011:戦災孤児、再び炎の中へ

 朱日はそろそろ買い出しに出ようと、外に行く準備をしているところだった。最初に外に出た日に上着を羽織らずに寒い経験をした事から、それ以来、外に出る時は自前のワイン色のコートを羽織るようにしていた。これがまた、朱日の緋色の瞳と赤みがかった黒髪によく似合うのである。

 で、そんな朱日は寮の玄関で、たまたま居合わせた佐雪と永好と共に適当に駄弁っていた。急ぎの用事ではないので、付き合っているようだ。


「この時期のイギリス、なんでこがいに寒いんじゃ。日本の春はあんなにぬくいのに」

「ふふ、イギリスは北海道よりもっと北の方にあるからね〜。私もヨシくんと最初にここに来た時はまだ秋だったけど、すごい冷え込んでたから吃驚しちゃった」

「逆に、夏は日本より涼しくて過ごしやすいんじゃ。暑さと引き換えになれば、そりゃ冷えるな」


 なんて、永好はゲラゲラ笑いながら、冗談めいたような言い振りで続ける。


「ヨーロッパの各国がパスポート無しで行き来できたら、冬はギリシャやイタリアで過ごしてみたいもんじゃ。向こうの冬はこっちよりもあったかいじゃろ」

「そうなったら、私も他の国に行ってみたいかも……私はパリに行きたいな」

「わしはノルウェーやスウェーデンに興味あるかのう。オーロラってやつを一度見てみたいけぇの」


 ありもしない事に対して、思い思いにそれぞれの願望を話す三人。そう――今の段階では、ありもしない事である。この8年後、欧州連合、つまりEUが設立され、そこに加入している国はパスポート無しでも自由に行き来出来るようになるのだが、この時点ではまだ欧州連合のおの字すら出てきていない。因みに、イギリスは21世紀に入ってからそのEUから脱退することになる。

 そうして雑談している間にも、どこからか爆発音が聞こえきた。


「!」「わっ!」「あぅっ……!」


 3人はそれに驚いて、思わず反応してしまった。


「なんじゃなんじゃ? 煙臭いな」

「事故なのかな……?」

「あっ……」


 そして、3人が一斉に外に出て、外をキョロキョロと見てみると、該当のものがあった。どこかしらの建物からもくもくと煙が天へと昇っていき、パチパチ火が燃えている光景。

 ――ものの見事に、火事である。


「あ……えっと、もしかして、結構大きめだったりするのかな?」

「ダメじゃよ、ママ。危険じゃ、ここはジッとしてないと」


 佐雪が気になって身を乗り出そうとしているところを、永好が抑えていた。

 朱日は朱日でここでジッとして居られないのと、空襲の時をチラリと思い出したようで、コートのファスナーをジーッと上げながら、仁志邑親子に言った。


「わしが見に行くけぇ。その気になれば消火活動ぐらいは魔法でパパッと出来る、別に問題は無いじゃろ。流石に危なそうなら直ぐ戻ってくるわい」

「あぅ……どのみち行っちゃダメだと思うけど、気を付けてね。火事に巻き込まれちゃ駄目だよ」

「本当に危ないと思ったらワシも呼ぶんじゃぞー。お前さんの助けになる程度には、魔法使えるからの」

「ああ、ありがとう。じゃあ、行ってくる」

(とりあえず、少し様子を見に行って……特に問題なさそうなら戻るでええか。延焼しそうならパパーッと水ぶち撒けんと)


 そして、朱日は小走りで現場へと向かう。

 こちらへの延焼が無ければそれで良いのだが、身近でこういう事が起こると、どうにもこうにも気になってしまうのだった。


 火事が起こっている現場の周りには、ゾロゾロと人が集まり、火がひたすら燃え上がっているのを眺めていた。出火元はどこかのアパートの2階のようだ。パチパチと建物が燃える音が響き渡る中で、小さな爆発が起こり、周りからどよめきが走る。

 住民が走って外に出て行き、安全を確保してる中、朱日よりも一足先に陣介と午朗が現場に辿り着いていた。


「うぉっ、まぁまぁ燃えとんな!」

「これは……延焼防がないと被害が広がるやつだ……」


 体力バカの陣介に反して、息切れを起こしている午朗。陣介の後からやっと辿り着いてきた辺り、運動そのものはそこまで得意ではないみたいだ。

 陣介と午朗が人混みに紛れながら、その間を縫い、何とか列の一番前へと出る。すると、避難してきたアパートの住民が、何やら泣きながら話しているのが聞こえてくる。陣介はそれを聴き取ろうとしてみたものの、向こうは英語を話しており、何が何やら分からなかった。陣介は「うっ……」と、半目になりながら、聞き取りを諦める。


「絶対何かありそうなのに、言ってる事が全く分からんな……。言語の違いってのを痛感するわい」

「聞き取れたとして、何するんだ? もしかして、あの中に乗り込むとか?」

「……」


 陣介は午朗に言われて、アパートを改めて眺めた。確かに危険ではあるが、一階から乗り込む分にはそんなに問題は無さそうだ。

 とはいえ、言っている事が分からないと、こちらもどう行動しようか迷うところだ。これが朱日なら迷わずアパートに乗り込んでいると思われるが、それは魔力が高いからこそであり、今の陣介達が乗り込むのは危険であろう。

 陣介と午朗が出方に迷っているところへ、声変わり前の少年の声――しかもほぼネイティブである流暢な日本語で話しかけられた。


「あの女の人はね、アパートの中に子供を置いて行ってしまった、って泣きながら話してるよ」

「!」「え……」


 陣介と午朗は驚いて、思わずその声がした方向、つまり背後へと目線を向けた。

 そこにいたのは――これまた、朱日とは違うタイプの美少年だった。

 肌や顔立ちの方は白人ではなく日本人の風味が混じっており、少なくとも、生粋のイギリス人ではない事は直ぐに分かった。白人特有の立体的な顔と、アジア人らしい平面的な顔が上手く掛け合わさり、かなりバランスの良い顔立ちになっている。そこに加えて、梅幸茶色のオリーブブラウンに輝くさらさらした髪の毛に、浅緑色の虹彩が特徴的な、凛とした二重まぶたの瞳。肌の色は白人ほど白くもないが、かと言ってそこまで濃いわけでもない。何となくだが、朱日よりは濃いようには見える。

 この少年、純白人でもなければ、純日本人でもない不思議な見た目をしていた。そして、身長も朱日程ではないが、やはり高い。全体的に雰囲気も大人っぽい為、こちらよりは年上であろう。

 陣介と午朗が美少年に話しかけられて驚いている間にも、話は続く。


「どうやら、出火元と同じ階に住んでる人だって。必死に逃げてる間に子供と離れてしまったみたいだね」

「お、お前……日本語めっちゃペラペラなのに英語も分かるんか……」

「ん? まぁ、生まれも育ちもロンドンだし、父さんが日本人だからね。通訳ぐらいなら普通に出来るさ」


 そう言って、少年は質問する。


「で、君達は助けに行くのかい? 延焼も馬鹿にならないと思うし、そのままだと危険だよ」

「ぅ……」


 やはり、迷う。

 少年から話を聞いて、余計にアパートに潜り込みたいとは思うものの、朱日のバックアップが無ければそれも難しいであろう。陣介と午朗の魔力程度では、火を消すことすらままならない。焼け石に水だ。

 しかし、朱日が居ないのなら、自分たちが先陣を切るしかないだろう。


「い、行く……行くで!」

「陣介!」

「このまま消防隊来るの待ってたら、火が回っちまうやろ!」


 そう言って、午朗ははっきりと言い放った。置き去りにされた子供がどこにいるかは分からないものの、消防隊が来るにもラグがあり、その間に火が回ったら助かる命も助からないであろう。

 しかし、午朗は首を横に振った。


「だったら、不知火さん呼ばないと……ここから寮はそんなに遠くないし、下手したら消防隊より来るの早いだろ。俺たちだけで乗り込むのは危険が過ぎる」


 冷静な午朗ならば、こういう意見にもなるだろう。自分達だけで助けに行くのは、助けに行く子供諸共自分たちが炎に巻き込まれる可能性の方が高い。

 しかし、陣介も陣介で譲れないのか、続けた。


「でもっ……朱日だったら、自分が魔法使えなくたって、助けに行くやろ!? なら、オレらが言ってもなんら問題無いはずや!」

「あの人の真似事は今の俺らには無理だよ! 不知火さんは魔法抜きでも身体能力まで化け物クラスで飛び抜けてるんだ。俺らは魔法無しじゃ所詮一般人止まりなんだから、相応に振る舞わないと……」

「ッ……!」

(んな事言われたって、あの女の人が辛いやろ……!)


 午朗の言っている事は正しい。朱日を呼びに行って、彼に救出活動を委ねた方がリスクも低く、ついでに火も消火してくるだろう。しかし、朱日が来るのを待っていようにも、行動は早い方が良い。

 陣介と午朗が言い合っている間にも、それを見守っていた先程の少年が声を上げた。


「君達、魔法については多少なり心得があるみたいだね」

「えっ?」「へ?」


 2人はきょとんとして少年を見た。

 少年はクスッと笑い、言う。


「おれは風宇路ふうろ太月たつき。君達は?」

「さ、佐久雷陣介……」

「三根雪午朗」

「陣介くんと午朗くんか。その不知火さんやら朱日さんやらがどんな人かは分からないし、おれじゃ代替にならないと思うけど」


 と、太月は続けた。


「おれが君達の事をサポートするし、責任は取る。だから――一緒にあの女の人の子供を助けに行こう!」

「ま、マジか!」「な、何を言ってるんですか!」


 ――これはまたとんでもない人間が来た!

 2人はそう思わずにはいられなかった。太月とは今ここで知り合ったばかりであるものの、これを聞いただけでも絶対朱日ばりの無茶振りをしてきそうだ。

 太月は2人の戸惑いの言葉に対して、「ああ」と力強く頷いた。


「おれも魔法は一応使えてね。そこまで強くはないけど、ほら、専門の学校で習ってるから、火事ぐらいなら何とかなるかなって」


 そう言って太月は杖を取り出すと、その先端に水の球を使った。


「あくまでも、君たちが良ければ、の話だけどね。どうかな?」

「……午朗」

「うん」


 午朗と陣介はお互い顔を合わせて、頷く。

 まさかのここで魔法使いに出会すとは――タイミングが良すぎた。朱日程ではないものの、魔法はある程度使えるようだし、また、これだけ使えるのならこちらのバックアップとしても十分だろう。

 そして、午朗から乗った。


「なら、お願いしても良いですか? ここから寮も遠くないので、そのうち不知火さんも気付いてやってくるでしょうし……太月さんも限界だと思ったら無理しなくて良いですから」

「わかった。じゃあ、おれは女の人に詳しい話聞いてくるよ。少し待ってて」


 そう言って太月は一旦そこから離脱して、該当の女性の方へと向かった。そこで何やら英語で女性に色々と話しかけて、聞き出しているようだ。ついでにメモもしている。忘れないようにしているのだろう、こちらとは違って、かなりマメな性格だ。

 陣介と午朗が黙ってそれを眺めていると、話が終わったようで、太月は2人の背中を叩いた。


「2階の部屋にいて……部屋を出た時はお子さんと一緒に居たんだけど、通路まで火の手が回ってきたもんだから、急ぎと焦りから手を離しちゃったんだって。だから、おれらがこれから行くのは2階」

「性別は?」

「男の子だって。まだ幼稚園児ぐらい」

「了解や」


 そして、3人はアパートの中へと潜り込んだ。周りの大人から制止の声がひたすら降り掛かったような気がする。が、目の前に助けなければならない人がいる事と、困っている人がいる以上、それを優先したい気持ちでいっぱいいっぱいだった。

 一階の方はまだ火が回っていないのか、少し煙が流れ込んできてるぐらいで、全然歩き回れるぐらいだった。しかし、大空襲で火と煙による地獄を見た陣介は、太月に言った。


「太月言うたか。煙は絶対吸わんようにしろ」

「あっ、あ……う、うん。バリアーの魔法いる?」

「そっか……そうやな、頼む」

「よし、バリアー!」


 太月は杖を取り出すと、その掛け声と共に、自分達の周りに煙をフィルターするバリアーを覆った。

 陣介はバリアーを張られて少し安堵しつつ、先に進んだ。


「煙吸って死んだ奴や、空気の熱でやられて、呼吸できなくなって死んだ奴が空襲で大勢いるんや。太月もそうならんでくれ」

「うん、分かったよ。ただ、このバリアーもおれの魔力的に長持ちしないだろうから、早めの救出作業を頼むよ。せいぜい10分や15分ぐらい保てば良い方だから」

「わーった! よし、行くで!」


 そして、3人はその制限時間内にアパートの中に取り残された子供を救い出そうと、急いで走り出し、階段を駆け上った。

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