第8話 婚約者の話。

 「……わたし」

 楓はそこでようやく意を決すると、口を開き始めた。


「あの日……ホテルでお見合いの予定だったんです。その顔合わせで」


 ごくり、と唾を飲み込みつつ、そのまま話を続けた。


「最近決まって、相手の名前は知らないんです。というか私が知ろうとしなかった。勝手に決められた話で自暴自棄になって、名前や顔を見る前に書類を破棄しちゃったの。でも私は……とにかく相手が誰であれ、結婚するなら好きな人じゃないと――って、なんの意味もないから……」


「西園寺家レベルのご令嬢だと政略結婚は当たり前だよね。相手が誰であろうと、仕方がないんじゃないの? 好きな人とがいい、って随分とロマンチストな思考だけど、それが今回逃げた理由だってこと?」

 

「ううん。そうじゃなくて……どういったらいいか。だから、お見合いが嫌だった、というよりこのまま結婚で人生が終わるのが嫌だったんだと思います。だって」

 

 楓は蒼太の顔を見て、きっぱりといった。

 

「会う直前にいわれたんです、秘書の女性に。父もお見合い相手の方々もあなたが今後もずっと家庭にいることを望んでいますよ、よかったですね。もし婚約したら静かにご自宅で過ごせますね、って……」

 

 楓は涙をこぼした。


「それを聞いて……息が苦しくなっちゃって。だから逃げたんです、結婚する前に、婚約する前に、自分なりに青春らしい、学生らしい、子供らしい、将来をイメージして仕事をしたり、そんな自由な時間が欲しかった」


「そんな――……」


「……理解できないのはわかるけど、私にとっては、本当に大事なことなの。私、ずっと遊びに行きたかった。青春ぽいことをしたかった。同じ年頃の女の子がたくさん、クレープやジュースを持って、嬉しそうに、楽しそうに街中で歩いているのに。買い物をしたり、アクセサリーを選んだり。うちみたいな財閥の娘には、ふさわしくない、って全て食べさせてもくれない。つけるアクセサリーだって毎日決まってる。安物だ、って友達にもらったものを捨てられたこともあるのよ」


 楓は、自分の服の裾を思わずギュッと強く掴んだ。


「毎日毎日ずっと送迎されて、誰とも遊べなかった。花嫁修業だ、って習い事ばかり。カラオケだってしたい、ゲームセンターにも行きたい、ボーリングだって――どれも、何もやれないまま、結婚? どうして? 私はそのまま家にずっといるの?それって、自由で、幸せなの? じゃあお金だけあって、なぜ自由を感じないの? 私は着せ替え人形じゃないのに」


 蒼汰はなにもいわず、じっと耳を傾けていた。

 

 「生まれた瞬間から、習い事や、学校や着るもの……最後には結婚相手まで全部が定められて。それって、本当に、幸せなの? それって、私は――生きているの? 婚約するのは私である必要があった? 誰も、私そのものを見ていない。あの日の婚約者だってずっと家にいてくれっていうのは……西園寺楓、というドレスを着た女性であれば私でなくともいいんだ、って思って……だから、辛かった」


 ぽつり、と楓は虚空をみながらつぶやいた。


「どうして、私が幸せかどうかを、周りの人たちが決めるんだろう……」


今まで誰にもいえず本音を吐露し、思わず楓は涙が溢れた。

 

「……ほんの、少しでいいの。たった少しだけで、私は自由が欲しかった……」

 

 蒼汰は再びタオルを差し出すと、頭に手を置いた。

男性寮だから、と追い出し外に放り出すわけにもいかない。なにより理由をきいて無下にするにはその、理由が理由だけに蒼汰の心は揺らいだ。


 「……いいたいことは、わかった。じゃあ、君は好きなことをやれば、気が済んで家に帰るってことよね? 1年後、いや半年後に帰るなら僕も協力する。ここを辞めるときにはなんとか僕が力を尽くすよ」

 

 「蒼汰……!ありがとう」

 楓は涙をぬぐって、蒼汰に向き直った。


「のりかかった舟、といいたいけども……今は少なくとも、君が誘拐じゃないって立証しないと」

「それは……そう、です」


「僕から西園寺家側に連絡を入れるとマズいだろうな……余計なトラブルを招いちゃうし」

 

 颯汰は、ぶつぶつと何かを語っていた。少なくとも世間知らずの楓には、どうすればいいかの策が考えられない。


「あと現状の捜査を打ち切らせないとな、とにかく自分の意思で家出をしていて、しばらくすればきちんと帰るから、って……うーん。どうしたもんかなぁ」


「手紙を書いて、交渉するとか……説得してみれば話は聞いてくれるかも……」

 

「……大事なコトだけど、君からきちんと伝えれば、ご家族と交渉できる余地はあるんだね?」

 

「それはやってみないとなんともいえませんが、多少は? 父はちょっと頑固ですけど」

 

「それなら手紙より……もしかして、スマホ持ってる?」

「ええ、もってます。もちろん、電源は切ってありますけど」

「それなら……なんとかなるかも。充電だけ済ませて、電源はまだ切っておいて」

 

「どうするんですか」

 

「スマホが追跡できるのを逆手に取る、って感じかな。成功する価値はあるかわからないけど、一か八かで試してみるしかない。やるべきことは――そうだなぁ……君自身が考えた本音できちんと話した方がいいだろうから、どう説得するかだけ、しっかりと考えて欲しいかな。あとは1週間後の新規加入公開ライブまで、いかにもな本物っぽくなるようにひたすら練習する。上手くいけばいいけど――」

 

「……新規加入ライブ? 1週間後?」


「そう、1週間後。嘘みたいな期間だよね? じゃ、頑張って。新規メンバーの美人令嬢さん」


 手をひらひらとさせながら他人事のように、蒼汰はにやりと笑う。そんな、と楓は悲鳴をあげたくなった。


「ああ、それから君と僕とは同い年だ。だから、敬語はいらない。次回から外してね」


「な!? どうして……私の年齢を知って……?」


「じゃ、もう用件は終わったから、さっさと出ていってくれるかな」


 そういって、蒼汰は楓を部屋から追い出した。

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