009:あの人について知りたい

 それから数日間、朱日達はこれから通うであろう学校の為に筆記用具等の準備もしつつ、着々と日付を過ごして行った。その中で、簡単な漢字すらも微妙に読めない陣介は、朱日に色々と教わりながら、空っぽの脳味噌の中に漢字についての知識を埋め込んでいく。

 朱日は勉強こそ出来ないものの、それ故か、勉強苦手な者に対してどうやって教えるべきかどうかのコツが分かっており、陣介にとっては非常に分かりやすく、かなり助かっていた。

 かなり早急で突貫工事である為、陣介自身も頭から抜けやすい部分もあるであろうが、あとは日本語の本や辞書を駆使すれば、ある程度はカバーできるところまで辿り着いた。また、その為にも辞書の使い方や、本の読み方についても朱日がレクチャーしていた。幸い、イギリスの学校に通う以上、英語での授業になる為、漢字テストも無く、今のペースなら半年や1年以内に6年間で学ぶ漢字はマスター出来るだろう。逆に言えば、そのぐらいのペースで、陣介の脳味噌に日本語の知識を詰め込ませているわけだが。

 陣介もなかなか呑み込みが良く、ちゃんと学校に通っていれば自分よりもしっかりした成績が取れてしまうのだろうと、朱日は思う。とはいえ、それは先に日本語の書き取りをある程度出来るようになってから、判断する事かもしれないが。

 夜になり、陣介はヘトヘトになりながら、辞書を眺めていた。朱日も朱日でそろそろ睡眠時間が近いのか、欠伸をしながら、陣介の様子を眺めていた。


「そろそろ消灯時間も近いけぇ、ええ加減切り上げるかー。また明日、わしの部屋に来んさい」

「あんがと。にしても、日本語が出来ないと英語の勉強も出来ないってマジなんやな。漢字勉強するようになってから、英語と日本語がやっと結びついてきたで」

「そうじゃろー? 母国語をちゃんと読み書き出来ないと、英語も全く出来んからのう。幸い、ここは英語の国で漢字の書き取りテストなんてものはないけぇ。英語共々ゆっくり覚えていくとええよ」

「おおきに。朱日には本当感謝しとるからなー」


 そこへ、陣介はスケジュールの確認に入る。


「そいや、学校っていつからなんや。来週からやっけ?」

「ああ、少なくともわしは来週から通う事になっとるよ。そっちは学校が別じゃ、日付がもう少し違うじゃろうけど」


 朱日は紡から聞いていた思い出しつつ、うーんと唸った。

 朱日と陣介、午朗は学年が違うゆえか、同じ系列グループの違う学校に通う事になっており、その辺で通う日付にもズレが生じているのである。今の所は朱日の方が早く、陣介と午朗が遅かった記憶がある。小学生2人に関しては、イギリスに慣れる時間が掛かるのも考慮した上での猶予期間なのだろう。

 陣介は「そうか〜」なんて返しながら、勉強用に持って来た自分の荷物を整理して、手に持った。


「知り合いとか居ないけど大丈夫なんか? オレには午朗が居るからええんやけどさ」

「んー、別に……。日本に居た頃も、特定の友達作って連むなんて事はせんかったからなぁ。別に大丈夫じゃよ」

「いや……おま、それ、友達居なかったって言ってるのと同義やで……。本当に大丈夫か……?」


 朱日の性格からしても、自分から友達を作らなさそうだ、とは思っていたが、まさか本当に作ろうともしてなかったとは夢にも思わなかった。朱日程の美少年であれば、周りもほっとかない気がするのだが、本人が自分の友達関係に無頓着過ぎる。

 朱日は頭をぽりぽり掻きながら言った。


「というか、こちとら昔からデッカい魔力抱えて生きてきたし、それが制御出来ないともなれば、勝手に他から離れていくに決まっとるじゃろ。まぁ、今は一般人に偽装できるぐらいにはなっちょるが」

「え? そうなんか? っていうか、その、そもそも朱日ってどこに住んでたんや?」

「……」


 そういえば、まだ自分の住んでいた地区についての話は陣介にはしていなかった、と、朱日は振り返った。自分が広島住まいな事は、ピカドンの件もありなるべく大っぴらにはしないように決めていた。しかし、陣介とも色々打ち解けて来たところだ、話しても大丈夫かもしれない。

 とはいえ、今日はもう遅い。朱日は一先ず、陣介を帰らせた。


「まぁ、その辺は明日にでも話してやるけぇ。今日はもう寝んさい」

「約束やからなー。じゃ、おやすみ!」

「ああ、おやすみ」


 そうして、この日、2人は解散した。


 陣介がそのまま部屋に戻ると、相変わらずと言って良いほど午朗が入り浸っていた。まだそこまで眠くないらしく、部屋のテーブルを借り、日本からイギリスに持ち込んでいた本を読んでいた。

 午朗に関してはいつもこんな漢字であり、しょっちゅう陣介の部屋に入り浸っては、そこで寝る事が多い。寝る前の暇潰しに、陣介と色々話すのが丁度良いようなのだ。ベッドも一部屋に二つある部屋なので、陣介としては入り浸られる分にはそこまで問題にしていない。午朗が部屋に居ると、毎日が修学旅行みたいで楽しいのである。とはいえ、最近の陣介は朱日とばかり連んでおり、午朗の事は放ったらかし気味だ。陣介はそこは申し訳ないと思いつつも、午朗も特に気にしていなさそうなので、その辺については言及していない。午朗からすれば、寝る前に暇潰し出来ればそれで良いのだろう。

 午朗は陣介が部屋に戻るなり、パタンと本を閉じて、彼の方を見た。


「おかえり、陣介。また不知火さんのところか」

「ああ。漢字ある程度読めるようにならんと、英語も出来んからな。午朗もどやろか?」

「俺は良いかな。日本語の本読めるぐらいには困ってないし、英語も少しずつ自分で勉強してるから」

「はーっ、相変わらず午朗は勉強家やな。オレとは真逆や」

「孤児だからこそ、今後のために勉強しないとダメだぞ。不知火さんは勉強しなくても色んなこと出来るけど、俺らはそうじゃないんだから」


 なんて、午朗は呆れ気味に陣介を見た。

 午朗からしても朱日の存在は金持ちのボンボンで気に食わない――という印象ではあったものの、それ故に自分達より出来る事はかなり多く、それこそ勉強が出来なくても強い魔法を使えたり、力仕事が出来たり、人間としてのスペックの差を強く感じていた。陣介みたいに彼とは深く関わる気はないが、自分達との違いに溜息が出てしまう。


(あの時は金持ちの娯楽……なんて言ったけど、孤児でもないのにここに来たって事は、やっぱり何かしらの理由があるんだろうな。目的がなくて留学なんて、しなさそうだし)


 午朗と陣介は孤児であるが故に先行きに不安があるのと、安定した衣食住と教育が保証されるから、と言う理由で魔法留学の話に乗っているのである。

 陣介は隅から隅まで孤児であるが、午朗は一応居候先はあった。住んでいる中で、そんなに悪くしてもらった記憶こそはないものの、やはり何処か居心地も悪いし、お互い気を遣ってしまう。特に午朗は魔法が使えるようになってから、それなりに生き延びた後に保護されたので尚更である。午朗が留学の話に乗ったのも、居候先への遠慮が大きかった。金も政府の方で全負担ともなれば、乗らない手はない。

 陣介は自分の荷物を机に置いて、「せや」と、思い出したように言った。


「明日、朱日に色々と話を聞く予定があるから、午朗も一緒にどやろか。アイツの経歴、全く聞いた事がないし、親睦会も兼ねてや」

「不知火さんの経歴?」

「せや」


 と、


「アイツ、方言から察するに、多分広島に住んどったやろ。オレらにそのこと話さんって事は、ピカドンの件のせいやろけど、何かあったんかなぁ〜ってさ」

「まぁ……何もないってことは無いだろうけど、そう言われたら確かに気になるかもしれないな。初見で苦労知らずの金持ちのボンボンにしか見えなかったけど、こう言われると、だな……」


 陣介に言われて、午朗は納得してしまった。金持ちのボンボンにしか見えない、というよりも、朱日的にはそう思わせる事で敢えて壁を作っている一面がある、と言った方が正しそうだ。金持ちのボンボンなのは本当の事らしいが、それにしてももう少し本人について色々と知った方が良いと、午朗も内心は思う。

 それから、陣介は呆れ混じりに言った。


「さっきも話した時、友達おらんかった的なこと言うておったし、余計に経歴が気になるんや。普通あんぐらいしっかりしてたら何人かいるもんやろ、友達」

「ええ……それ聞いたら凄い気になってきたな。不知火さん、そういう人だったのか」

「おっ、そうかそうか」


 陣介は午朗のその言葉を聞くなり、「よし、決定!」と笑いながら頷いた。


「どのみち午朗もアイツには世話になるかもしれんし、聞いておいて損はないやろ〜。案外、新たな発見があるかもしれへんよ」

「それは、まぁ……じゃあ、俺はそろそろ自分の部屋に戻るよ。明日、いつぐらいに不知火さんのところに来ればいいんだ」


 午朗は立ち上がりながら、陣介に聞いた。陣介はそこまでの約束はしておらず、「あー」と困ったように目線を泳がせた。


「明日聞かせてやるって言われただけで、そこまでは。いつもは昼ご飯の後に漢字教えてもらっとるし、そのぐらいか?」

「ん、じゃあ、昼食の後で。また明日な」

「おう、また明日ー!」


 そして、午朗は自分の部屋に戻り、午朗は部屋の電気を消して消灯する次第となった。


 自分の部屋に戻った午朗は、フゥ、と一息吐いてから、寝間着に着替え始めた。寝間着はこちらに来てから佐雪と永好から支給されたのだが、育ち盛りでも長く使えるように、と、サイズに余裕があるせいか、袖が長く、ブカブカである。しかし、こんなものでも、午朗にとっては何処となく心地が良く、気に入っていたりする。居候時代は自分のために新品の衣服を調達してくれる、なんて事はそうそうなく、大体お下がりで過ごしてきたからだ。

 午朗は部屋の電気を消して、消灯すると、何となく枕元に置いておいた本へチラリと視線を送った。

 この本も、仁志邑親子から借りたものであった。英語の本を必死に解読して読むよりも、日本語の本を読んでいた方が息抜きになるし、脳味噌も疲れないから、と言う理由からだ。因みに、仁志邑親子は結構な蔵書の数を保管・管理してあるらしく、この地下は蔵書室らしい。貴重品も多い為、蔵書室に入るにはもう少し大きくなってからでないと許可が降りないらしいが。


(ここに来てから、肩の荷が降りた気がするな……)


 ここに来て、そして、陣介と出会ってからは、精神的には大分楽になっていたと思う。居候先では粗相をしないように、そして、相手に迷惑をかけないようにと強く意識していたお陰で、下手な事は出来なかったし、自由に遊ぶことにも抵抗があった。居候の分際でのうのうと外で遊ぶなんて、周りの目が怖いからである。

 陣介とよくやりとりするようになってからは、ちょっとした悪戯も楽しいと思えるようになっていたし、友達とやるような悪ふざけも出来るようになり、実家のような安心感がここにはあった。

 確か、ここには長くても大学卒業までは居ていいとの話であったが、陣介は高校卒業したら働く為に日本に戻ると言っていたし、現段階では自分もそのつもりでいる。しかし、勉強するのもそこまで苦でも無いため、もしかしたら、イギリスの大学に進学する可能性もあるかもしれない。こうやって将来について考えられるようになったのも、イギリスに来てからの事だ。


(……不知火さんは、どうするんだろう。勉強は出来ないとは言っていたけど、大学進学ぐらいはサラッと熟してそうだし)


 そういえば、陣介の将来のビジョンは聞いた事はあれど、朱日からは聞いた事がない。自分と朱日は陣介みたいにそんなにやりとりしてない為、聞いた事がないのも当たり前ではあるが、多分、当の陣介も聞いた事がないだろう。


(あ……そうか。そういう事か。本当に不知火さんの事何も分かってないんだ、俺達)


 ――思ったより、自分達は朱日の事についてなんも聞かされていない。彼の事は年齢や見た目、それから魔法が強いことぐらいしかステータスが見えてなかった。

 こうなれば、陣介も朱日から色々と聞き出したくなる気持ちも分かるし、自分も陣介と同じ立場なら、聞いてみたいと思えるものだ。


(明日、朝食食べたら、不知火さんに聞きたいことを纏めてみるか……)


 きっと、自分が思っているよりも、彼に対する疑問が沢山出てくる事であろう。ただ、それは自分が不知火朱日という人物に対して関心を持っている証拠であり、そう悪い事ではない筈だ。

 そうして、その日、午朗は眠りについた。

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