第3話 オーディション会場へ
「待て!」
背後から、霧崎の声が聴こえたが、そういわれても待てるわけがない。
楓はオート・ロックが解除されている近くの部屋を見つけ、突撃した。
そのまま扉を静かに閉め、音を立てないようにかがんで潜む。
どうにか息を殺していると扉の向こうでは、走り去る先ほどの男性、霧崎の足音が聞こえてきた。音はやがて遠のき、非常階段を駆ける音が響いた。
(た、助かった……!)
もう少し距離が短かったら――、そしてオート・ロックのこの部屋が解除されていなければ、今頃はその霧崎、という人物に捕まっていたかもしれない。
このままじゃ見つかってしまう、とにかく、何とかしないと……と、楓は入った部屋をくまなく調べた。すると、部屋の内部にあったいくつかの服が楓の目に付く。
カツラ、男性用の舞台衣装、シンプルな靴、私服のような服……。
オーディションしてる、と先ほどエレベーター前で男性陣が会話をしていた。だからこんな舞台衣装がたくさんあるのだろう。楓は手早くメイクを落とし、そのうちの1つの衣装を選んで着替えた。
楓は女性にしては長身の方だ。髪の毛がショートボブなのも幸いしていた。男性用の私服に身を包むと、やや細身ではあるものの傍目には中世的な男性にしかみえない。
これで、ホテルから脱出できそうだ、と意気揚々と楓が部屋をでると、そこには男性が複数人並んでいた。オーディション会場にそのまま入ってきてしまったのだろうか。そうして見つからないようにそっと壁ぎわを歩いていたが、気づかないわけがない。そのうちの一人が楓に気づくと、ほっと胸をなでおろした様子の男性が、声をかけてきた。
「まだオーディション参加者が残っていたのか」
「さっき、そういえば履歴書はあるのに、まだきてない人が一人いるっていってましたよね? その人じゃないですか」
「ああ、そうだった。君があの1つだけ残った履歴書の東野くんか。じゃあ君、こちらへ」
「え、東野? わたし……いや、僕は違います」
「何いってるんだ、そんなオーディション用の服を着ておいて。ほら、こっちへ」
どうやらたまたま手にとったのは、オーディション参加者用の衣装だったようだ。
楓は困惑しながら、スタッフに強引に腕をとられ、近くの部屋へと入っていった。
「さて、とにかくはじめようか。履歴書があるから概要はわかってるよ。それに君が最後の応募者だから、アピールはゆっくりやってくれて構わない。やれるものはなんでも、特技でもいいし。履歴書には……なんでもできます、って書いてあるけど」
この状況では別人です、違います、とはいい辛い。
なにより、別人だといってしまうとじゃあ自分は何者なのか?と藪蛇となってしまうだろう。仕方なく、スタッフの話に合わせることにした。
「特技ですか?」
オーディションならば、これを受けた後は解放されるはずだ。
「ああ、ここにあるもので、弾ける楽器ならなんでもいいよ、メンバーの都合上、キーボードかピアノだと助かるかな」
「あ、わた……僕、ピアノが弾けます」
楓は、幼いころから、ずっと個人レッスンでピアノをやらされていた。そもそもピアノを趣味で弾くのが好きで、毎日、勉強に影響ない程度に弾いていた。
譜面を読むのはもちろん、アレンジだろうが即興だろうが――そこそこ弾ける自信がある。幸いにもこの会場にはアップライトピアノが設置されていた。グランドピアノほどではないが、ほんの余興として演技するにはこれでも十分だ。
楓は一礼すると、ピアノの前に座った。
すぅっと息を整え、盤面に手を置き、まずは指鳴らしに、簡単なものから……と、そろそろと弾き始める。
その静かで、ゆったりと響き渡るピアノの旋律。
さあっと広がる静かな曲が会場内を支配した。
その音の柔らかさに、一瞬でその場がざわつきだした。
「……上手い」
「ヤベェ、上手い。マジで上手い……霧崎さんとどっちが上かな?」
「それはいいすぎ。でも、俺も今までの応募者の中だったら……ピアノの上手さは断然この子だな」
とっさについ最近まで練習していた曲を弾いたが、だんだんと曲が、指が、鍵盤に馴染んできた。
アレンジジャズ、そしてテンポの良いクラシックへと繋いでいく。
「あー俺、この曲知ってる、なんだっけ? 詳しいだろ、蒼汰」
「アイネクライネ」
「そう、それ!いおうと思った!」
「……」
軽やかなテンポで指が躍り次は、ポップに繋いでいく。
絶妙な緩急をつけて。
審査員がイスを持ち、曲調をしっかりと聴き楽しもうと姿勢を正す。
そのうちに、審査員や他の応募者から手拍子が起こりはじめた。
手拍子に、思わず楓はほほ笑むように口角を上げ、審査員たちを一瞥した。角度的に流し目をする形となり、ほのかに
「ふむ……見た目もなんだかいいな? なんていうかカッコいいってより、どっちかというと美人……? いや、かわいくみえる時もあるな。雰囲気によって変わるミステリアスタイプってことかな。俺はありだと思う」
「そう、悠がそこまでいうならいいんじゃない。とりあえず満場一致ってことだね」
悠と蒼汰はぽつりと会話する。
弾き終わった後、楓が席を立つと、審査員が拍手で迎えてくれた。
楓はピアノを弾けた高揚感で頬が赤みを帯びていた。
ここまで楽しく聴いてくれるとは思わず、思わず胸が満たされて、再びにこりと微笑み、礼儀正しく礼をする。
それをみていた一人のスーツをきた女性が楓の目の前に立ちはだかり、笑顔で楓の肩をバシンと叩く。
そして楓の耳に信じられない言葉が響いた。
「合格。新規ユニットは、君に決めたわよォ!」
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