第18話 大切なお話
「これ以上、みんなに迷惑かけれないもんね。――私も、矢継のおじいちゃんに、大切なお話があったんだ」
そうだ。
決断したら、きっと早い方がいい。
誰も、これ以上苦しまないように。
「じゃ、連行お願いします!亮くん」
「連行って、お前なぁ……」
軽く互いに笑い、私は大きく息を吸う。
ジャケットを頭からかぶり、亮くんの後ろを歩く。
とっても不審だろうな、というか却って目立つ気もしたけれども――、今はその行動が、とてもありがたかった。
「亮くんって、なんだか最初のイメージと違う。意外と優しいよね?」
「なんだよ。褒めてもなにもでないぞ」
「別に深い意味はないよ、ただ――少し、そういいたかっただけ」
見られないためのジャケットは功を奏してる。
でもやっぱり視界が悪く、ツン、と足がひっかかり、前を歩く亮くんの背中に激突した。
「……あのな」
「ごめん、でも、あんまり見えなくて……」
「はあー、全く。もういい、手を貸せよ。また転ばれても迷惑だから、しっかり手を握っとけ」
「う、うん」
ちょっとだけ、私の声が震えてしまった。
意識をしないように、となると、逆に意識してしまうものだ。
これは、墓穴をほったかもしれない。
私はぎこちなく歩き、なんとか亮くんの手をしっかりと握る。
体温が伝わってきて、またそれも緊張してしまう。
なんだか、手が汗ばんできた。
羞恥で手を放そうとすると、再びしっかりと握られた。
大きな手だけど、強すぎずの力加減。
どうか誰もみてませんようにと祈るけれども、非情にもたくさんの執事さんやお手伝いの方からは私たちが手を繋いで歩いている姿を見られている。
ジャケットであまり視界が見えない私より、一番恥ずかしいのは、きっとしっかりとがっつりと顔までジロジロみられている亮くんだろう。
そう考えると、胸が少しだけ掴まれたような、やたらと熱くなったような感覚を覚える。
違和感を抱きつつ、胸にふっと一瞬手を当てていたら、矢継のおじいちゃんの部屋まで到達した。
やがて、私から手を離した亮くんは、コンコンとドアをノックした。
返答とともにドアが開き、矢継のおじいちゃんに手招きされ、亮くんと一緒におじいちゃんの部屋に入った。
「お嬢ちゃんに屋敷での生活に問題はないかを聞きたかったが――その様子だと大問題がありそうじゃな……」
すっかり瞼を腫らした私の姿を見て、矢継のおじいちゃんは、大きなため息をついた。
察してくれるなら、話は早い。
私は、一瞬迷ったが、やはりさっさと切り出すことにした。
「あの、婚約検討の契約書について――なしで、お願いしたいです」
私は大きく頭を下げた。
私の言葉に、真横の亮くんは「どうして」といって大きく目を見開いた。
「昨日の今日で、こんな事をいって、ごめんなさい」
「お前、何を――?」
「決めたんです。ここを出て行って、高校をやめて、ちゃんと働こうかと思っています。だから、借金は――お父さんと一緒に、私も働いて頑張って、返します」
矢継のおじいちゃんは、私の言葉にさして動じていなかった。
もしかしたら、少しは想像していたのかもしれない。
「破棄した場合のペナルティは知っておるか?」
「はい、契約書は昨夜、きちんと全て読み返しました。契約書の内容は、全て」
「記載通り、借金の金額は倍になるぞ? 確認するが、その上でか?」
「じいちゃん!? 借金倍ってなんだよ、いくらなんでも――」
亮くんの言葉は聞こえないふりをして、私は話を進めた。
「はい、わかってます。でも、私は3人に迷惑をかける方が嫌です。そして、これは確かに私の問題で、3人は関係ありません」
涙を必死でこらえ、私は矢継のおじいちゃんの瞳をしっかりと見た。
思い切り目を閉じる。
ぽたりと一粒、二粒と大きな涙が床に落ちた。
熱くなる目頭をぎゅっとこぶしを握り、我慢する。
こらえろ、泣くな、私。
この結論は、亮くんにいわれた訳でも、凪くんにいわれたわけでもないんだから。
昨夜、必死で考えた末の、自分で出した結論なのだから。
これは、私の、お父さんと私の問題。
「亮くん、ありがとうね。もう、これ以上に迷惑をかけないから」
「な……なんでだよ……どうして――」
「昨夜、ううん。今かな、考えて――きちんと決めたんだ。自分で、自分たちで、きちんと返すから。本当に……ごめん、ごめんね」
亮くんは絶句したまま、私から目を離さない。
「――お嬢ちゃんのお父さんは、知っておるのか?」
その言葉に、私は首を振った。
「なるほど。まあ、そこは後で話し合おう。さて、契約書はきちんと読んだといっておったな? それならば――契約書に、ワシが求める項目や新たな契約を追加できることも知っておるな?」
「……はい、知ってますが……」
「では、わかっておればよい。新たに契約を追加しよう。お嬢ちゃんには少し頼みたいことがある。隣の応接室に行くかの。とにかく詳細についてはそこで、これから――じっくり話し合えばいいじゃろう」
私は、頷く。
これで、お互いに解放される。
――良かった。
私は亮くんへ最後に一歩だけ、近づく。
「亮くん、短い間だったけど……ありがとう。お世話になりました」
ここを出たら――多分、二度と会えないのだから。
今のうちにお礼をいっておかないと。
感謝の笑みを心から浮かべ、亮くんの瞳を見る。
私の目に映ったのはなぜか困惑と動揺が重なったようにみえる――不可思議な表情の亮くん。
そう、学校もいけなくなるんだな。これから、会えないんだ。
本当に、最後だ。
鼻の奥をツンとするものが通り抜け、ぐっと息を呑み必死で笑顔をつくる。
これ以上悲しくなる前に、矢継のおじいちゃんとの話をすませて、さっさとここを出ていこう。学校に行けない、これから友達にも会えない、仕方がないとわかっているのに、とても胸が張り裂けそうに、苦しくなってしまう。
矢継のおじいちゃんの応接室へと向かう。
でも亮くんは直後に私の手を取り、ぐい、とそのまま手を引いた。
「……待ってくれ」
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