第35話 日記の秘密と車いすの少女

 亮くんの部屋から自室へ行こうと、私はゆっくりと廊下を歩いていた。

 すると別邸の更に奥に、白く大きなコンクリートの建物が見えた。


 なんだろう、と近づくと建物の正面、ガラスの向こうに車いすに座った女の子が見える。年齢は、私より少し、二つか三つほど下の中学生くらいだろうか。


 肩までの茶色い髪に、白い陶器のような肌。

 

 ――誰かに、似ている。

 ぼんやりと誰かが脳裏に浮かんだけれども、明確には誰かが思い出せない。

 

 そんな少女は、私をじっと見つめてきた。 

 ガラス扉の横には『矢継医療研究施設』と書いてある。

 

 そのまま私も近くで見るため、ガラスの扉へと向かって歩く。するとガラス扉が開き、そのまま女の子は私の方へと車いすをひいて近づいてきた。

 

 透明感のあるその大きな瞳は、しっかりと私を捉えた。

 

「こんにちは、あの、私……佐々木愛理っていいます。あの、もしかして……ここの家の子ですか?」

「……」

 

 女の子は私の言葉に、首だけを振った。

 いったあとにこの言葉は不躾に失礼だったか、と我に返る。

 

「あなたのお名前は?」

「真由……」

 私の声かけに対し、その子はとても小さな声でつぶやいた。

 

「真由ちゃんか、えっと、私……ちょっと前からここにお世話になってるの。よろしくね」

「……よろしく……」


 雰囲気含めて、あまり似ていないけど、亮くんたちの妹だろうか。

 それを聞くのも失礼か、と早々に切り上げようとしたときに、真由ちゃんは私の意図に気づいたように口を開いた。


「私、この家の子じゃない……ここで、病気の治療中……だったの」

「そっか、だから医療研究施設、って書いてあるのね。病気、って大丈夫そうなの?」

「うん……。あの、愛理さんも……?」

「え?」

「ううん、やっぱり……大丈夫です。あの、私……友達があまり、というかいなくて……また、会えますか?」


 一瞬、困ってしまった。

 会ってもいいのだろうか。

 でも、この寂しそうな女の子を放っておくのも、心が痛む。

 

「えっと、真由ちゃんが構わなければ、またくるよ」


 そう返すと、ふんわりとした笑顔に変わる。

 とっても可愛らしい子だ。

 釣られ私も笑い返してしまう。


 その後、真由ちゃんと少しだけ話をした。真由ちゃんは病気であること、薬のおかげで治療がもう少しで終わること、そしてもうすぐ学校に行けるかもしれないこと。


 今度、私の部屋の本を持ってくる約束をして、また会うことになった。


 結局その日はそれ以外の収穫がなくて、寝る前にちらりと亮くんの様子を見に行った。熱は下がってるけど、念のためもう少し寝るからとのことだ。

 

「わざわざこなくても良かったのに」

「心配だもん」

「なんでだよ」

「……またぶりかえしたんじゃないか、って。きちゃいけなかったの?」

「そうでも、ないけど」


 私の勘違いでなければ亮くんは少しだけ、照れているように見える。

 

「じゃあ、またもう少ししたらまた会いにこようか?」

「いや。寝るのに邪魔。こなくていい」


 あっさりと返された。

 うん、これでこそ、いつもの亮くんだね。

 どうやら元気が出てきたようで、私も思わず口がほころぶ。


「なんだよ?」

「いいの、ちょっとだけ嬉しくて。おやすみなさい」

 そういって私が伝えると、「待てよ」と亮くんはベッドから起き上がった。

 

「……ありがとう」

「ううん、どういたしまして」

 

 そして亮くんの部屋から廊下へと出た瞬間に、樹くんに会った。

 

「亮兄、どうだった?」

「もうちょっとかな。薬飲ませてくれたんだね、ありがとう」

 

 私の声に、樹くんは小さく頷いた。

「亮くん、明日は多分学校に行けるかな?」

「どうだろう?まあ、もうちょっとなら今日休めば行けるんじゃないかな。それもこれも、愛理ちゃんの看病の甲斐ってやつなの?」

「うーん。そうかなあ……あんまり貢献してないと思うけど」


 ひたすら寝ていたようだから、それが功を奏したのではないだろうか。

 すると樹くんが、私の顔を覗き込んでくる。

 

「ねえ、でも――もし、僕が熱を出しても愛理ちゃんは看病してくれる?」


 その瞳で見られただけで、何人もの女の子がグラリとしそうなとても色めいた、そして憂いた表情で。

 

「うん、するよ。友達でしょう?どうして?」

「……そうだよね。ちょっと、聞いてみただけ。じゃあ、愛理ちゃんが倒れたら、僕が友達、として看病するよ」

 

 それはありがたい。

 けれど返答とは裏腹の沈んだ表情で、得もしれぬ違和感を覚える。

 

「愛理ちゃん、ってさ」


 樹くんは再び、じっくりと私の瞳を見る。


「亮兄のこと、好き?」


 私は少しその言葉を呑みこみ、考えた。

 どうして、そんなことを?

 好き、って恋愛的な意味でだろうか、人間的な意味でだろうか。

 樹くんの問いはどちらかわからないけれど――……

 

「それなりに?」

 

 思わず首をかしげてしまう。

 結局、今の本音をそのまま伝えることにした。

 とても好きかといわれれば、相当に疑問だ。

 ……そう思っている時点で、恋愛ではないのだろう。

 これまで少しだけドキドキすることもあったけれど、それはきっとただ距離が近いからで、異性だからで、たまたま慣れてないからで――違うと思う。


「そっか!」

 ふっと明るい口ぶりに変わり、樹くんは私に笑いかける。

 

「よかったら亮兄が駄目な日は僕も一緒に日記を探すよ。早く見つけたいんだよね?」

「それはそうだけど。でも樹くんは、園芸部があるよね?」

「う……それじゃあ、部活がない日とか」

「ありがとう、じゃあ、今度よろしくお願いするかも。でも無理しないでいいから」

 

 私の言葉に、樹くんはうん、と頷く。

 この間よりかは樹くんとの距離がもう少し近づいた気がする。

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