第31話 ライバルがいる?

 翌日、AM10:00。楓はマネージャーに言われた通り、CDを渡すために霧崎の部屋のドアをノックした。

「誰だ?」と回答があった瞬間に扉が開けられ、該当人物の霧崎が目の前に現れる。少しだけ寝不足なのか、けだるそうだ。

 

「東野、お前か。なんだ?」

「CDを渡してほしいとマネージャーからいわれまして」

 

 楓の返しに、霧崎は「なるほど」と小さくつぶやき頷いた。

 

「ああ、助かる。とりあえず入れ」

「え、っと……」

 

 足元がふらついているのか、少しだけ体調が悪そうだ。楓はどうしようか迷ったが、断る理由もなく足を踏み入れた。部屋はそこそこに片付いており、白とグレーで構成されたシンプルな部屋だ。机の上には乱雑にピアノの譜面が散らばっており、その他の棚にはさらに高くCDと譜面が積み重なっているのも気になった。

 

「霧崎さん、体調悪いなら休んでください。僕は特に用は他になくて――……お邪魔でしょうし」

「いや、作業が進まなくてな……ちょうど気分転換したかったところだ。せっかくきたんだから、少し話そう。とりあえず座ってくれ」

 

 そこまでいわれてしまっては、もうどうすることもできない。楓はそのままソファーに座った。誘われたから部屋に入ったものの居座る理由もなく、会話という会話も特に思い浮かばない。そもそも、霧崎は一体いつも何を考えているのだろう――どうも居心地悪く落ち着かない。


 静かな部屋の中で、たまらず無難な会話でも、と切り出した。

 

「最近、というかいつも忙しそうですね」

「まあそこそこな。もう少ししたらコンサートを予定しててな。マネージャーが調整中だ。それで、新曲を作れと矢の催促が――……と、コーヒーは要るか?」

「ありがとうございます、あ、自分でやりますので」

 

 コーヒーカップを受け取り、焙煎された豆の香りが鼻に届く。霧崎の手元をみて、昨日の様子について思い出した。

 

「体調はどうですか。手はもう治りましたか?」

「……たいしたことじゃない。昨日は少し疲労がたまっているだけだ」

「――本当ですか?」

 

 念を押したその言葉の返答はない。会話が続かず、違和感があったのに本人に隠されては話にならないとばかりに楓はため息をついた。


「ところで、霧崎さん。さきほど、コンサートがあるっていってましたが、どこで開催されるんです?いつ?」

「来週な。場所はこないだのお前たちと一緒だ。できている譜面を見てみるか?」

「わ、ちょっと聞いてみたいですね。ありがとうございます」

 

 ピアノの譜面とCDまでも楓に渡し見せてくれた。

いつも厳しめではあるが、なんだかんだと話が好きな人なのかもしれない――。

そう思い、口元を緩めながらも、楓は見つめた。


「なんだ?」

「なんでもありません。せっかくなんで、これからちょっと弾いてみちゃいましょうかね。持って行ってもいいですか?」

「――コピーだから、かまわない。今日は休ませてもらう。防音室は好きにしろ」

「それなら良かった、コーヒーごちそうさまです」


 思わず霧崎も口角を上げる。そのまま楓は部屋から退室し、防音室へと向かった。この曲の他にもいくつか、弾いてみよう――……そう思い、楓は盤面をそろそろと叩き出した。


 ここ数日間、楓は防音室にこもってばかりだ。独占状態で結局淳史も含め、メンバーは代わる代わる練習にきているが、全員時間がバラバラだ。


 一緒に練習することがほとんどない。


というか、全員で一緒にはほとんど練習していない。作曲作業、振り付けに、楽譜作成に――など各々振られている仕事をそつなくこなしているようだった。

蒼汰は特に一緒にいない。編集作業に忙しいそうだ。


(少しだけ、さびしいな)


蒼汰の部屋の前を通り、楓は少しだけ心が痛んだ。


(……寂しい?)


 やがて考え直し、首をぶんぶんと振る。

 

 ひとまず集中してそれぞれと練習できるいい機会ではあるのだが、そもそもそれ以外の仕事も忙しいとぼやく。ならば、全員いったい何をしているのだろうと気になって仕方がない。 そう思っていると、楓の元に悠がギターを持って練習しにきた。

 

 みなさん、普段いったい何をしているんですか――? と尋ねようと思った時、先に口を開いたのは悠だった。

 

「お前って、これまで何をしてたんだ?」

「……何をって、どうしてそんなことを」

「いや? 経歴がな。履歴書はみたけど……ざっくりとだったし」


 そういわれ、楓は焦った。履歴書はそもそも、自分のではない。

 内容が気になったが、いったんそこは誤魔化すことにした。知らないことはいえないのだから、やむを得ない。下手にとりつくろえば嘘が露見してしまう可能性もある。

 

「えっと僕のことより、悠さんたちのことを知りたいですけどね。いつも普段何してるのかとか……趣味とか?」

 

「……わざわざ聞くのか?」

「はい、興味があるので知りたいです」

「興味がある?」

「あります」

 

 そうして自分をじっくりと見上げてきた楓の様子に、悠は思わず息を呑み視線を外した。もしかしたら女性では、と思っているだけに意識してしまうと、とたんに気恥ずかしくなる。

 

「普段練習しているが、まあ合わせて練習したり……、俺は歌詞、淳史は振り付け、蒼汰は編集、霧崎さんは曲と楽譜。夜は各自の作業に没頭してたりするかな。あと、それを兼ねて事務所から委託された仕事をこなしてる。なにせ他のユニットの分も請け負ってるからな」

 

「他のユニット?でも、ここには――……」

 

「そうか……お前、知らなかったのか……。仕方ないかもしれないけどな。うちの芸能プロダクションは最近ようやく名が知れてきたくらいだから、俺らは他のユニットグループ分も兼ねて仕事してるんだよ。んで、俺らだけが寮に入ってるのは、全体的な仕事効率のためだ。どうしても倒したい他の芸能プロダクションのユニットグループがいて、今みんなで必死に勝つために活動してる。そのために、いつも誰かがいたりいなかったりするだろ?」


 そういわれてみれば、そうだ。

毎日のように誰かが寮にいないのは不自然だと思っていた。

まさか、それぞれが兼業で他のユニットグループ分まで仕事をしているとは思わなかったが。

 そして、今の話で楓が一番気になったのは――……

 

「あの、なんですか? 倒したいユニット、って?」


「……それも知らなかったか。アルハザート。ライバル芸能プロダクションに在籍してる、由良咲也がボーカルを務めるユニットだ。うちよりも大きくて、悔しいけど一流だ。そのライバル会社に勝ちたい、というのがうちの会社の悲願でね。俺らも、そこに向けて頑張っているところ」


「なるほど……」

「お前……まさか……アルハザートすらも知らない、ってことか? だとしたら、世間知らずにもほどがあるが」

 

 いちいち嫌みないい方をするものだ。しかし当初、オルフェウスの曲を何一つしらなかった自分を思い返す。反論できず、楓は思わず言葉につまった。しかし今は毎日の練習の甲斐あって、全曲それなりに弾ける。

 

「知りません……ので、知るための努力はしてます」

「まあ、確かにそれなりにはな。アルハザードを知らないのが……いたのか……」

 

 当初より顔つきがだいぶ変わったように思え、ふいに悠は楓に近寄る。おどおどしていたあの時に比べれば、今は意思のある瞳でしっかりと自分を見返してくるようになった。

 

「楓」

「なんです?」


 そういって、楓の手を取った。か細い指と大きな瞳に、頭の片隅に既視感デジャヴを覚える。その滑らかな肌を確かめるように、じっと眺めた。

 

「霧崎さんだけじゃなくて悠さんまで……。一体なんですか? 手になにかついています?」

「……確かめたかっただけだ、なんでもない」

「じゃ、もう寝ますから」

 

 楓が去っていったリビングで悠は、


「やっぱり、どうみても女の手だろ……あの時の……西園寺楓にしか……」


人知れずそう、呟いた。

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