002:決定、イギリス留学

 1950年、1月。

 終戦からそろそろ4年半を迎え、8月には5年を過ぎる頃だった。当時の日本はまだまだWW2の配線による影響が色濃く、ダグラス・マッカーサー率いるGHQによる占領下にあった。とはいえ、本州そのものは沖縄のように隅から隅まで占領されている訳ではなく、日本のこれからの行末に関する指導権を譲っている、という認識の方が近いであろう。

 そんな感じで、戦時中とはまた違った緊張感が国内に張り詰めている中、中学生進学を目前にした不知火朱日は、見た目麗しい男子に育っていた。不知火家特有の女性と見紛うような端正な顔立ちはどうやら男女問わず反映されるようで、一部の映画スターすら凌駕するような美少年は、街中を歩けば男女問わず注目の的になるだろう。一方で何かの拘りがあるわけではなく、単純に「その方が顔に合うから」という漠然とした理由で伸びっぱなしである葡萄茶色の長髪は、適当な部分で細いポニーテールになってまとまっている。周りが坊主やら坊ちゃん刈りやらで済ませる中、この長髪は非常によく目立った。そして、彼はこの時代の12歳にしてはかなり長身で、155cmに近かった。これもまた、不知火の遺伝子によるものだそうだ。

 この頃になると、朱日の魔法能力は本人の意思で自由に操れるようになっており、昔のように疎まれる事も減っていた。成長すると共に、美少年として成熟していくのだから、疎まれる方がおかしな話なのだが。

 そして、この頃になると日本政府の隅の方でも少し変わった動きが成されているようで、その影響は魔法使い一族である不知火家一直線に向かいつつあった。

 まだまだ1月の寒い時期の中、朱日はとっとと学校から家へと帰還していた。この頃の不知火本家は、普通に広い和風の豪邸という感じで、露骨に大きい家ではない。

 朱日は自分が帰ったことを報告するために、家族がのんびり過ごしているであろう居間へと向かった。


「かーちゃん、ただいま」

「あら、朱日。おかえりんさい。今日はアンタに客人に来とるけぇの」

「――え?」


 朱日はキョトンとして、一瞬動揺してから、居間をもう一度見返した。

 すると、母親が座っている向こう側に見知らぬ中年男性の姿があった。テーブルを挟み、こちらをにっこり笑いながら見ている。一応、顔を見る限りは日本人であるようだ。どことなく顔立ちが整っているため、昔は朱日のような美少年だったのだろうと推測できた。

 朱日は一旦荷物を部屋の隅に置いて、母親の隣に座った。男性は朱日が座ると、続けた。


「初めまして、不知火朱日くん。私は茶井丈さいじょうつむぐ。よろしくお願いしますね」

「は、はぁ……」


 男性・紡は名刺を差し出し、朱日はそれを受け取った。

 紡は「さて」と、小さく笑みを浮かべて続けた。


「早速本題に入りますが、お宅の不知火朱日くんをイギリスに留学させたいと思ってます」

「えっ」「あらあら」


 朱日は動揺し、母親は暢気そうに紡を見た。

 紡は一から説明しなければなるまい、と、自分の事について話し始めた。


「私、日本に於ける魔法学について研究している立場の者でして」

「!」

(魔法の研究者……!?)


 朱日はそんなものが存在していた事に対して非常に驚きつつも、話を聞き続けた。


「我が家も魔法が使える一族でしてね。魔法なんて非科学的なもの、なかなか政府にも認識されず、長年かなり苦心しておりましたが……先の敗戦をきっかけに、見直す流れが裏で出てきておりましてね。で、調べていく中で、どうやら広島の不知火家が魔法一族である、という噂を聞きつけて、やってきた次第です」


 朱日は「はぁ……」と再び要領を得ない相槌をすると、質問した。


「それがなんでイギリス留学に……? というか、わし、そこまで頭良くないし、0点常連でよく廊下に立たされるぐらい成績良くないんですけど……」

「うーん、もう少し努力できません?」

「無理ですね……」


 なんて、やりとりを挟みつつ、紡は本題を進めた。


「魔法といえば、イギリスが一番詳しく、研究が進んでいるんですよ。私もかつてはイギリスにいたんですが、魔法学についてはかなり参考になりました。少なくとも、今の日本にいるよりは、イギリスの方が魔法使いに対する扱いはまぁ良いんじゃないかと」


 と、


「成績についても……まぁ、そんなに気にしなくて良いかと。向こうの人たちが欲しがってる人材というのが、魔力の高い子供なんですよね。成長過程に於いてどこまで魔力が伸びるのか、とか、個人差があるのか、とか――そういった成長にまつわるサンプルを大量に欲しいという話らしいです」

「う、うーん……それでもイギリス、か……」


 朱日は思わず悩んでしまった。

 確かに魔法の研究に役に立つのならば、それに越した事はないと自分でも思う。この力、今の今まで大々的に役に立つ事は滅多にないし、表に出すようになれば、それこそ大惨事になりかねない。今でこそ、暴走周りは落ち着いてはきているが。

 一方で、研究の現地がイギリスという異国な点には不安しかなかった。自分は生まれから育ちまで純粋な日本人で、英語なんて生まれてこの方微塵も話した事がない。その上で、家族と離れ1人で異国での生活は、まだまだ子供である朱日にとっては怖いものでしかなかった。これで自分が高校生や大学生なら、もう少し話は違かったのかもしれないが。

 紡は続けた。


「本来なら、戦災孤児の子から研究対象をピックアップしてイギリスに送り込むのが手っ取り早いのですが……魔力を持った子供はそう多くはない。多く見積もっても現段階で魔力を得ている国民はせいぜい1割程度ぐらいですから、探し出すのも骨がいる作業でしてね」

「で、その中で、わしの家に辿り着いた、と」

「そういうことですね」

「水無月家も魔法家系じゃったけど、そっちには行っておらんのですか」

「向こうは今、未成年の子供はいないでしょう? 親戚筋も辿りましたが、そちらは魔力が顕現してない段階だとか、幼年期だとかで、協力は望めなさそうなもので。朱日くんは、赤ん坊の頃から魔法が使えてたようですが」

「ああ、まぁ……」


 やはり自分の魔力体質は、魔法が使える人間の中でも特異だったのか、と、朱日は今更ながらに実感した。

 一方、折角だから、この力を事情をわかっている客の出迎えに役に立ててみようか、と、朱日はキョロキョロを辺りを見渡して、紡のお茶の残りが少ないことに気がついた。このぐらいなら余裕で扱える、と、朱日は一息。ストーブの上ですっかり温まっている薬缶、母親が先に用意していたであろう茶葉と急須。朱日は一通り場所を把握してから、意識を急須と茶葉に向け、魔法を使って緑茶を作り始めた。急須の中に入っていた茶葉を一旦浮かせ、近くのゴミ箱に捨てると、間髪入れずに新たな茶葉を宙に浮かせて、急須の中に入れる。


「薬缶飛ぶから、気を付けてくれ」

「ああ、はい。分かりました」

(……ほう、これはこれは)


 紡はまじまじと、朱日が魔法を使う場面を見守った。

 茶葉を入れ直した急須がコトリとテーブルの上に置かれ、薬缶がそこへ飛び、すっかり熱湯になっているお湯が急須の中へと注がれる。そうして、紡が使っている湯呑みへ、一切手を使わず、緑茶が届けられる。

 空中で湯呑みに緑茶が注がれる光景を見ながら、紡は「なるほど」と、頷いた。


「この年齢で、ここまで扱えるものなのですね。この年代の頃はこんなに自由自在には出来ませんでしたよ、私。魔力が育ち切ってないから、薬缶を持ち上げるだけでもいっぱいいっぱいでした」

「そりゃどうも。わしは昔からこの魔力が当たり前じゃったけぇ、寧ろ、制御の方が大変だったぞ」


 と、朱日は人差し指を立てると、その場で小さく炎を作ってみせた。炎はゆらゆらと揺れ、紡に見せつけた。


「で、こうして、何もないところから物質を生んだりするのも、普通に出来るぞ。物を動かすのも普通にやるし……まぁ、大体家族の使いっ走りにされるんじゃが」

「そりゃそうじゃろ! こんな便利な力、家事に使わなきゃ損じゃよ、損!」


 朱日が半目で自分の隣に座ってる母親を見ている中で、母親の方はゲラゲラ笑いながら朱日の背中を叩いた。朱日は呆れを見せつつも、自分の母親が母親で良かった、と思う。母親にこうして使いっ走りにされてなければ、自分が魔力を制御出来るようになるのも当分先の話だったに違いない。

 母親はゲラゲラ笑いながら、「で」と、続けた。


「他の子達はどうなんですか。うちはまぁ、家族は理解あるので、こんな感じですが」

「はは……まぁ、元から魔法一族だとこんな感じなのは、私の家も変わりませんね。ただ」


 紡は神妙な顔つきになり、


「いきなり魔法が顕現する子も少なくはないんです。そうなったら、家族からも疎まれたり、距離を置かれたり――そのまま成長して、犯罪に手を染めるぐらいに追い詰められる、なんて事もよくある話です」

「……!」


 朱日はそれを聞いて驚愕した。同時に、自分の環境は、魔法を使える子供にとってはまだ良い方なのだと、初めて実感した。自分ですら、同年代の子供たちから疎まれて、精神的に辛い思いをしたというのに――それを家族からされるのだから、健全に育たないのも当たり前だろう。

 紡は続けた。


「朱日くん。多分、君なら、他に魔法を使える子達とも上手くやっていけると思います」


 と、


「私が孤児から拾い上げた魔法使いの子供達は、いかんせん、なかなかに擦れてる子が大半でしてね。そちらさんも家族の理解があると言えども、周りと上手くやっていけない事もあったでしょうけど……それ以上なんですよ」


 紡は続けて、質問した。


「とりわけ、朱日くんはその子たちと全く表情が違いますけど、何か信条みたいなものがおありで? 今まで見てきた子達とは何かが違うんですよね」

「わしは……その」


 朱日は紡に問われて、ぽつりぽつりと言った。


「昔、魔法が使える叔母さん夫婦がいて……今はどっちもこの世にはいないんじゃが、その旦那さんから『正義の魔法使いになってほしい』って、言われたんです。わしはその時、何も答えられなかったけど、旦那さんが特攻隊で死んで……もし、魔法がこの世に認められたものだったら、その人はこんな事せずに済んだのかな、とかそんなことばっかり考えちゃって」


 と、


「この世を変えたい、とか、そんな大逸れた事は思ってないけぇ、あんまり真に受けないで欲しいんですけども……ただ、ちゃんと正しい事に魔法を使える人間になれたのなら、それに越した事はないし、他の人もちゃんとこちらを見てくれると思ったんじゃ。もし、それが叶えられるとしたら、わしは叶えたい」

「……なるほど、君のことはよく分かりました」


 紡はフッと小さく笑みを浮かべると、続けた。


「でしたら、尚更、朱日くんにはイギリスに来て欲しいです」

「え……」

「この留学、実は国の金を使ってるプロジェクトでしてね。もし、朱日くんたちの努力が功を奏せば、国に魔法の存在を認めさせる事が出来るかもしれないし、そうなったら、国主導で更なる魔法の発展が望めるかもしれない。時間は掛かるかもしれないし、今すぐ、という話ではないけど、長い目で見たらそういう事になるんですよ」

「じゃあ……そうしたら、わしは正義の魔法使いになれるかもしれないって事ですか」


 朱日は思わず上体を持ち上げると、テーブルに手を置いて中腰で身を乗り出した。


「人々の役に立てて、他の魔法使いの子達や、これから生まれてくる魔法使い達の為になれて――そういう事が出来るかもしれない、と、言ってるんじゃな!?」

「……はい。言いました」


 と、紡は頷く。


「先の大戦の敗北により、GHQから色々と制限を掛けられている中で、血気盛んな政治家達が血を滲むような努力を重ねて――その先に見つけたのが魔法という存在なんです。軍や武力を持つ事がダメならば、魔法を使えば良い。そして、それは、誰かを助ける為にも堂々と使えるという事です。力は誰かを助ける為のものとして成立する。朱日くん、君は……」

「……行きます」


 朱日は顔を上げた。


「イギリス留学、行きます。この力が誰かの為のものになるのなら、わしはイギリス留学でそれを確かめたい!」

「では、決まりですね」


 紡はコクンと頷き、その場で立ち上がった。


「本日はあくまでも言質を取りに来ただけなので、また後日、必要書類を送らせていただきます。私はこれからまた東京に戻らなきゃいけないので。朱日くん」


 と、


「君がイギリスに留学して、何を得るのか――楽しみにしてますよ」

「……はい」


 そうして、紡は不知火の家を後にした。

 朱日は紡からもらった名刺を眺めながら、これからのイギリス留学に思いを馳せた。

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