第16話 父との電話

 ――眠れなかった。


 私は会の凪くんとのやり取りのあと、矢継のおじいちゃんからもらった、契約書の中身を網羅していたのだ。

 

 樹くんはともかく、亮くんに嫌われて……、凪くんは相当に私を嫌っている。

 それは構わない。


 というより、嫌われて当然だとも思うけれども、そもそも婚約を検討する、というより前段階から……無理があったのかもしれない。


 私の、せいで――。

『俺たちは――じゃない』


 何度も、何度も凪くんのその言葉が頭の中から離れない。

 

 朝食を終え、ぼんやりと鏡をみる。

 鏡の中に映し出された自身の顔を見た。

 想像通り、昨夜は徹夜と泣きすぎで、パンパンに目が腫れている。

 いままで見たことがないくらい、最低の顔だ。

 お手伝いの人に氷をもらい、瞼を冷やす。


 そして、もらったスマホでようやくお父さんに電話をかけた。

 

『――はい』

「お父さん?愛理だけど」

『愛理!よかった、元気か?』

 

「うん、お父さんは?」

『大丈夫だ。矢継家の方から話を聞いた。いい仕事を紹介してもらって、そちらを頑張ることにしたよ。お父さんは大丈夫だが、愛理――お前だ。なんでも、借金の件でそちらのご子息と婚約するとかどうとかいわれたけど、本当か?それは大丈夫なのか?』

 

「……うん、ううん、かな?」


 曖昧な返事となってしまった。

 大丈夫、とはっきりとは言えない。

 どちらかといえば――辛い。

 心が、苦しくて悲鳴をあげている。

 

『愛理、借金はお父さんがなんとかする。それについては、お前は考えるな。それよりも、お前自身だ。婚約なんてしなくていい。お前が無理してないか、それが一番、心配なんだ。本当に大丈夫か? 無理してないのか?』

 

 やっぱり、お父さんはお父さんだ。

 第一に私のことを考えてくれる。

 今、一番大変なのは私じゃなくて、お父さんなのに。


 親友に裏切られ、弱い体で借金を抱えて働かなきゃいけないお父さんなのに。

 そのあたたかい返答に言葉が詰まり、また息苦しく感じる。

 

「――ううん」

 

なんとか誤魔化さないと――

 

「久々に、お父さんの声を聴けたから、嬉しかっただけ。じゃあね」


 そして早々になんとか、電話を切った。


 ――どうしたらいいのだろう。


 私は、物事を甘く見すぎていたのだろうか。


 ただ、お父さんに楽をさせたいがゆえに、少し検討するだけでいいと思っていたけど、そうじゃなくて――。


 私は、傷つけている。

 このことで、他の人を傷つけているんだ。

 根本的に、問題の解決策が違ったのではないだろうか。

 

 電話の電源ボタンを見つめながら、ポタポタとまた涙が込み上げる。


 泣いている場合じゃないのに。

 じゃあ今、やるべきことは――、考えるべきことは――?


 ――高校の費用だって馬鹿にならない。


 だから、この矢継家に生活費と学費を負担してもらう?

 それでよかった?

 その決断で間違ってなかった?


 ううん、もうすでに、そこから間違っていたのだとしたら?

 じゃあ、高校を辞めて、そもそも働く?


 嫌だよ、だって、お父さんの借金でしょ?

 一人でなんとか頑張って返してよ?

 

 ……そんな、そんなことをいえるだろうか。


 これまで一生懸命に育ててくれたのに?

 無理をして働いて、借金して返して――お父さんに何かあったら?

 私の、残されたたった一人きりの家族なのに?


 仏壇と線香の香りが頭によみがえる。

 私を生んですぐに死んだお母さんの遺影が脳裏に浮かぶ。

 一度も顔を見たことがない、お母さんの……。

 お父さんまで、なにか、あったら……。


 嫌だ。

 本当に、心から、それだけはと心が悲鳴をあげそうになる。

 

 そして、思い返す。

 亮くんに、そして凪くんにもいわれたことを。


 ――お前のせいで。

 

 そう、私は、全く関係のない人たちを私の問題に引き込んでいる。

 

 私の、せいで、誰かが傷ついているのだ。

 これを、解決しないと。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ノックの音が部屋の中に届いた。

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