第8話 これからのこと

 自宅に帰宅したフォルスを待っていたのは母の古着を着ている人の姿のニュイだった。


 そのニュイが作ったフォレストベアの肉を使った野菜炒めやスープに舌鼓を打つフォルス。


 そんなフォルスが座るテーブルの対面に座っているニュイは、自分が作った料理を美味しそうに食べるフォルスの姿に微笑んでいた。


「ご馳走様でした。いやあマジで美味かった」


「味付けは塩だけだがな」


「いやいや十分だよ。焼くだけ煮るだけよりは遥かに美味い」


「だが良かったのか? 最後の塩だったぞ?」


「良いよ。どうせ俺じゃあ使い渋っていつまでもそのままだった」


 そんな話をしながら木の皿をキッチンの水場に持って行こうとしたフォルスの手を、ニュイが抑えた。

 その不意の行動にフォルスの心臓が高鳴る。


「片付けは私がやるよマスター」


「あ、ああ。ありがとう」


 フォルスが重ねた皿を取り、ニュイが代わりに水場に持っていく。

 その後ろ姿に、フォルスは一瞬、亡き母の姿を思い出していた。

 

「なんか、変な感じだ。日本で暮らしていた頃の記憶とここで暮らしていた頃の記憶。二つが混ざって溶け合って」


「転生した人間に発症する記憶混濁か。すまないな、私にもそれは治せない」


「いや、大丈夫。辛いとか悲しいとかもまあ全くないわけじゃないけど。今、生きてるしな」


 皿を洗っているニュイと話しながら、フォルスは前世の記憶を思い出していた。


 二十代半ばでフォルスと同じく両親が他界。

 仕事をしつつ長い休みには愛車のバイクで日本中を旅して。

 現地で出会った人たちと仲良くなって酒を飲み。

 観光地をフラフラしたり、ちょっと度胸試しに有名な心霊スポットに行ってみたりした記憶。


 ニュイが用意してくれた水を飲みながら、物思いに耽っていると「これからどうする?」と、食器を片付け終わったニュイが対面に座り直しながら聞いてきた。


「この村で一生一緒に静かに暮らすか?」


「それって結婚するって事じゃない?」


「それがマスターの願いなら、私は別に構わんよ。だが、本当の願いはそうではあるまい?」


「なんで分かる?」


「この村で一生暮らすかと聞いた時、嫌そうな顔をしていたからな」


 ニュイに言われ、すぐ感情が表に出てしまう自分の顔をフォルスは軽くハタいて苦笑した。


 魔法があって。

 魔物がいて。

 行ったことはないがダンジョンがあって。

 人間に始まり、エルフや獣人、ドワーフに妖精などの異種族が集まっている世界。


 この世界に生まれたフォルスからしてみれば、それは普通の事で、取り止めもない日常の一部の話だったが。


 前世の記憶が戻ってからはこの世界は未知に溢れた、不可思議で、華やかで、煌めいていて、しかし怖さもある世界へと変化した。


 ならば前世でそうしていたように、色んな場所に行ってみたい。

 色んな人と交流して、現地人の話を聞き、この世界でしか見れない物が見てみたい。


 そう思ったフォルスから出た言葉は「旅がしたいな」という短いものだったが、その言葉にニュイは嬉しそうに微笑んだ。


「私もだよマスター。ナノマシンで外界をたまに覗いていたとはいえ、この目では千年同じ部屋の景色しか見てこなかった、この体はただあそこにあっただけだった。だから私も、この目で世界を見て、この体で世界を感じてみたい」


「OK。意見は一致してるな。じゃあちょっと、旅に出ようぜ相棒」


「ああ、改めてよろしくなマスター」


 言いながら、二人はテーブルの上で握手を交わす。


 しかし本日はもう夜遅いということで、二人は寝る事にしたのだが、どうも前世の記憶が戻ってしまったせいか、フォルスは風呂に入れないことに不満を感じていた。


 とはいえこの村に風呂などない。

 水浴びをするか、熱湯に入れたタオルなどで体を拭くのが一般的だ。


「仕方ねえよな日本じゃないし」

 

「どうしたマスター」


「いやあ風呂入りたいんだけど、無いからどうするかなってなあ」


 自室でタオルを取り、ニュイと話をしながらダイニングキッチンで湯を沸かし、その湯をタオルに掛けながら、フォルスはため息を吐く。


「ちょっと体吹くから向こう向いててくれないか?」


「気にする必要はないぞマスター。私は気にしない」


「俺が気になるんだよ。好みの可愛い女の子の前で服脱ぐんだぞ?」


「その感覚は私には分からん。そうだ、私が拭いてやろうか?」


 冗談なんだか、本気なんだか、ニヤッと笑みを浮かべるニュイ。

 そんなニュイに照れて顔を赤くしながら、フォルスはダイニングから出ようとしたが、ニュイに回り込まれドアの前に立ち塞がられてしまう。


「さあ、遠慮するなマスター」


「いやいやいや。遠慮するって。自分でやる」


 軽く絞ってまだ暖かいタオルを手にニュイと対峙するフォルスだったが、ニュイが一歩前に出たと思ったときには手に持っていたはずのタオルがいつのまにかニュイに握られていた。


 時間でも止まっていたのかと、ニュイの赤い眼を見つめるフォルスにニュイは先程と同じように悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「な、何かしたのか?」


「特別なにもしてないよ。昔いた、武神と呼ばれていた徒手空拳に秀でていた男の動きをトレースしただけでな」


「なにそれ怖い。俺に勝ち目がないんだが?」


「勝つ必要はあるまい。私が守ってやるぞマスター。さあ、観念して服を脱ぐのだ」


 言いながら、タオル片手にジリジリにじり寄っていくニュイ。

 結局逃げることも抵抗することもできず、すっかり夜が更けた村の一角で「いやあ!」と短くフォルスの悲鳴が上がったのだった。

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