006:オレからの精一杯の敬意
陣介は朱日に啖呵を切ってその場から走り去った後、適当な場所で息を切らしながら休んでいた。結構な全速力で駆け出してしまったようで、呼吸がかなり荒ぶっており、時たま咳き込みながら、息を整えていた。
ハーッハーッと体を使って息をしながら、陣介は道の隅の方に寄り、行き交う人々を眺める。同時に、先程朱日に言われた言葉を脳裏で反芻した。
――お前の決まり事なんざ、他人からしたらどうでも良いんじゃよ――お前、孤児の間もそうやって他人と関わってきたんじゃろ? 戦災孤児ってのは自力で生きて行くしかない弱肉強食の世界じゃ。容易に想像できるわい――。
そして、思わず地面を軽く拳で殴った。しかし、小学生の筋力では、ベチン、と音を鳴らすのが精一杯で、陣介の拳が傷つくだけだ。しかし、陣介はその痛みさえもどうでも良いぐらいに、気持ちが混乱していた。
「くそっ……!」
(知ったような口を利きやがって……! 何も苦労してない金持ちのボンボンに何がわかるんや……!)
今まで注意する大人はいれど、陣介はそれを全く受け入れようとしなかった。大抵、注意してくる大人は自分を子供だと思っているし(実際子供だが)、こちらの事を理解しようと思っていない人間ばかりで、表面上だけ注意して満足して、それっきりだった。陣介は戦災孤児になってから、こちらをしっかり見てくれる大人に出会った事が無いのだ。
けれども、朱日は自分より一つだけ年上だというのに、その大人達と全く異なるような注意をしたと同時に、こちらの事を何もかも見透かしたような図星を突いてきた。そんな注意のされ方、他の大人達からされてこなかったもので、余計に苛立っているのもあるのだろう。特に自分ルールは他にとってはどうでもいい、なんて言われ方されたのは初めてだ。
(くっそ……オレより弱っちい坊ちゃんのクセになんなんだよ……)
陣介は、朱日の言葉を脳味噌の中で反芻しながら、その場で体育座りになって縮こまった。
朱日の指摘通り、陣介は自分ルールを他の孤児達に適用する事で生き延びてきたガキ大将だった。施設や引取先が嫌で仕方ない戦災孤児をこっそりと助け出し、自分は大将で、それ以外は部下であると――そんな感じで、仕切ってきた。そして、自分がリーダーとして、積極的に物を盗んだり、部下達に指示を出して盗ませたり、かなりの悪事を重ねてきた。
ずっとそんな調子だったので、周りに拒否権はないし、周りの子供達は自分に合わせて従うべきであると、本当にそう思っていた。何故なら、自分が一番偉くて強く、その強い者に従うのは当たり前だからだ。魔法も使える自分に逆らう人間なんて、居ない筈なのだ。
しかし、朱日は自分に真っ向から逆らった上で、真っ向に反論してきた。自分の中の常識は他人からすれば当たり前ではない事を、言葉で強く叩きつけてきたのである。
(オレは、自分がやってきた事は間違ってるとは思っておらへん……だって、そうでもしないと生き残れん。オレはこうする事でしか生きれん)
同時に、
(でも、もし、それが他で通用しないって話なら、どうしたらええんや? 周りの大人達はそんな事全然教えてくれへんし、オレより強い奴に従うぐらいしか思いつかへん)
そんな事も脳裏に浮かぶ。
自分のやってきた事が正しくないのなら、正しいやり方を学ばなければならないし、注意だけでは何をどう改善すべきなのか分からない。いや、もしかしたら、自分は既に指南されている事に気付いてないだけなのかもしれない。
流石にこんな気分では買い物をする気にもなれないと、陣介は立ち上がって、一旦寮に戻る事にした。一応土地勘はまだまだ浅いものの、近くではあるし、議事堂さえ見えれば、あとは道も覚えている。
(途中でアイツに出会したら少し気まずいけど……まぁ、ええか)
あんな事があっても、お互い、言葉を交わすのも抵抗があるであろう。暫くは気まずけれど、向こうはこちらと連むつもりはないと言っていた辺り、案外そのぐらいが丁度いいのかもしれない。
そんな事を思いながら、陣介は顔を上げると――目の前に、見慣れない青年の姿が一つ、あった。
「!」
(な、なんや……こいつ)
青年は白人らしくまぁまぁガタイがよく、顔立ちから何から何まで立体的だった。一方で、真っ黒いダッフルコートに身を包んだ上で、真っ黒いシルクハットを深く被っており、何やら穏やかではない雰囲気も漂っている。
陣介は空襲の時と同じぐらいの危機感を本能で感じ取り、目の前の「敵」を睨み付けた。
「お、お前……オレに何か……? って言っても、日本語じゃ通じんか」
「いや、分かるさ。『魔法』でね」
そう言って、青年はクスッと笑いながら、白人特有の青い目で陣介を見据えた。話す際に魔力で日本語に変換されているのか、青年の口の動きと、陣介に聞こえてくる日本語は一致していない。思わず、映画の吹き替えのような感覚を覚えてしまった。
陣介は彼から漂う魔力に、思わず足がすくみそうになった。そして、後ろは既に壁であるのに、じりっ、と後退してしまう。
(コイツ……ただモンやない……。魔法使いっぽいけど、もっと別の何かやな……)
陣介は自分よりも明らかに強い魔法が使えそうな人間に出会った事がない故に、強い動揺をその場で示した。本能から出てくる危険アラームといい、彼が身に纏っている黒いコートやシルクハットと言い――自分みたいな一般人に毛が生えたぐらいの魔法使いではない、「本物の魔法使い」がそこにいる。
彼は陣介の姿を一通り眺めると、そのまま続けた。
「なるほど。日本の魔法使いにすごい人間が来たという情報が流れてきたから、見に来てみたが……どうやら、君ではないみたいだね。魔力がこちらの片手程度だ。とてもじゃないが、相手にはならないね」
「なっ――」
「私は、ロバート。魔法使いでもありながらも、錬金術師だ」
そう言って、青年・ロバートは自分の胸の前で手と手を合わせたかと思えば、その間から、何かを伸ばし、取り出した。
――短剣だ。
陣介はそれを見るなり「!?」と目を丸くして、それを見て、酷く驚いた。生まれてこの方、戦争以外でそういった武器を目にする機会があると思ってもみなかったからである。
ロバートは短剣を手にすると、その尖った先端を陣介の首元まで持っていき、数ミリ手前のところで止めた。陣介は額に青筋を浮かべ、目の前のロバートを体を震わせながら見ている。
(や、やばい……下手な事したら、タマ抜き取られるやん、これ……!)
そして、ロバートは優しく笑みを浮かべたまま、再び口を開いた。
「で、君、その強い魔法使いとやらについて知らないかい? 彼は普段、その魔力を隠して暮らしているが、内に秘めたものは相当なもののようでね…。こちらとしては、少し興味があるんだ」
「も、もう少し情報が無いと……分からん……」
(そんなのオレの周りにおらへんし、分からんって!)
少なくとも、陣介の記憶の中を巡る限り、それに思い当たるような人物は居なかった。大抵弱い魔法使いであり、貧弱で、魔法使いとして新人ばっかりである。ロバートの期待通りの情報は提供出来ないであろう。
ロバートは陣介の言葉を聞いて、「ふむ」と、首を傾げると、己が知っている情報について、口にした。
「そうだね……私が知っている限りは中学生ぐらいの日本の男の子で……髪の毛が長い。赤がよく似合う。そして、端正な見た目。このぐらいだろうか。君の周りに該当者はいるかい?」
「……!」
(もしかして……!)
その情報で、陣介の脳裏に朱日の姿が浮かんだ。そういえば、午朗も昨日言っていた。「陣介を相手にしてないからこその、あの言動と態度である」と。朱日が強いからこそ、陣介に対してあんな風な態度で接することも出来るし、容赦無く指摘もするのだろう。
陣介は自分が孤児だから、そして、年下だから舐められていると思っていた。しかし、朱日はもっと根本なところでこちらの能力をとっくに見定めている。何されてもやり返せるから、言動の端々が容赦がないのだ。
(そう、か……そうだったんか。アイツ……!)
まだこれが朱日本人と決まったわけではない。しかし、ここまで彼に合致するような特徴を論われてしまうと、最早朱日の姿しか思い浮かばないのだ。もし、これが朱日本人だとしても合点は行くし、違和感は無かった。
一方で、これが朱日本人だったとして、陣介はどうすべきなのだろうか。お互いそんなに好感を持っていない人間同士であり、教えたところで致命的な亀裂は入らないであろう。だが、ロバートから溢れる尋常ではないオーラを一度でも感じ取ってしまうと、朱日がコイツにやられてしまうのではないか、という不安が大きく勝った。
そうなってしまったら、陣介の中で答えは一つだ。
確かに朱日は個人として気に食わないことはある。金持ちの坊ちゃんで、こんなクソガキは相手にしないと言わんばかりの態度で、向こうからしたら、こちらの存在は鬱陶しいだけかもしれない。けれども、こんな自分よりもしっかりしていて、気を遣ってくれて――何よりも、こっちと接して、見て、叱ってくれる存在だ。今まで誰も、自分が読み書き出来るかなんて事は気にした事はなかったし、そこまで気にしてくれたのも朱日が初めてだ。
(悔しいけど、きっと、そこいらの大人よりは信頼出来る人間やわ、不知火朱日。だから、これはオレからの精一杯の敬意や)
陣介はロバートに言葉を返した。
「そんな奴、知らへんよ。居たとしても教えられへん。そんな事でオレに責任が行くのは御免やからな」
「……なるほど。だったら、君をここで消すしかないわけだ」
ロバートはそう言って、短剣を一度陣介の首元から離した。しかし、今度は探検を持った腕を大きく振り上げて、狙いを陣介に定めていた。
「こちらの存在を知ってしまった以上、幾ら小さな魔法使いといえども、こちらも容赦する事は出来ず」
「!」
(短剣に何か集まっちょる! アレは……!)
ロバートが振り上げている短剣には、ピキパキと音を立てながら、何かが集まっていた。その周りの空気は凍てつく程に気温が下がり、この一帯だけ真冬に逆戻りしたような寒さだ。
「では――名も知らぬ魔法使いくん。さよなら」
そう言って、その凍るような寒さと共に、陣介に向かって短剣が大きく振りかぶられた。陣介は自分の魔法を使って彼の動きを阻止しようにも、こちらが使える魔法なんてたかが知れており、ロバートに対抗出来る手段として成し得ていなかった。かくなる上は真剣白刃取り――なんて真似も、武道を習ってない陣介には無茶な話だ。そもそも、青年と少年では、パワーバランスも圧倒的に不利で、耐え切れる気がしない。
このまま黙ってやられるしかないのか――陣介は無駄だと分かっていても、自分の頭の上に自分の両腕を置いて、その身を縮こめ、防御の姿勢を取る。空襲の時以外にこんな姿勢を取る日がこんなに早く来るなんて、思いもしなかった。
しかし、それは「間に合った」。
強大な魔力と持ち前の筋力と武術を駆使して、ロバートに飛び掛かる姿が一つ。
「ッ!」
「なっ!」
逆光のせいで、その姿は上手く見えない。しかし、細いポニーテールに、この時期のイギリスでは考え無しの薄着。そして、少年という体系にしては、スラリと整ったスタイル。
その手は拳を握りしめ――炎を身に纏っていた。
「その子に――手を出すなッ!」
そして、その声は、陣介が先程まで聞いていたものだった。その一言に込められた力強さは、陣介が想定していなかったものだった。
陣介は目を丸くして、朱日のその姿を見ていた。
「不知火、朱日……お前ッ……! ――ッ!」
朱日のパンチは見事ロバートの顔面に命中して、彼の体を勢いよく吹き飛ばした。あまりにも力が強すぎて、ロバートがスライディングで引きずった地面は見事に凹み、普通に見れば彼への大ダメージへの一矢だった。
朱日は拳に纏っていた炎を適当に払って消すと、直ぐに陣介に駆け寄った。
「良かった……間に合ったか。怪我は……無いようじゃな」
「おま……なんで……」
「追いかけないのは罰が悪いと思って、ちょっと魔法探知してたんじゃが……たまたま、あの黒いのが引っかかってのう。流石にこれはアカンって事で、急いで来たぞ」
そう言いながら、朱日はロバートの方へと振り向いた。
ロバートは朱日から強力な顔面パンチを食らっていたはずが、倒れ込んでいた場所でゆっくりと立ち上がっていた。しかも――無傷で。
明らかに普通の人間ではない敵に、2人の中で強い動揺が走った。
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