第40話 弾けないピアノ
リハーサルを終え、霧崎のコンサートは静かに進んでいく。
重々しい音は、会場に響く。
1曲目、2曲目、なんなくこなしていくが残るあと数曲で、客先の熱がピークに達したとき、それが起こった。霧崎の指づかいに異変が起こる。
サポートとして楓も連弾していたが、どうも動きが先ほどからぎこちない。
ラスト直前にメンテナンスとアナウンスを入れ休憩に入り、マネージャーも異変に気付いたようだ。霧崎に心配そうに声をかけている。楓も霧崎に問いかけた。
「霧崎さん、もしかして」
「……」
「やっぱり、なにか……病気だったんですね」
楓の声が震える。以前、指摘していたのに、どうして今頃になってと後悔する。あの時、説得して病院に連れて行けば――。その思考を読んだのか、霧崎は首を振った。
「いや、お前の責任じゃない。この症状の治療には時間がかかる。コンサートに間に合わないから手術の日取りを延長するために無理やり薬で延ばしただけだ。……実際に当日コレでは、なんの意味もなかったがな」
「そんな――……」
「どうしてもコンサートを無事終わりたかったかったが、それは俺のミスだ。ここまでかもしれない。仕方がないが、ファンの事を思うならコンサートは中止だ。指が思うように動かない演奏なんて、こんな――……みっともない演奏なんて観客にみせられるか」
「いや、待ってください! 中止なんてダメですよ! 霧崎さんだって、観客のことをなにも思ってません。 みっともないって、違うと思います。だって……病気でみっともないって、ファンがいうとでも思ってるんですか!」
ぴしゃりといわれ、霧崎は黙りこむ。
「……最後までやりましょうよ、ファンの方たちだって、みんなコンサートのラストの曲を待ってます。霧崎さん、僕も全力で手伝いますから」
「手伝う、ってお前、この状況で」
「――僕が弾きます」
「東野が?」
「楓くんが?」
楓の申し出にマネージャーと霧崎の声が重なる。
「はい。霧崎さんの曲、僕は先日まで練習していました。これからのリストの曲は弾けます、だから、コンサート続けましょうよ! 僕が、代わりに――連弾、しますから!」
「連弾、って、お前本気か?」
「やります、やれますから! 僕が……メインを弾きますから。手の件を素直に伝えて、お客さんを、事情を話して説得しましょう!」
楓はマネージャーに詰め寄った。そう、過去に練習していた。何度も、霧崎と。
初回なら厳しい可能性もあるが、過去に一緒に練習したことがある曲ならいけるハズだ。そういった点では霧崎と徹夜で度々練習していて運がよかったともいえる。
「連弾か……できる、だろうか」
「できると思……いえ、できます。いつも僕にやれっていってるじゃないですか。それでも、自信がないんですか? 霧崎さんらしくない」
楓のわかりやすい挑発に、霧崎はフッと笑みをこぼす。
「――そうだな。東野、お前のいう通りだ。お前に励まされるとは。俺が弱気じゃダメだな」
「その調子です、霧崎さん。絶対に、やりきりましょう」
そうして、楓はがたりと椅子を立ち上がり、コンサートのステージ前へと移動した。楓はちらりと観客席を見た。隣にマネージャーが立ち、楓の肩に手を添える。
「……あれだけ大見得をきったのに、僕がしっかりやらなきゃダメだって、でも、でもやっぱり怖いです」
「楓、大丈夫よ。二人があなたを信頼してるもの」
「……ふたり?」
マネージャーは楓の両肩をもって、しっかりと見返した。
「実は霧崎と蒼汰が、あなたをこのコンサートにどうか、って進言したのよ」
「え、なんででしょう?」
「通りすがりの誰から、妙な手紙をもらったって聞いてね……しばらく元気がなかったんでしょう? それで、あの二人がファンの方にあなたを認めさせたい、って……そういってなんとか調整したの。これはいわば、チャンスだと思わない?」
「そんな、初耳です」
「そうね。特別にコンサート用の楽曲を用意したのは霧崎、その内容と全体のバックアップは蒼汰が。だから、お礼をいうなら、その機会を設けてくれた二人よ」
「あの二人が――……!」
不安だったけれども少し、いやだいぶ元気を取り戻した。
「マネージャー、教えてくれて……ありがとうございます。僕、二人の期待に――……みんなのために、頑張ります」
うなずいて、まばらな拍手とともに楓はステージへと歩く。
「みなさん」
しんと静まり返ったステージに、楓は立っていた。
霧崎がピアノの前に座って、じっと楓の様子を伺っている。
「きてくれている皆さんのために、このステージの霧崎さんは一生懸命コンサートを頑張っています。ですが」
大きく息を吸い込む。
「霧崎さんは、今、病がありピアノをうまく弾けません。でも、ご来場いただいているファンのためにテープを巻きながら必死に弾いています」
ステージ横の姫野が動揺し、小さく「えっ」というと霧崎の方を見やった。
「どうか、彼のいちファンである僕からもお願いです。このまま、最後までコンサートを続けさせていただくために――……」
深々と楓はお辞儀をした。
「僕は、霧崎さんほどうまくはありませんが――彼の代わりに一緒に弾かせてください。連弾で、この先をやる予定です。このコンサートの、お手伝いをさせてください」
目をつむり、観客の全員に対して頭を下げる。
水をうったような静寂がコンサートホールへ広がった。
大丈夫、だろうか。困惑する様子がみてとれる。
そう楓がいうと、コンサート会場に遠慮がちの拍手がパチパチと叩かれ――やがて拍手が大きく響き渡った。
「ありがとうございます!」
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