003:イギリスに降り立った日

 そうして朱日がイギリスの地に降り立ったのは、1950年4月の事だった。

 この時期は一般人の海外渡航も許可が降りておらず、パスポートもそう簡単に作れない時期であったが、今回は政府直轄のプロジェクトである事や、バックアップがあるという事で、その辺りの手続きは案外すんなりと済んだのである。

 また、この時期は飛行機なんてものは当然無い為、日本からイギリスまで、長い船旅を経ていた。朱日は勉強こそは全く出来ないものの、不知火の家自体は普通に良いところで、彼自身は金持ちの坊ちゃんという区分になる為、船旅に関しては別に問題はなかった。普段からその辺の躾はしっかりなされており、逆にしっかりすぎて同乗員から感心されたものだ。

 朱日はポーツマスの港に足を踏み入れ、長旅が終わった開放感から、その場で腕を伸ばした。


「っ、ん〜……! はぁ……」

(本当にイギリスに……来たのか、わしは……)


 日本とは全く違う空気感に気圧されてしまう。自分が今、イギリスに居るという事実に対し、なかなか現実感を持つ事ができず、自分の存在を疑ってしまった。

 戦時中はずっと戦争は終わる事はなく、本土決戦になり、自分はそのまま日本に留まっているものだろうと思い込んでいたのだが、戦争は呆気なく終わり、日本を取り囲む情勢もゆっくりとながら戻りつつある。流石に今すぐ元通り、とは行かないものの、戦時中だったらイギリスに留学なんて悠長な話は許されなかった事を考えると、改めて、WW2の終わりを実感した。


「不知火さーん、離れないでくださいねー」

「は、はい!」


 そして、案内員に呼ばれて、荷物片手に朱日はそのまま着いて行く。

 ポーツマスはロンドンからは比較的近い港の一つであり、朱日は案内員と共にバスやらなんやらを駆使して、これから自分が世話になる寮へと向かった。


 朱日がこれから世話になる寮は、西洋によくあるレンガと石で造られた建物であった。日本だと地震で崩れやすく、関東大震災をきっかけに激減したレンガ造りの建物だが、海外ではまだまだ主流なのである。

 朱日はそんなレンガ作りの建物に緋色の瞳をキラキラ輝かせ、「おぉー」と声を上げた。


「ここに今日から住むのか! 非現実感があるのう〜」

「3日もすれば慣れますよ。部屋の鍵も預かってますから、案内しますね」


 そう言って案内員は朱日を建物内へと案内した。

 朱日がこれから使う部屋は2階の片隅に存在しており、案内員にそこまで案内されると、鍵を渡された。


「では、私は仕事を終えましたので、日本に戻ります。今後のイギリス生活に、ご武運を」

「うん、ありがとのう。そっちも道中気をつけて」

「ありがとうございます。では、この辺で」


 案内員はぺこりとお辞儀をして、この場から去っていった。

 朱日はそれを見守ると、直ぐに部屋の中へと入って、手に持っていた荷物を床に置いた。海外は基本的に靴を履いたまま生活するとは聞いていたが、どうしても脱いでしまいそうになる。

 朱日は荷物の中から持ってきた英単語辞書を取り出して、パラパラと何となく眺めながら、ベッドの上に背中を預けた。


(基本的な英語はなんとか叩き込んできたが……アメリカとは色々相違点もあるみたいじゃ、通じるもんかのう)


 勉強出来ない万年0点の脳味噌に、頻繁に使いそうな英語は詰め込んできたものの、それでもやはり不安はある。そもそも、英語の授業なんかもまともに受けた事もなし。これからは魔法科がある学校に入ると言えども、今後は日本語のみでは乗り切れないだろう。

 そういえば、と、朱日は紡が言っていた言葉を思い出した。


(わし以外にも日本の魔法使いの子が居たんじゃったか、確か……もしかして、この寮にいたりするのか?)


 朱日はその事に気が付くと、もしかしたら他の誰かに会えるかもしれない、と、立ち上がり、部屋に出て、寮内の散策がてら歩き始めた。

 この寮は、基本的には日本からイギリス留学に来た子供達を受け入れる為に整備された建物だと聞いており、他にも朱日のような日本からやってきた魔法使いや、その他留学生が居たりするようだ。魔法使いでなくとも、似たような境遇に置かれた子供が他にいれば、それに越した事なく、こちらとしては心強い。ここから暫くは親元から離れてイギリスで暮らす事になるのだ、知り合いは作っておいた方がいい。


 朱日はまず、毎日世話になるであろう食堂に向かった。今は夕方に近く、いるとしても料理人ぐらいなものだろうが、場所の確認も必要である。

 一階を降りて、暫く歩いたところで「CAFETERIA」の文字が目の中に飛び込んできた。直訳すると、食堂。


「食堂はここか」


 朱日は木製の扉をギィッと開いた。予想通り、人は一切おらず、ガランと沈黙で静まり返っている。

 中の方は教室一つ分ぐらいの大きさであり、そこまで大逸れた広さではないみたいだ。テーブルが数個と、それを取り囲む椅子4つほど。寮としてはそこまでの人数を受け入れるつもりはないであろう事が、テーブルと椅子の数から察せられる。


(思ったより食堂に入れる人数は少なそうじゃのう。急造の寮だったりするんじゃろうか)


 と、朱日は食堂から離れて、今度は風呂場へと向かう。風呂も毎日入る以上、場所ぐらいは予め把握しておいた方が良いだろう。


 そして、問題はそこで起こった。


 朱日は魔法を使って、ある程度の道筋を透視しつつ、寮の中の位置関係を把握していた。部屋の中や細かい部分は見れないものの、道と道でどこがどう繋がっているのか確認するには十分だった。因みに、普段からこんな事していたら普通に疲れる為、こういう時にしかこの魔法は使わない。

 朱日は魔法が示した道筋を辿りながら、何処に何があるかを確認して、風呂場へと進む。

 と、


「ん?」

(この引っ掛かり……人がいるのか)


 何やら、人の気配らしきものを魔力が感知した。

 風呂場という事で、こんなところで巡り合わせるのも良い気はしないだろうと思った。入浴後の初対面の人間に話しかけられるほど、朱日も気兼ねなく他人と接する事が出来るわけでない。この能力があれば、自分が入る時に改めて場所を確認すれば良いだけの話、取り敢えずここは引っ込んでおこうと、踵を返した。

 ――のだが。


「何? 客か? しらねー顔だな」

「珍しいな」


 少年2人と思しき声に話しかけられた。

 朱日は思わずそちらへと振り返って、その正体と姿を確認した。


(小学生……か?)


 少なくとも、こちらよりは体格は小さい男子2人だった。最初に声をかけてきた方の少年は、赤墨色の黒髪の坊ちゃん刈りが特徴的で、櫨染はじぞめ色の溌剌とした目が何処となく惹かれるものがあった。また、視力が低いのか丸眼鏡もかけており、パッと見では頭が良さそうだ。一方、その後ろにいるのは、一見はクールそうな少年だった。癖っ毛気味の短髪は褐色かちちろの濃い青紫色の黒い髪の毛で、青藤色の淡めの青紫色の瞳は冷静さが備わっている。そんな2人がこちらに日本語で話しかけてきた上、ここにいる、という事は、朱日と同じく日本からイギリスに留学に来たのだろう。

 朱日が自分達の方へと振り返った途端、眼鏡の方の少年が「へぇー」と、ニヤニヤ笑みを浮かべながら反応して、話を続けた。


「なんだァ。男か女か分かんねぇ顔しちゃってよ。ここにいるって事は男の魔法使いだと思うけど……すんげー弱っちそう! なぁ!」

「見る限り、結構な坊ちゃんだな。結局、留学というのは金持ちの娯楽らしい」


 なんて、好き勝手に話をしてくる。

 朱日は呆気に取られながら2人の会話を聞いている中で、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた気がして、ハッと我に帰り、声を上げた。


「ま、待て! お前、今、ここは男の魔法使いしか来れない的な事を言うておったな! そうなのか!?」

「ぁン? 聞いてねーのかよ」


 眼鏡の少年は呆れ気味に返し、


「ここは魔法使いのための施設で、男子寮だっつの。女子寮は別にある。最初に聞いてなかったのかよ」

「いや、日本政府直轄ってことぐらいしか……」

「ちゃんと聞いとけよ! 馬鹿か!」

「確かにわしゃあ勉強は出来んが、聞いた事はすぐ忘れんわ」

(日本に戻ったら茶井丈さんに問いただしちゃる……!)


 寮の説明に関しては彼が全面的に担っていたのだが、生憎、この話は一切聞いていなかったし、説明がアバウトだったように思う。こんな大事な情報、一度でも聞いていれば忘れようがない。

 とはいえ、向こうはこれでお互いの関係性がはっきりした、と言わんばかりの様子で、にんまりと怪しい笑みを浮かべながら続けた。


「まァ、この寮ではオレが一番『上』だかんなァー。お前はオレの言う事に従っときゃいいのさ」

「ああ……うん、そうか……」

(あー、ガキ大将か、こいつ……関わりたくない奴じゃ)


 朱日はガキ大将というものが何となく苦手である。とうのも、魔法の制御が上手くいかなかった時代、馬鹿にされたり、疎まれるように先導してきたのが、そういうタイプの子供で、積極的に関わろうと思えないのである。朱日も腕っぷしは強いとはいえ、中身は育ちのいい坊ちゃんだ。本来なら相容れないだろう。

 一方、反応が薄い朱日を見て癪に障ったのか、少年はギャースカと声を出す。


「おま……何だ、その反応は! そこは『分かりました、従います』って頭下げるところだろ!」

「ああ、そうなんか。寮の決まりなら先にどっかに提示しておいてくれんか。全然知らんかった」

「ぐっ……! お前、少しデカくてかっこいいからって調子乗ってんのか……!」

「いや……関わりたくないし、さっさとどっか行けって思っておる」

「生意気だな! 坊ちゃん風情が舐めやがってよ! 良いよなぁ、坊ちゃんは! どうせぬくぬくと生活してたんだろ!」


 と、文句垂れつつ、


「ま、オレの部下になるんなら、一定の生活は保障してやるよ。どうせ弱っちーんだから」

「……」

(そうか、見た目が見た目だからこのクソガキに舐められとるんじゃのう。流石に良い気はせんな)


 確かに、女顔の美少年で、露骨に坊ちゃんっぽい見た目ともなれば、ガキ大将からすれば見下せる対象であるだろう。如何にも弱そうで、頼りなさそう、という部分が彼らをそうさせるのである。

 しかし、朱日は違う。

 魔力が強すぎて自分でも制御できなかったぐらいに魔法の力はある。武力についても、そこいらのガキ大将や喧嘩番長なんてメにならないぐらい強く、「強くて見た目が綺麗なお兄ちゃん」という立場を、その名の通りに行っているような人間だ。少なくとも、一発でも拳を喰らわせれば、立場は逆転するであろう。

 ただ、朱日は先ほども言った通り、育ちがいい。だから、他人と積極的に拳を交えようとは思わない。目の前にいる少年は、朱日のその性格に助けられている状態だ。

 少年はニヤニヤと笑いながら、朱日に聞いた。


「で、お前、名前は? とりあえず聞いてやるよ」

「不知火朱日。今度から中学生じゃ」

「おっ、年上の部下か」


 と、少年は自分を指差し、


「オレは佐久雷さくらい陣介じんすけ。こっちは」

三根雪みねゆき午朗ごろう。どっちも次で6年生だ」


 陣介と午朗はそれぞれの名前を名乗り、そして、どちらも朱日より年下である事が確定した。

 陣介は朱日の名前を聞くなり、早速言った。


「じゃあ、朱日。お前は今日から、このオレ、陣介様の部下だ」

「はぁ」

「ここは光栄に思えよ。普通ならお前は何者にもなれないのに、このオレ様の部下になれたんだからな」

「……」

(いつまで拘束してくるんじゃ、こいつ……早く部屋に帰して欲しいんじゃが)


 ガキ大将のこの手の話ほど真面目に聞く気になれない朱日は、そろそろ解放してほしい気持ちでいっぱいだった。

 そんな朱日の心中を察したらしい午朗は、陣介の服の袖をちょいちょい引っ張って、声を掛けた。


「陣介……そろそろ行かないと。風呂上がりで体も冷えやすいし」

「ん? あー、まァ、そうか」


 と、陣介は納得して頷くと、手をヒラヒラと挙げて朱日に言った。


「じゃ、朱日〜、また後でな。次会った時には、オレの部下としての極意を叩き込んでやるからな。覚悟してろよ」

「あ、わかったわかった。また後でのう」

(今度会った時は無視するか……)


 朱日は表面上は納得したような仕草を見せたが、内心は陣介と出会いたくないようで、その気持ちを隠しながら、彼らが部屋に戻っていくのを見守った。

 勝手に部下認定され、朱日は半分ぐらい不服だったのが、こういうのは下手に逆らうよりものらりくらりと躱して、適当にやり過ごす方が楽なのだ。一線を越えればこちらも応戦すれば良いだけだ。

 朱日はハァと溜息を吐きながら、こりゃまた面倒な奴がいたもんだ、と、風呂場へと足を進めた。

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