第30話 ピアノレッスン&霧崎の違和感
あの時の嫌がらせメモは机のままに置かれたままだ。
お風呂から上がり、 ぼんやりとそのまま楓はパジャマに着替える。袖を通し、ボタンをとめ――すると、コンコン、と不躾なドアのノックが耳に届いた。
「開けるぞ」
すると声と共にドアが開け放たれた。
「うわあ!」
どうぞ、という間もなく着替え終わった瞬間の出来事だった。
あやうくバレるところだった――、と楓は焦る。
ぼんやりとしていたので、施錠を忘れていたようだ。
来訪の声の主である霧崎は、平然とした顔でツカツカと歩み寄ってきた。
だから施錠しろといっただろ!――とまだ怒られてもいないのに、蒼汰の声が頭の中で響いている。
「な、なんですか……突然……」
そして今回も例にもれず、サラシは寝る前で巻いていない。
焦りでドキドキとしながらも、とっさにバレないよう、楓はタオルケットを手に取った。
「――なんだ?何か、隠してるのか?」
「な……」
更に近づいてくる霧崎を手で制止し、慌てて首をぶんぶんと横に振る。
「いえ、別に!気にしないでくださいというか、こっちへこないでください!!」
「……?」
そう悲鳴のように叫びながら、慌てて楓はタオルケットを肩に羽織る。
――これでひとまずは大丈夫だ。
「寒かったので」
「……いや、暑いの間違いじゃないのか? というより、お前の顔は赤くみえるが。もしかして、熱でも――」
「ありません!」
大きく距離を詰められ額に触られそうになり、慌てて後ずさる。怪訝な表情を浮かべつつ眉をひそめられる。、楓は苦笑いを浮かべた。
「……譜面を新しく持ってきた」
「そ、そうなんですね。明日にでも弾きますか?」
「何を馬鹿な。これから弾くだろう? まさか、もう寝るつもりなのか?」
――なんと、さも当たり前のようにいわれてしまった。
「……あ、なるほど! そうでした、霧崎さんは狂気が正気ですもんね?」
明るく答えたその言葉の選別が非常に悪かったのであろう。
「……どうやら徹夜も辞さない覚悟のようだな?」
「うう、しまった……」
まさに悪魔のような笑みを浮かべられた。悪夢再来である。なんでこの人はこんなに自分に絡んでくるんだろう、と思いながら楓はうなだれた。防音室についてから、さっそく譜面を取り出し練習を開始する。
その中に一枚、違う譜面のものが入っていた。
「これが霧崎さんの曲ですか?」
「ああ」
試しに、とその場で霧崎が弾き出す。なるほど確かに曲のテンポがすごくいい。どんな感じだろうか、ぜひとも生の歌声もセットで聞いてみたいものだと考えながら、そのまま指をじっと見つめる。
しかし、その直後に違和感を覚えた。
霧崎の指は長く綺麗で、滑らかなタッチで叩くはずなのに、今は少しだけぎこちない。
「霧崎さん。怪我、してます?なんだか調子が悪そうですけど」
「……怪我ではないが、少しな」
「どうされたんですか?」
「気にするな、なんともない」
「そんなこと、ありませんよね。なんだか様子がおかしいです――」
そう、いい終わる前に楓は指を掴んだ。なんだか震えているようにも見える。
「
「……気にするな、といっただろう」
空気が重苦しく変わる。そう言い残し、霧崎は振り払うように手を引っ込め防音室を後にした。一人残された防音室で、譜面を眺め楓は静かに考える。
すると、マネージャーがコンコンとノックと共に防音室にやってきた。
「あ」
「楓くん、ここにいたのね。どう?調子は」
「まあまあ、ですかね?」
「あら、そうなの?それなら結構。それにしても、嬉しいわ。こんな時間まで練習とか頑張っているなら」
「ええ、まあ……」
本来であれば、眠たかったのだが、という言葉を呑みこんだ。
「ちょっと顔を見たかっただけだから……じゃあ、私はもう行くわ」
「あの、マネージャー! 霧崎さん、って体調とか、悪いんですか?」
「え?本人からは何も聞いてないけど、どうかしたの?」
「そう、ですか……」
マネージャーにも話していない、となるとどうも胸騒ぎがする。
「ああ、そうだ。明日、霧崎くんにこの譜面と資料を渡しておいて。もう少しで開催されるコンサートのヤツだ、って。部屋に行こうにも――もう遅いし。あんまり遅い時間に男性の部屋に行くと、私の旦那が嫉妬しちゃうのよね」
「……マネージャーって、結婚されてたんですか? っと、わかりました、明日にでも渡します」
「そうよぉ。私の旦那、超イケメンなの」
にっこりととても嬉しそうにマネージャーは顔をほころばせると、楓は譜面一式を受け取った。
「じゃ、練習頑張って」
そう言い残し、手を振ってマネージャーはいそいそと部屋の扉を閉めて去っていった。
手元のCDと譜面を眺め、どんな曲か気になった楓はCDをひっそりと流し込む。
「やっぱり、この曲……聞いたことあるなあ」
とんとんと足を落ち着かず踏み鳴らし、腕を組み考え込む。
指を鍵盤に置き、こっそりと弾いてみる。
(でも、思い出せないなあ)
何度も試し弾きして遅い時間になってしまった。
ひとまず、明日霧崎の部屋を訪ねて渡しにいこう、そうして楓は部屋に戻って眠った。
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