へと出て行った。

 部屋に二人きり、静寂が嫌な感じだ。

 

 「さて、本題に入ろうか」

 

 山中くんは、落ち着きはらった様子でソファーへと座りなおし、私へと向かい合う。

 

 「ある特殊な病気の治療薬の処方箋と、花に関するデータ。これは今、山中グループが作った、ということにしている。僕が今、そのデータを改ざんしてもっているからね。このデータをこのまま僕の養父に渡してしまえば、矢継グループは大打撃。さて、矢継家の関係者はどうなるかなぁ?最悪、偽造や窃盗で逮捕されちゃうかもね」


 そして、机の上の紅茶を手に取り心から愉しそうな笑顔を私に向ける。

 こんな山中くんの表情を、私は教室では一切みたことがない。

 

 「なんで……そんな事をするの?」

 

 「まあまあ、佐々木さん。話は最後まできいてもらおうか。僕は、まだ養父に今のこの現状も、データが手元にあることも伝えてない。すべて僕の独断だ。だから、君が交渉するべきは僕だし、話をすべきも全て僕。そのうえで、話をしよう。ここまでは理解できた?」


 その言葉に、私は頷く。


 「で、交渉人に君を抜擢したのは、いろいろ考えた末に君が適任だと考えた。交渉の条件によってはそのデータをそのまま矢継にお返ししようと、そう思ってる。そうすれば、別に矢継家には何の問題もないわけだ」

 

 「条件って?」

 

 「そう、本当にさっきから結論を急ぐねぇ。以前での教室での会話の続きだよ、簡単なことだ。今度は君が僕の婚約者になってもらいたい。つまり、今後一切、矢継の家の者たちとは関わらないでくれないか」


 その発言の意味が全く持って理解できず、私はしばらく茫然としてしまったようだ。

 ようやく頭から絞り出したのは、ただただ疑問に思ったひとことだった。

 

 「……なんで、そんなことを」

 

 「あの憎いじいさんが、アイツらが――あまりに君に固執するから、あいつらから君を奪ったら楽しそうだと思ってね」


 山中くんは何をかは知らないが、矢継家をそうとう恨んでる、といっていた。

 それならば、これは言葉通り彼らを苦しめたいが故の、ただの嫌がらせなのだろう。

 

 「でも、山中くん。私にそんな価値はないと思うけど?」

 

 「佐々木さんがどう思ってるかじゃなくて、問題は彼らがどう思ってるかだよ。それはいいとして、どうする?このままだと、矢継の家はどうなるかわからないよ?不祥事でつぶれちゃうかも?」

 

 「どうしてそんな酷いことを……!」

 

 その私の返答に、山中くんは怒りをあらわにした。

 

 「酷い?酷いだって?彼らに僕がされたことは、もっと酷い……君にだって、そうだろう!」


 何が、あったのだろう。突然の山中くんの変貌ぶりに、私はしばし山中くんを見つめた。

 

 「その話は後だ。矢継グループの会長が逮捕されれば、どうなるかな?」

 

 ひとつ咳払いをすると、落ち着きを取り戻すようにティーカップを手に取った。

 

 「君は――僕の矢継家に対する恨みとは無関係だ。だから、なるべくなら僕のこの復讐に巻き込みたくはない。矢継の家にいたら泥船だ。君も一緒に沈んでしまう、借金は僕が肩代わりする。あいつと別れたら、無関係の君だけは助けてあげるっていってるだけだよ。一貫してるだろ?説明はこれでも不十分?」


 山中くんなりに、私を巻き込まないように、しているって?

 それもまた、矛盾している。

 こんなにも私は矢継家にもあなたにも話に関わっているのに。

 

 「嫌よ」

 

 「あり得ないよ、どうしてそこまで君も固執するの?佐々木さん、まさかと思うけど矢継亮にでも惚れてる?」

 

 ズバリと返され、私は声を失う。

 惚れて、惚れている?

 私が、亮くんを?

 やがて、つま先から頭の先まで――全身がかあっと熱くなる。

 

 「……え、本当に?借金のため、じゃなくて……?」


 ふっと山中くんは私の瞳を、頬をじっと見つめた。

 そしてその後、片手で顔を隠し、肩が震え――笑いをこらえているようにみえる。

 

 「そういうことか!ずっと変だなあ、と思ってたよ」

 

 違う、といいたかった。

 でも、違うとハッキリいえない。

 ここ最近、ずっと自分のことを、亮くんとのことを――そう感じていた。

 そう考えないように、ひたすら避けていただけで。

 

 「そうか、君は矢継亮のためにそんなに一生懸命なんだ?」

 

 当たってる。

 だって、だって私は――……私で縛り付けている、亮くんを自由にしたい。

 いつも助けてくれている亮くんを――約束通り、自由にしたい。

 自由にしなければ、でなければ――……。


 私を何度も助けてくれた亮くんが、苦しんでしまう。

 私の、せいで。

 

 今、気づきたくはなかった、こんな気持ちは。


 だって、どうあがいても私は亮くんにそんなことをいえない。

 こんなに迷惑をかけて、こんなに私がたくさん振り回しているのに。あなたが好きです、なんて、絶対にいえない。この我がままな気持ちを伝えるわけには、絶対にいかない。

 

 「……」

 

 いつの間にか、目から涙がこぼれていた。

 ぎゅっと、拳を握り締める。

 

 「必死で日記を探しだして別れてあげる、ってのも、他でもない矢継亮あいつを思っての事?いやあ、面白い。君、とっても健気じゃないか。佐々木さん、やっぱり本当に可愛いね」

 

 山中くんの声が頭に響く。

 泣いている場合じゃない。

 今はそんなときじゃない。

 

「だから……どういわれても、他の誰とも婚約は嫌よ。絶対に。私は……約束が果たされるまでは、亮くんの婚約者だもの」

「仮なのに?」

「たとえ仮でもよ」


 私の涙を、山中くんが持っていたハンカチでそっと拭った。

 それを拒絶すべく私は山中くんから離れ、首を振った。

 

 そう、私は――私の気持ちのためじゃなくて、亮くんや矢継家のみんなのために、交渉のためにこの場所にいるんだ。

 こんな私の気持ちなんて捨ててしまって、今は山中くんとの話を優先しなければ。

 でなければ、私はここにいる価値なんてない。

 私は、誰のためにここにいるの。

 ぐい、と自分の片腕でさらに流れる涙をぬぐい、山中くんに向き合う。


 「それよりも、山中くんがどうしてそこまで矢継家を憎むかを、教えてもらえないかしら。ひょっとして、山中くんの、本当のお父さんのこと?」


 山中くんは、私の発言にしばし考え込んでいた。

 

「――いいや。父さんは横領で逮捕されている。君が知っているかはしらないけど、矢継グループの会社で働いていた。詐欺まがいで内容も悪質だった、ってことで刑務所に入ってる。でも、そこはただの恨みの一部だ」


「それじゃない?じゃあ何で」

 「君は本当に結論を急ぐねぇ。彼らのせいで、僕の妹が行方不明になってるんだ。もう、生きてるのか、死んでるのかもわからない……」

 

「妹……」

 

「父さんが逮捕された後、僕らは養護施設に入った。でも、そのころに妹は特殊な病気だって教えてもらったんだ。ある時、倒れて緊急に運ばれてーーそこから、もう何もわからなかったんだ。そのうち、僕は山中の家に養子として引き取られた」


 山中くんは首を振る。


 「父さんが横領をしたのは、妹のためだ。稀有けうな病気を抱えた妹の、服用していた保険適用外の高額な薬。その医療費を稼ぐために……!治療法はまだなくて、維持するだけでも莫大な金額だった」


 「どのくらい、の?」

 

 「……わからない。でも、一介の会社員じゃあ、到底無理な金額だそうだよ。でも確かに、悪いことは悪いことだ。罪は償わないと。例え、それが妹を生かすためであっても」


 山中くんは、泣きそうな顔をしている。

 ぐっとこらえ、私からしっかりと目を離さない。

 

「だから僕も返す、つもりだったんだ……父さんがつぎ込んだお金を、返すつもりだった。妹が助かるために、僕がこれからなんとか稼ぐから、どうか妹のために、なんとかこれまでの借金を返すから、って。でも、あの矢継のじいさんは、俺の提案を拒否したんだ。とてもお前には返せる額じゃない、って。あれだけ、僕は必死に、お願いしたのに――」


 返す言葉がなかった。

 彼もまた、私と同じようなことで苦しんでいる。

 

 「あれから、ずっと必死で探しているけど――妹はいない、どこを探しても、見つからないんだ」


 「待って、じゃあ妹さんのことで、恨んでるってこと?」

 「ああ、そうだ。逆恨みだってのは、わかってるさ。でも――……」


 いなくなった妹さん。

 病気がちで、治療が必要な妹さん……?

 

 これは偶然だろうか、必然だろうか。

 

 似ているのだ、山中くんは――あの子に。

 

「山中くん、もしかして、もしかしてだけど……」

 

もしかしたらという思いが頭をよぎる。

 

 「妹さんは、真由、って名前じゃない……?」

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