第10話 旅立つ前に
「村を出たい、か」
そう呟いて、
その日の昼前。
珍しくフォルスが村長の自宅を知らない少女と尋ねてきた。
来客であるフォルスと見知らぬ少女を室内に招き、事情を聞くために村長は二人をリビングの床に座らせる。
そして何を言い出すかと待っていると「世界を見て回りたいから村を出たい」と、孫のように育ててきたフォルスは言い放った。
かつて幼い頃に両親を失い、それからしばらく面倒を見ていた人間の少年。
両親の死を乗り越え、狩猟を手伝うようになり、そして昨夜、フォレストベアに襲われるも生き残り、事故的にとはいえ討伐まで果たして村に持ち帰ってきた。
「まだまだ子供だと思っていたが」
昨晩、帰還したフォルスを見た時から感じていたことだった。
随分と成長したものだと、村の長は自分の孫を見る時と同じような目でフォルスを見て、どこか寂しそうに微笑んだ。
「若いうちに経験を積むことは良いことだ。止めはせん。止めはせんが、死なんと、約束しておくれ。村人の誰かが知らない土地で死んだなんて話は、もう聞きたくないでな」
誰の話をしているかなど、聞き直すまでもなかった。
フォルスは幼い頃見た両親の顔を思い出しながら頷き「いつかは、帰ってくるよ爺ちゃん」と、両親が死んでから何かと世話を焼いてくれた村長に向かってニコッと笑う。
「直ぐに発つのか?」
「いや、準備はしないとだから、荷物をまとめて、家の掃除してから出るつもりだし。まあ早くても三日とか四日後かな?」
「そうか。ところでフォル坊や」
「なに爺ちゃん」
「お前さんの隣で大人しく座っておるめんこい娘っ子は誰だい? この村の者ではなかろう?」
この村長の言葉に、さてなんと答えるべきかと思考を巡らせようとした瞬間だった。
「私はニュイという冒険者です。旅をしていたのですが、昨晩森に迷って困っていたところでフォルスくんに助けてもらいました」
いや、そんなありきたりな理由逆に怪しくねえか? などと考えるが、あえて何も言わず、フォルスは村長の方をチラッと見る。
「ほお。若いのに冒険者とな。なるほどなあ、女に惚れて一緒に行きたくなったか。フォル坊も恋を知ったのだなあ」
「いやいや違うから」
「カッカッカ。照れるな照れるな。まあ村のみんなにはワシから言っておこう。急ぐ理由も無いのだろう? しっかり準備して、気を落ち着かせ、それでも旅に出たい気持ちが治らなければ、その時はまた挨拶に来なさい。旅立ちの祈りでもって送らせてもらうよ」
「分かった。ありがとう爺ちゃん」
「若い二人。残って子を成してくれたほうが、ありがたいんじゃがなあ」
「いや、だから俺たちそんなんじゃないから」
村長の冗談に肩をすくめ、困った様子でフォルスは苦笑する。
そしてすぐに「じゃあ、片付けと荷作りがあるから」と、フォルスとニュイは村長宅をあとにした。
その帰り道、フォルスは村長の言葉を思い出して再び苦笑する。
「子を成してくれた方がって言っても、ニュイは機械だしなあ」
「いや出来るぞ? このマテリアルボディは人体の機能を完全再現しているからな。ほれ、触ってみろ」
そう言いながら、ニュイはフォルスの手を掴むと、その手を自分の胸に押し当てた。
「お前何やっとんじゃあ!」
「心音を聞かせようと思ったまでよ。どうだ? 聞こえたか?」
「自分の心臓の音のせいで何も聞こえんわ! こんなところ誰かに見られたらすぐ噂になっちまうよ。ったく」
と、辺りを見渡そうと視線を向けた先。
民家を囲む、石を積んだ壁の影から、この村に住む、フォルスより遥かに幼い五、六歳の少年が二人の様子を覗いていた。
「よ、ようアルフ」
「こんちわフォル兄ちゃん」
「さ、さっきの見てたか?」
「兄ちゃんが女の子の胸触ったところ? 見たよ?」
「そ、そっか〜。べ、別に悪いことはしてないから、誰にも言わないでくれな?」
「わあった!」
そう言ってニコッと満面の笑顔を浮かべると、少年は走って自分の家のほうへ向かっていった。
「ここは良い村だな」
「異種族が寄り集まって出来た村だからかもなあ。変な因習もないし。ど田舎って事を除けば住み良い村だと思う。前世の記憶が戻った今でもな」
そんな話をしながら自宅に戻ると、フォルスは自宅の掃除を始める。
転生してから十六年暮らした木造の家は、柱に刻まれた状態保全の魔法陣のおかげで新築とまでは言えないが、綺麗な状態を保っている。
魔法陣自体が劣化して効果が薄くならない限りは、今しばらく放置しても朽ちたりはしないだろう。
「それでも、埃はたまるんだよなあ」
床を拭いたり棚の埃を落としながら呟くフォルス。
その後ろでニュイが背中から機械の翼を伸ばして、その翼の先で握った手拭いで屋根の梁を拭く。
本来なら家族三人で住む家だ。
決して大きくはなかったが、それでも隅々まで掃除するとなると一日は掛かる。
フォルスとニュイはその日を自宅の掃除に費やし、また同じベッドで眠るのだった。
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