第9話 樹くん①

 少し固めの布団ではなく、ふかふかの白いシーツで起きてすぐに、自宅じゃないことに気づく。

 そうだった、今日から矢継家にお世話になるんだった。


 矢継のおじいちゃんに用意された、とても大きなお部屋は、私にとって妙に落ち着かない。それどころか――いつも当たり前のようにいるはずのお父さんの姿がない。


 もの寂しさすら感じる。

 幸いにも今日は土曜日で、慌てて学校に行く準備をしなくてもいい。

 ただ――

 

「これから、どうしようかな」


 身支度を整え、誰に聞かれる訳でもないのに呟いてしまう。

 昨日と同じメイドさんに運ばれた朝食を部屋で食べてる最中に、ノックと共にその来客は訪れた。


「あの、愛理、ちゃん……」

 

 朝日に照らされた、輝く髪の毛がとても眩しい。

 けれど相反するように暗く、部屋に入るのを躊躇していた男の子。

 

「――樹くん?おはよう」

「おはよう、どうしたの?」

「おじいちゃんから、愛理ちゃんに……屋敷の中を案内するように、っていわれて」

 

 扉の前で、私は樹くんを見上げた。

 目がバチッと合って、思い切り逸らされる。女の子が苦手だっていってたしな。

 

 ……案内、か。

 確かに、暇といえば暇だ。

 だいたいの土日は友達と遊ぶか、土日に部屋を散らかしがちなお父さんの代わりに家事をやったりしていた。けどこの屋敷はメイドさんがやってくれているので、家事の時間はまるまる空いている。


「案内してくれるの?」

「うん……。確かにそうだな、って僕も思って。僕たちの屋敷はとても大きいし……というか、敷地内で、もし迷子になったら僕たちも困るわけだし……?」


――それは、庭園を見て広いなとは思っていたけれど。

迷子になるほど? いったい、どんだけ広いのだろうか……。


 とはいえ、知っておいて損はないため、お願いするために私は頷いた。

 

部屋の扉を閉め、樹くんと長い長い廊下を歩く。

隙間から光が差し込み絨毯に照らされる。

赤やオレンジ、黄色と紫が浮かび上がりそれはそれは――まるでヴェネチアンガラスのように幻想的な光景だった。

まるで遥か遠くの異国に来たみたいだと、思えるように。


 片親でお父さんが仕事仕事とばかりに大変だったから、私はどこにも旅行に行ったことがなかった。せいぜい、費用を工面してくれた修学旅行ったくらいだ。

 辛くないかといえば、それは嘘だけれども……とても大切に育ててくれたから、そこは感謝しかない。恥ずかしくてそんなことは、絶対にいわないけれども。


 だから、こういったとても素敵な光景や、感動したことは、ささやかだけれども、いつも共有していた。

 そして、今日もこの素敵な景色を共有したかった。

 お父さんにたった半日会えないだけで――とても心配だ。

 あとで、どうしているのかを聞いてみよう。


 そしていくつかの案内を受けつつ向かった先にあったのものは、植物園だった。

 高らかな天から差し込む太陽光。朝露がたっぷりと含まれた新緑の木々と花々とその優しく届くほのかな香りが鼻をくすぐる。

 スミレ、ライラック、バラに椿、そして他にも珍しい多肉植物たちが出迎える。


「ええ、なに、ここ……凄い……すごく素敵な庭園!」

「え、そう、かな?」

「そうだよ!すごいよ!?」

 

 そう私は、純粋な気持ちで返した。

 ここまでたくさんの植物が、生き生きと育っている。見たことがない花もあり、心地よい香りで満ちている。

 そして、その色とりどりの花々を近くでじっと観察した。


 やがて、一つがやたらと目を引くことに気が付いた。

 桃色の大きな厚い花びらは、角度によって薄くも濃くも見える。なにより、香りがとても強い。


「これ……素敵なお花だね?」

「そう思う?」 

「うん、とっても丁寧に手入れされてるし。植物がとっても大好きな人が、一生懸命育ててるのかな。この花の名前は、ちょっとわからないけど」


そういうと、樹くんは少しだけ恥ずかしそうな顔をした。

 

 「それは特殊な花なんだ。でも――そう、かな?そう思う?」

 「うん。絶対、そうだと思う」

 

 ここまで、多彩な植物を、しっかりと手入れできるのは知識あってのことだろう。

 そう考えこんでいると、見ていた植物のさらに奥に、人影がいた。


 誰かと思うと、そこには凪くんと他の人影――よくみるとそれは女性で、2人で並んで立っていた。

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