005:ガキ大将は戦災孤児

 米軍から日本本土への幾多なる爆撃により、都会のあちらこちらでは戦災孤児で溢れかえっていた。空襲で親や親戚を失い、行く当てのない子供達が、都会の駅や各所で日常を過ごしていたのである。

 そんな彼らからすれば、平気な顔でのうのうと生きている金持ちの子供は、それはもう憎く見えて仕方ないだろう。朱日のような少年は、尚更いけ好かないに違いない。ただ、だからと言ってお互い敵対して良いことはない。個人が好きに過ごして良いとは言え、寮は集団生活みたいなものだ。仲が悪いままでは生活に支障が出るだろう。


 一晩を寮で過ごした朱日は、起きて着替えて、朝食を食べ終え――いざ、何をしようか、と考えた時に思い浮かんだのが、周辺の散策だった。朱日は元々、外には頻繁に出掛ける方で、よく家の周りで暇潰しをしたり、魔法を上手く扱えるように只管練習も重ねたり、また、魔法を扱うなら体力が必要かもしれないと、ジョギングを日課にしていたり、結構アグレッシブなのだ。

 一先ず、イギリスの生活に慣れる為にも、外に出ることも大事だろう、と、朱日は一旦、寮の外に出た。何処に何があって、何処がどう物を売っているのか等も、こちらで把握する必要がある。

 4月のロンドンの平均気温は、日本の2月と同じぐらいである。日本よりも緯度が高い場所にある為、この時期に最高気温が20度も行けば暖かい方だろう。話に聞いたところによると、日本より10度前後ぐらい平均気温が低いらしく、夏は過ごしやすそうだが、冬は堪らなく寒いそうだ。朱日も流石にシャツ一枚では寒かったか、と、自分の服装の判断を見誤ってしまった気がするが、一方で動けばそのうち暖かくなるだろうと、まぁまぁ楽観的であった。

 ちょっと歩けばロンドンで有名な議会の時計塔がこちらに顔を覗かせ、本当に自分はイギリスに来たのだな、と、朱日はぼんやり実感していた。今までは日本で呑気に過ごしてきた小学生が、イギリスで中学生になろうとしている。

 朱日は時計塔近辺にある橋の方までツカツカと歩き、そこから、イギリスの国会議事堂・ウェストミンスター宮殿の建物を遠目で眺めた。少し冷たい風が朱日の端正な顔を冷やして、ポニーテールを撫でて行く。

 彼の顔立ちやスタイルの良さは、案外イギリスの国民にも通じるようで、チラホラと視線が集まっていた。黄色人種だから、というのもあるのだろうが、そんな人種が端正な顔立ちを晒して橋に寄りかかり、風を受けながら議事堂を眺めている光景は、結構さまになっているのだ。


(日本の国会議事堂よりも先に、イギリスの国会議事堂を生で見ることになるとはなぁ……人生何があるか分からんけぇのう)


 ずっと広島で過ごしていた為、東京にある国会議事堂を見る機会はなかなか無かった。その矢先に、イギリスの方が馴染み深くなりそうとは夢にも思ってもいなかったが。

 流石に長い時間ここにいるのも寒くなる一方である事に気が付いた朱日は、そろそろ動こうかと、橋から離れて歩き出したところだった。


「おっ! お前〜、姿見ないと思ったら外に出て油売ってんのか! 金持ちサマは呑気で良いな!」


 ――聞いた事がある、クソガキの声が飛び込んできた。

 朱日はよりにもよって1人の時間に、と、げんなりした様子でそちらを振り向いた。と、そこには、想定通り、佐久雷陣介の姿がそこにあった。相変わらずの坊ちゃん刈りと丸眼鏡の組み合わせに、気温に合わせたコート。行き当たりばったりの朱日よりは物を考えているようだ。

 陣介は朱日の方へと駆け寄ると、もう一度声を掛けた。


「暇なら、ちょっとこっちに付き合ってくれねーか? 買い物してぇンだ」

「そんな事、永好にでも頼んで一緒に行けばええじゃろ。わしは行かんぞ」

「アイツは部下じゃないからやだ。お前はオレの部下だから付き合う義務がある。拒否権は無いんだぜ」

「……」

(このクソガキ……いや、わしも大概ガキだが、コイツはなかなかのもんじゃな)


 朱日は目の前にいるクソガキが一歳だけ年下という事実を思い出し、尚の事頭を抱えた。自分の去年の今頃と言えば、兄弟と食べ物を取り合って大喧嘩したり、おやつを盗んで母親に叱られたり――思い出せば思い出すほど、年相応の碌でもない小学生だったので、陣介の事はとやかく言えなかった。しかし、誰かを勝手に部下認定してガキ大将ムーブは一切かまかした事はない。絶対に。

 多分、朱日がどうこう言っても陣介には通用しないので「仕方ない」と素直に諦めて、彼について行く事にした。


「で、何を買うんじゃ。荷物持ちになるのは御免じゃぞ」

「いや、そこまで大きな買い物はしねェよ。鉛筆とか、ノートとか買うんだよ。ほら、オレ、戦災孤児だったし、学校も碌に通ってねェから、どんなもん買えばいいかわかんねーんだよ」

「あ、ああ……」

(義務教育になったとはいえ、そういう事情もあるか……)


 そうして、雑貨屋に向けて2人は歩き出す。

 戦災孤児の教育事情というものをこんな所で垣間見てしまうとは、朱日はすっかり油断してしまった。

 戦災孤児は孤児専用に暮らす施設があり、そこから学校に通っていたり、知らない人が里親になって、その家から学校に行くなど、色々と手段があるものの、今の日本の戦災孤児の数では、そこから溢れる子供も当然出てくる。陣介はそのうちの1人なのだろう。

 そのまま朱日は陣介の隣を歩きながら、質問した。


「お前、字は何処まで読める? 日本語ある程度分からんと英語の勉強もままならんぞ」

「えっ……うーん、平仮名はまぁまぁ……漢字はあんまり。小学校に上がる前ぐらいに空襲に当たっちまってずーっとそのまんまだから、マジで漢字わかんねェんだよ。流石に漢数字ぐらいは分かるけどさ」

「その状態のまま英語の勉強をすると、書き文字の時に英語と平仮名がごちゃごちゃして、意味わからん事になるぞ」

「ゲーッ、マジか! どうしたらええんや!」

「そこは寮母さんや永好から教えて貰えばええじゃろ。2人とも日本人なんだから」

「部下なんだからお前がオレに教えろよ。勉強出来ないって言ってたけど、漢字ぐらいなら教えられるだろ」

「なんで、お前みたいなクソガキに貴重なわしの時間を割かなきゃいけないんじゃ。それに、別にわしはお前の部下になったつもりはないぞ」

「オレの方が偉いのに……!」


 朱日に言い返されて、ブツクサと文句を垂れる陣介。

 朱日はこの際だからはっきり言ってやろうと、一回溜息を吐いてから、陣介に言い放った。


「確かにわしらは同じ寮に住んでいるけぇ。でも、ただそれだけじゃよ。無理して関わる必要もないし、単なる同寮生ってだけじゃ。イギリスに来ても、わしは自分で関わる人間を選びたいし、そっちだってそのつもりじゃろ」


 と、


「少なくとも、今の段階じゃわしはお前とは連む気はないぞ。ガキ大将の部下に認定された所で、それは身勝手な上下関係でしかないし、単純に不快じゃよ」

「……で、でも、オレの中ではそう決まってるから!」

「お前の決まり事なんざ、他人からしたらどうでも良いんじゃよ」


 朱日ははっきり言い放った。


「お前、孤児の間もそうやって他人と関わってきたんじゃろ? 戦災孤児ってのは自力で生きて行くしかない弱肉強食の世界じゃ。容易に想像できるわい」

「な――」


 朱日に言われて完全に図星だったようで、陣介は何も言い返せなくなった。

 そして、陣介は肩を震わせながら言い放った。


「金持ちボンボンの貴族の坊ちゃんに何が分かるんや! こっちだって生きてくのに必死やった! オレは生きる為にイギリスに来たんや! 金持ちの道楽の留学とは同じつもりはない!」


 陣介は朱日を睨み付けると、そのまま勢いよく駆け出し、向こう側へ走り去っていった。

 朱日は困ったように眉を下げて、空を仰いだ。


(不知火家は華族でもなんでもない、金があるだけの家なんじゃがのう……)


 朱日はその辺も突っ込んでおきたかったものの、向こうの心情的にはそれどころではなかった気がするので、あえて言及はしないでおいた。そして、1950年時点では日本の貴族制度は撤廃もされており、その辺の説明もしなければならない。

 この流れでその辺の気にする朱日もなかなかのマイペース具合なのだが、これが戦災孤児が社会から隔絶されている証明だと思うと、朱日としてはどうしても無視はできなかった。社会で普通に生活出来ないというだけでも、こういった情報を見聞きすることが出来ず、世の中から次々と隔離されてゆく。これが朱日ぐらいの年齢で孤児になっていれば、自分から情報を取り入れられるだろうが、陣介は未就学児時代に孤児になってしまった少年だ。その不利さは本人もよく分かっていることだろうし、だから、それを打破する為にもイギリス留学の誘いに乗っている。

 戦災孤児を取り巻く環境というのは、朱日が思っているよりも劣悪なものであり、それは彼自身も重々承知している。施設なんて人1人をまともに見てくれるような大人はそこには存在しておらず、そんな大人を捕まえる事だって本来なら難しい話だ。特に、施設なんかは孤児を虐待している、なんて話も残念ながら朱日の耳まで届く事もあり、現代日本にとって一番の社会問題と言えよう。

 ただ、陣介の事は陣介本人の問題であり、周りの大人がなかなか介入出来ることでもなし、ましてや朱日にもどうする事も出来ない。彼が意識を変えていかなければ、これから先、学校生活で問題を起こすだろう。


(ま、別にわしに責任の所在はないし、アイツが何をどうしようと本人の勝手じゃ。面倒を見る義理だってないじゃろう)


 朱日はあくまでも年上として、そして、同寮生として多少なり彼を気にかけているだけであって、陣介の面倒を一から十まで見ようとは思っていない。自分たちはつい昨日出会ったばかりの関係だ、向こうとしてもそんな人間に付きっきりにされても気味が悪いだけだろう。

 とはいえ、


(……流石に、街中でこういうやりとりしちゃったら、そら目立つのう)


 今の陣介とのやりとりで、周りからの視線が痛いのもまた事実だった。

 特に今は日本語が分からないイギリス人しか周りにいない為、どっちが悪いか悪くないかの判断なんてしてくれようもないし、多分、彼らの中では朱日が悪いという事になっているのだろう。実際、こちらを見ながらヒソヒソしている声がこちらまで聞こえてくる。こういうところも万国共通という事か。

 ここまできたら、流石の朱日でも表面上は彼の行方を追いかけておかないと、体裁は悪い。「仕方ない」と、半ば渋々といった感じで、陣介が先程向かった方向へと早足で歩き始めた。


(というか、アイツ、この周辺について分かっとるんかのう……わしは魔法使えば良いにしても、迷子になったら大変じゃぞ)


 そう思いながら、朱日は自分の魔力を周辺に巡らせて、この近辺の探知・陣介の行方を探り始めた。流石に土地勘が無い地域で小学生が行ける範囲ともなれば、そんなに広くはないはずで、多分直ぐそこにいるだろう、と思われる。

 そうして朱日が探知していると、ふと、何かしらの違和感がこちらの巡らせた魔力に引っかかった。


「!」


 朱日はその存在に思わず魔力が動揺して震え、探知を止めてしまった。

 普通の人間ではあり得ないもの、しかし、魔法使いのものではなく――恐らく、もっと別の力を持った何かしらの働きがそこにはある。しかし、朱日にはその存在が皆目見当付かなかった。ただ、そこに陣介が近付いてしまえば、一網打尽になる力があるだけなのは、これだけでも直ぐ察知出来た。で、なければ、朱日は魔力を直ぐ引っ込めたりしない。

 少なくとも、この力を持っている者は我々魔法使いにとって脅威の存在。それだけは間違いない。


(確か……こっちから感じられたか!)


 普段は悠長に、かつ、適当に過ごしている朱日も、今回ばかりは確実に陣介を守る為に自分が動かなければならないと、強い確信を得た。今回は陣介みたいなぽっと出の新人魔法使いが対処出来るような相手ではない。

 朱日は再び魔力探知を辺りに巡らせながら、今度は陣介の居場所と、該当の違和感の居場所を同時に探り始めた。そして、探知して脳裏に流れてくる映像を走りながら分析する。

 二つの居場所を同時に探り当てると、双方の距離はゆっくりと近付いている事が分かり、明らかに陣介を狙っている事に気がついた。朱日はその事が判明すると、持ち前の脚力を使い、全速力で陣介の元まで走り出した。


(間に合え……間に合えッ!)

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