第21話 仮婚!②

 信じられないことに、なってしまった。


 契約書にサインをする間、ずっと亮くんはこちらを見なかった。

 何度読んでも、この追加契約はおかしい。


 亮くん……もしかして、追い出されようとする、いや高校を辞めて働こうとした私を助けてくれたのだろうか。そうすれば、出て行かなくてもいいだろうから。


 この珍妙で奇妙な内容は、どう考えてもそれしか考えられない。


 別に好きでもなんでもない、というか会ったばかりの私に対して自分が不利益を被ってても助けるって――

 

 お人よし、にもほどがあるだろうに。

 どうして、そんなに……。


 矢継のおじいちゃんと亮くんとのやり取りは不明だけれども――とにかく、亮くんにはお礼しかない。


 そう考えていると矢継のおじいちゃんは、ガラス戸のキャビンから、黒いケースを取り出した。

 中には、たくさんの宝石と指輪が入っている。

 

「さてこれは矢継の家特製の婚約指輪じゃ。仮でも、婚約じゃ。どれかをつけてもらわねばの?」

「「そこまで!?」」

 

 私と亮くんの声がハモる。

 

「まさか、天下の矢継家が婚約指輪の1つや2つ、用意せんとでも思ったのか?」

「ってか、1つや2つどころの騒ぎじゃないだろ。婚約指輪はこんなにいらないに決まってるし……。なんだよ、この量は」


 ざっと見ただけで、エメラルド、サファイア、ルビー……他はちょっとわからないけれども、宝石が輝く。


「そもそもサイズが、合うかどうか、わかりませんし……?」

「大丈夫じゃ、全サイズ揃っておるからな。欲しければ、ここにあるものをすべて持っていってもよい。まあ、それでも気に入ったものがなければ、宝石商を呼んで新しく用意するぞい?」

 

 亮くんは絶句している。

 馬鹿じゃないのか?という言葉がきこえそうだ。


 しばらくして、我にかえった亮くんはケースの中の指輪を眺めつつ、ようやく口を開いた。

 

「とりあえず好きに決めて、指にはめてくれ」

「亮、何をたわごとを。お前がしっかり選んではめてやれ」

「なんで俺が?」

「婚約者の指にはめるだけじゃぞ? まさか、その程度もできんのか?」

「――焚き付けやがって」


 ぶっきらぼうにそういうと、亮くんは真ん中らへんにある大ぶりの四角い緑の宝石がはまったリングを手に取る。

 

「ま、待って!そんな派手なの要らない。一番シンプルなものにして」

「それなら、お前がはめるんだから好きなのを選んでくれ」

 

 私が選んだのは、最もシンプルな銀の細い指輪だった。

 これが一番、高くなさそうで、目立たなさそうだし。

 

「なんじゃ、プラチナか。もっと高いのもあるのにのぅ」


 矢継のおじいちゃんの口ぶりからすると、このプラチナとやらは、そう高くはないのだろうか。

 それならば安心する。

 そして、亮くんは私の手を貸せとばかりに、手を差しだした。

 躊躇しつつ、手を出すとぐい、と引っ張られ、その指先から熱が伝わってくる。

 じんわりと手のひらまで伝わる熱は、顔、頬、耳へと広がっていった。


 指輪をはめる瞬間、亮くんは私の瞳をしっかりと見てきた。

 煌めいた瞳に私が移り、みられていることを自覚するとそれが妙に気恥ずかしい。

 

「これで満足かよ」


 その口調は不機嫌そのものだったけれども、少しだけ耳が赤くなっていた。つられて、私も自分の顔がとたん体温が上がり熱くなったのを感じる。

 それにこの距離もやり取りも、やたらに緊張してしまう。


 想定外、というべきなのか、その指輪はピッタリはまった。

 むしろ、はまりすぎた。


 ――抜けない。

 

「ちょうど、よすぎるかな……」


 指輪をひっぱるが、節に当たって痛い。

 抜ける気がしない。

 

「どうしよう、これ、ピッタリすぎて外せないかも」

「なんでだよ?別にいいだろ」

「駄目だよ、だって学校いかなきゃ!指輪は学校では禁止されてるじゃない」


 私の焦りを感じ取ったのか、矢継のおじいちゃんはポンと手を叩いて口を挟む。

 

「あの学校はワシがすでに買収しておる。ならば理事のワシがこれから手続して校則を変えよう。結婚を約束しておるものにつき、婚約指輪の着用を許すとな。それならばよいじゃろう?なあに、明日から堂々とはめてもらってよいぞ?」

 

そして、私たちは再び絶句した。

 馬鹿じゃないのか、ときこえそうな顔で。

 

「残念じゃ。外せれば、日替わりでこのコレクションをつけてもらってもよいのじゃが」

 

 ――どこまでも金持ちの考えることはわからないものだ。

 

 そして、凪くんと海くんには――、おじいちゃんから事情を話してくれることになった。

 

 慣れぬ婚約指輪に触れながら私は思考する。


 どうして、どうして。

 そして、どうすれば、私は亮くんにこの恩を返せるの?

 

 サインを終え自室までたどり着き、用は終わったとばかりに去っていこうとする亮くんを引き留めようと声をかけた。


「亮くん、ありがとう。でも本当に、よかったの?だって亮くんには――」

「今回の件は、なにもかも中途半端で俺は許せなかった。だから、お前のためじゃなくて、これは俺のためだ」


その言葉を遮るように――私を見下ろしながら、きっぱりと言う。


「――うん。それでも、ありがとう。本当に……」


 やっと目の腫れが落ち着いてきたかと思ってきたのに、また溢れそうになる。

 慌てて袖口でグイッと吹き、亮くんへと誤魔化すように笑いかける。


「これから、きちんと探すから。安心して。あと、明日から学校でもよろしくね。それにしても、困ったなあ。なんとか指輪を隠さないと……」

「なんで隠すんだよ?じいちゃんが校則を変えるから見せても大丈夫っていってただろ」

「え?」

 

 亮くんの返しに違和感を覚える。


「亮くん……学校では、このこと……婚約のことを内緒に、するよね?」

「はぁ?なんでそんな事する必要があるんだ?」


 ――いやいやいやいや。

 まさか、公言するつもりだったのだろうか。


「でも、困るよね?」

「何がどう困るんだよ」


 ――うう。

 今もなお左手の薬指にはまりつづける指輪を触りながら、涙目で私は首を思い切り振る。

 

「……たぶん、殺されるので、内緒にしてください」

「誰にだよ……」

 

 こんなの隠しておかないと、全校生徒の女子に刺されそう。

 そうなるとメッタ刺しじゃすまないな……。

 隣の席になっただけでも、あの状況だったのに。

 

「ほら、でも日記があったら、私たちは早々に婚約解消でしょ?だったら、最初から他の人に言わない方がいいじゃない。聞かれたら答えなきゃいけないから、隠した方がいいよね」

 

 なんとか、それらしい提案ができたと我ながら思う。

 確かにそうか、とすんなり納得してくれたようだ。

 

 ――本当に気にせず、他の人にいうつもりだったのかな――?


 どうせただの仮の契約だし、知られることは大した問題じゃない、と思ってるんだろうか?

 とにかく事前に確認しておいてよかった……。

 

「とはいえ、親友の春香ちゃんには伝えていいかな? お互いに、隠し事をしてないんだ」

「春香ちゃん?誰だ?」

「休み中にずっと、亮くんを見つめてた子……」

「ああ、視線も声もうるさかったヤツか」


 お前に任せる、と小さく発した後、亮くんは立ち去った。

 

 これで学校の件は問題なさそう。

 ひとまず、日記を探すことに集中しないと。

 そして、きちんと亮くんを解放しないとダメだよね。


 そして、もうすぐ昼だ。

 私は気を引き締め、ノートを取り出すと、屋敷の地図を書き出した。

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