第41話 二人目の婚約者候補/記憶の彼方に
観客の拍手の反応に続けられそうだ、と楓は判断した。
霧崎はじっと楓の瞳に対し、薄く笑いかける。反応するかのようににこりと笑う楓の表情をみて、霧崎はここに座れとトントンと椅子を指さす。
――連弾だ。
大丈夫、慣れていないけれども、なんとかなる。
霧崎さんとは何度も練習しているから、感覚でついていける、けれど、ぶっつけ本番であることに楓はごくりと息を呑んだ。
緊張したその様子に、霧埼は目を細めて楓の肩を叩いた。テーピングした指が、楓の視界に入る。
そうだ、彼のために、全力を尽くさないと、と笑みを浮かべた。
以前自分を助けてくれたではないか、それなら今回は自分が助ける番だと。
これまでずっと、たった一人で活動していたのに、二人でステージにたつことが楽しくて仕方がない。練習などそこそこはやっていたが連弾メインではない。それでも、息がぴったり合っている。
(いや――、合わせてくれている、んだな)
楓はそう考え、とても嬉しかった。
純粋に、自分を、自分の演奏を認めてくれることが嬉しかった。
それは今までの人生で、誰も向いてくれなかった自分自身を、たくさんの人間が自分自身をしっかりと見てくれている、という証拠でもあった。
「霧埼さん、って……なんだかいい人ですね。どっちかというと苦手だったんですけど……今は」
弾きながら、小さく楓は呟いた。
その言葉を聴いているのは真横に座る霧崎だけだ。鍵盤から目を離さぬままで。
「とってもいい人です。僕のことも、いつも……練習に付き合ってくれて、ありがとうございました」
そういって、楓は嬉しそうに大きく笑った。
いつもの曲調とは違うかもしれないが、それも観客は楽しんでくれるだろうか。
そんなことを考えながら次の曲へと転じる。
次は聞いたことがない曲だと思っていた。けれど、この感覚に覚えがある。
いつか一緒にこの曲を弾いたことがある。
指が一瞬だけ止まり、そこは霧崎がフォローした。
ああ二人で弾いていてよかった、と安堵する。
そこでようやく最後のラスト曲が終わり、楓はようやく鍵盤に指を置いた。
流れるメロディ、
ぽろりと何かが、遠い記憶からよみがえる。
「れいじ、くん――……?」
楓の言葉に、横にいた霧崎の動きも一瞬だけ止まった。
何度か、聴いたことがあるはずだと訴えていた。
これは確かに聴いていたのだ。
アレンジが当時、聴いたあの時と違うため、気づきにくかったが。
思い出した、記憶の扉が開く。
――れいじ?
小さな頃に、行われた誕生日パーティー。プレゼントをくれた少し年上の男の子。ピアノをうまく弾けない私が泣いていると、一緒に弾いた男の子。あれは――、きりさきれいじ、という名前じゃなかっただろうか。
弾き終わり、指が止まる。
思い出した、きりさき、れいじ……。
アンコールとして姫野は声を振り絞って、アカペラで歌う。
ただの女優、と侮ることなかれマイクを力いっぱいに握りしめ、歌唱力は抜群だった。
割れんばかりの大きな拍手が、会場を包み込んだ。
楓は、こみ上げてくる涙を、グッとこらえた。
成功、だ。
拍手と割れんばかりのアンコール。
最後に1曲だけ弾いて、礼をしながら楽屋へと戻っていく。
楽屋に戻り、霧崎は後ろ手に鍵をさらりと閉めると楓を見やった。
楓のぼうぜんとしたような表情をみて、霧崎は口を開く。
「その通りだ、楓。あの曲は誕生日の時に、西園寺家に贈ったものだ。かなり、昔にな」
その言葉に、楓はひどく動揺した。
「なんで、なんで……?」
「西園寺楓。俺は婚約者候補だからな、この曲を再び聴かせて、あの時のお礼をいいたかった――……」
「まさか、婚約者候補……霧崎さんがですか? でも、お礼ってなにを……?」
蒼汰がいっていた、「今、候補者だと教えるには問題がある一人」
それが霧崎だというのか。楓は突如としてだされた自身の名前に混乱した。
「聴いたことがある、といっていたな。それならば確かに、この曲を知っているはずだ。この曲は――お前がきっかけで作ったのだから」
「え、それは……どういう、ことでしょう」
腕を掴まれ、大きく距離を詰められる。そのアメジストの瞳が揺れ、輝いて捕えられた。さらりと髪をひとつすくわれ、捕えられたまま目が離せない。
「……さて、コンサートが終わったからゆっくりと話そうか。どうして男装を? 楓」
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