第33話 微熱

 翌日。

 私の隣の亮くんの席は静かだった。


 と、いうのもーー……

 

「頭が痛い」


 帰宅後、学校にこなかった亮くんの部屋を訪ねて、開口一番がそれだった。

 差し入れとしてのお粥を、サイドテーブルに置く。

 

「やっぱり……さっさとジャージに着替えればよかったんだよ」

「たかがちょっと濡れた程度でいちいち着替えるなんて面倒だろ」

「たかがちょっと、ってレベルじゃなかったけど」

 

 そういいながら、私は寝そべっている亮くんの頭に手を当てる。


「……と、やっぱり、熱あるね」

 

 いつもなら『触るな!』と騒ぎ立てるところなんだろうけど、今回はそれもなく静かだった。そんな気力もわかない、ということだろうか。

 

「とりあえず、食べてね」

「あとでな」

「食べるのを見届けるまで部屋を出ないからね」

「……」

 面倒そうにこちらを見やり、そのまま亮くんは黙って布団をかぶってしまう。

 

「亮くん!」


 そして許してなるものかとばかりに私は布団をめくり、ペットボトルのキャップを開け、水を差しだした。


「とりあえずお水飲んで。脱水になっちゃうし」

 

 私から渋々といった表情でペットボトルを受け取り、静かに飲む。

 なんだかんだとそのまま飲み干してしまったので、とても喉が渇いていたのだろう。念のために持ってきた風邪薬は、手をつけないままだ。

 

「お粥はこのまま置いておくけど、何か他に欲しいものか、必要なものある?」

 その言葉に、首を振ったので私は頷いた。

 

「飲んだし、もう出てけよ」

「でも、ほら、心配なんだよ。私たち”婚約者”同士だし?」

「……そう思ってもいないくせに」


 どちらを? 心配じゃないってこと? 婚約同士、ってことを?

 

「そんなことはないよ。じゃあ、お粥食べさせようか?ほらほら、婚約者の手作りお粥だよ?」

「……」


 その言葉に対して、いつも以上の冷たい視線を浴びせられる。

 けれども、ベッドサイドに座った私は笑顔で亮くんに向き合った。

 治すために純粋に、食べてほしくて。

 

「はい、あーん」

 

 婚約者云々はいったん置いといて、ここで甲斐甲斐しく世話を焼けば、ちょっとは代わりに水をかぶってもらった恩を返せるかもしれない。お粥をすくったスプーンをもって亮くんへと近づける。

 

 亮くんはめげない私をしばらくの間、無言で眺めていたかと思うと、ゆっくりと起き上がりスプーンを口に含む。

 何度か口にして、そのまま横になる。

 少し気恥ずかしいものもあったけれど、これで寝てもらえれば少しは安心できる。

 そしてお粥を片付けようと、私は席を立った。

 目を瞑っていた亮くんはやがて私の様子を伺うようなーーそんな雰囲気で、とても静かにこちらへと目線を移す。

 風邪をひいて心が弱っているようならば、一緒にいたほうが心細くないだろうか。

 少しだけ、心配になる。

 

「大丈夫?もう少し、一緒にいようか?」

「うつすから、いなくていい」

「うつせば治る、っていうし」

「ないない、そんな非科学的な」

 

 ――それもそうか。

 

「じゃあ、またくるから。ちゃんと寝てね」

「別にこなくても……」


 そういわれ私は、近寄って亮くんの瞳をじっと見つめた。

 今度は亮くんが私の視線にひるむように、サッと避けられる。

 

「また、くるからね?」

「もう……こなくていいってば」

 

 亮くんの髪を少しだけそっと撫でようとして、私は手を止めた。

 

 そうだった、私に触れられたく、ないよね。

 その手を亮くんは見つめ、何かをいいかけようとしたのか口を開きかけ、結局黙り込んだ。

 

 ――そう、思ってもいないくせに。

 

 私はそんな言葉を呑みこんで、静かに部屋の扉を閉めた。

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