第3話

 これは私がまだ、幼い頃の話だ。


 確か、小学二年生くらいだったか。三学期が始まり、しばらくして。あの阪神淡路大震災が起きた。私は家庭の事情で親戚筋の方の家でお世話になっていたが。そのお家で親戚のお姉さんと二人で朝食を済ませて。軽く雑談をしていた。

 お姉さんがふと、テレビのスイッチを入れる。そして、画面に表示されたのは神戸の街が煙を上げ、燃え盛る光景だった。私やお姉さんは息を呑む。


(……えっ?)


 私が声も出せずに驚いていたら、お姉さんは真っ青といえる顔色で座っていた椅子から立ち上がる。ガタンッという音と「神戸では酷い揺れが明け方に起きました」と被害の状況を話すアナウンサーの声だけが部屋に響く。


「……ね、姉ちゃん」


「……テ、テレビ消そっか」


 ぎこちなく言った私に、お姉さんは顔色が悪いままではあったが。何とか答えながら、お姉さんはテレビのスイッチを消した。気まずい空気が満ちていたのだった。


 その後、お姉さんが通う学校が地震の被害で窓ガラスが割れたり、壁にヒビが入って修繕工事が行われると聞いた。そして、生徒はしばらくの間は自宅にいるようにと連絡を受けたそうだ。私はショックを受けたお姉さんにどう話しかけたものやら、考えあぐねていた。

 そんな状態が春くらいまでは続いたように思う。他の兄弟の人達も心配そうにしていた。地震から半年程が経った辺りでお姉さんは登校が再び、できるようにはなったらしい。

 ちょっとは胸を撫で下ろしたのを今でも、覚えている。この辺りで私も小学二年生から三年生に進級していた。


 三年になり、新しい担任の先生になる。ショートカットに眼鏡をかけた見るからに、闊達そうな女性の方だ。なんとなく、二年の時の担任の先生に雰囲気が似ていた。

 三年の担任の先生はテキパキしていて、褒めもしたが。厳しく怒りもするメリハリがある方だ。今でも、なかなかに怒ると怖い先生だったのを思い出す。けど、情に厚い方で私や大人しそうな子を特に気にかけていた。二年の先生は冷静で的確な方だったから、「いろんな先生がいるなあ」と驚いたものだが。

 三年になってから、私は苦手だった水泳もちょっとは克服できたように思う。何せ、水中で目を開けて泳ぐのもままならなかった。先生が特訓をつけてくれたのは薄っすらと覚えている。遠い昔の記憶ではあるが。

 現在、カナヅチにはなっているか。けど、二〜三年に六年生の三年間、お世話になったこのお二方にはお世話になったし、感謝もしていた。

 

 確か、二十歳になった頃か。久しぶりにお世話になったあのお家を訪問した。夕方近くではあったが、親戚のおばさんやお姉さんがいて。また、雑談をしていた。

 私は「中学生の頃に、〇〇先生がいたんやわ。姉ちゃん、知ってる?」と不意に、訊いてみた。

 お姉さんは懐かしそうに、「知っとるよ、〇〇先生にはほんまにお世話になったわあ」と答えてくれる。二言三言、話したが。私はお姉さん自身が嫌かな?と思い、深堀りはしなかった。もうちょい、話はしたかったが。


 今、お姉さんも過去は自分なりに整理はついたらしい。私も元気そうなのでホッとしている。父が高齢になってきたのでそっちが心配ではあるが。

 

 それでは失礼する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る