第3話 気持ち悪い。

「その……私、痴漢されてて……」

「せんぱい、黒瀬さんにそんなことしたんですか? だからあんなに脅えてたんですか?」

「いやしてないし、そもそも黒瀬さんとは僕も初対面だ」

「えっと……横須賀先輩は違うと、思います……たぶん」


 そもそも僕は徒歩通学だし、黒瀬さんに痴漢のしようがない。

 前提として電車とかバス通学だと仮定しての話だが、もしも僕がそのどちらかだとしてもそれはないと断言できる。


「というか、1回されただけでそこまで思い詰めているわけじゃないんだろう? 継続的に特定の人物にされているんじゃないか?」

「……はい……」

「やっぱりせんぱい?」

「だから違うって。あと男は簡単に犯罪者に仕立て上げれるから本当に疑ってる時以外するなよ。それでも僕はやってない」


 初めての相談者の相談が痴漢。

 正直すでに学生で対応出来る範囲ではない。

 だがもう相談を聞いている。

 こちら側としてはなんらかの対応はしないといけないとは思うが、実際僕ら学生になにができるというのだろうか。


「わたしたちの他に、相談とかはしましたか?」

「……いいえ」


 思い詰めた表情のまま下を向いて首を横に振った黒瀬さん。

 僕は男だから、黒瀬さんの気持ちを想像するくらいしかできないが、黒瀬さんの性格上他人に簡単に相談できるならここまで深刻に悩んではいないだろう。


 男慣れしているその辺のギャルとかなら「最近電車で痴漢されててマジムカつく」とか仲間に言って集団で痴漢野郎を捕まえに行ったりしそうだが、黒瀬さんにそんな友だちがいそうにも見えない。


 その後黒瀬さんから少しずつ話を聞き、わかった事としては平日の通勤・通学時間の電車内で痴漢被害に遭っているという事。

 多少時間を変えたり乗り込む車両を変えても数日経つと同じく被害に遭う事。

 触り方や手順が同じである為、おそらく同一人物である事。

 黒瀬さんが使っている電車には女性専用車両があるが、周辺に病院や女子大などがあり女性専用車両は乗客が多く乗れない事が多い事。


「黒瀬さん、君はどうしたい?」

「……どう、とは……?」

「そのままの意味だ。相手を地獄に落としたいか、それともなるべく穏便おんびんに済ませたいか」


 世の中の善良な男たちは痴漢冤罪に脅え、世の中の大多数の女性は痴漢そのものに脅えている。

 要するに痴漢する男がこの世から消えれば男女共に大変ハッピーなのである。

 正直僕もあまり電車に乗りたくないのはそういう理由もある。


「……私は、とりあえず痴漢さえされなくなれば……」

「それでいいのか? 次に同じ事を持ち込まれても、また同じく泣きつくのか?」

「ちょとせんぱい!! なんで急にそんな言い方するんですか?!」


 神井がめっさ僕を睨んでくる……

 いやだってさ、たぶんだけどこの子そのうちまた同じように痴漢されるぞ。


「世の中、虐めるやつが悪いと言うが、虐められる側にも原因はある。悪いわけじゃない。ただそうなるようになってしまっている状態で噛み合ってるからそれは起こる」

「何が言いたいんですか? せんぱい」


 神井は僕を睨み付けていた。

 女の敵と言わんばかりのその表情。

 当然だ、黒瀬さんにも原因があると言ってしまっているようなものなのだから。


「なら神井、今後黒瀬さんが10回、100回と同じように相談に来ても、お前は嫌な顔ひとつせず親身に話を聞くか?」

「それはあたりま」

「無理だな。断言するよ。お前だってそのうち痴漢される黒瀬さんの方に原因があると思うようになる」


 べつに今後も黒瀬さんが痴漢の被害に遭い続ける事が決まっているわけではない。

 だが、正直めんどくさい。

 何度も同じ相談を同じ相手から聞きたくない。

 対症療法より根元から根本的に変えてしまう方が手っ取り早いし楽だ。


 僕はべつに黒瀬さんの事が好きとかそういうわけではないし、今後の人生においてもどうでもいい。

 ただ、どうしてか黒瀬さんを見ていると腹立たしいと少し感じてしまう。

 それが嫌なのだ。


「神井部長、お前はどうしたい? 黒瀬さんを助けるか、問題を解決する事を望んでこの部活をするのか」

「言ってる意味が」

「その場しのぎはいくらでもできるし、やりようはいくらでもある。けど、それで黒瀬さんは安心して過ごせるようにはならない」


 不安は尽きない。

 不安だから貯金したり備えたり行動する。


 要は心の問題で、心の在り方ひとつでどうとでもなる事はある。


「……せんぱいの言うことを聞けば、黒瀬さんを助ける事ができるんですか?」

「いやそれはわからん」

「そんないい加減なッ!!」

「僕が黒瀬さんに教えられるのは、人の心の折り方だけだ」

「…………は?」



 ☆☆☆



「わたし、せんぱいが何を考えているのかわかりません!!」


 大体の相談は聞き、黒瀬さんとの連絡先を交換して今日はとりあえず帰ってもらうことになった。

 相談部の部室には僕と神井だけになった。


「痴漢に限らずだが、世の中依存性の高いものは往々にして存在する。例えばパチンコ・ギャンブル・酒・タバコ。数えればキリがない」

「はぁ、それがどうしたんですか?」

「お前は痴漢する奴が何を考えて痴漢すると思う?」

「……女の子だゲヘヘ。みたいな?」

「たぶんだが違う」


 痴漢は痴漢する事そのものに依存する。

 常習的であり、やってはいけないという背徳感そのものに依存する。


 その背徳感を効率よく得られると判断されたから黒瀬さんは付き纏われて被害を受け続ける。


 ではギャンブル依存性の場合はどうだろうか?

 専門家曰く治療が必要であり、周りの人がそれに気付いたなら早期に対応しておかなれば大変な事になるらしい。

 丁度少し前にとある通訳がやらかしていたが、ギャンブルなんてのは脳内麻薬ドバドバでイカれてるから本人だけではどうしようもない。


「正解は『あの子なら興奮する』だ」

「……それってなんか違いあります? てか普通にキモイです」

「キモイのはそりゃそうだ。キモくない痴漢とか意味わからん」


 気弱そうな奴ならいじめてもいい。

 気弱そうな娘なら反撃してこないだろう。

 こいつになら何をしても許される。


 人間なんていうのは、所詮しょせんクソみたいた生き物だ。

 ほんと、嫌になる。


 そして自分のそんな人間という生き物であると考えると死にたくなる。

 そうして段々と考え込んで、それでもっと嫌になる。


「でもさっき言ってた心の折り方ってなんですか?」

「まあ、色々ある」

「例えば?」

「まずはその前に前提がある」

「というと?」

「自分の弱さを理解しておく事だ」

「ん?ッ?!」


 そうして僕は神井を押し倒した。

 覆いかぶさるようにして神井の両手を掴んで床に押し付けた。


「ちょと何を?!」

「今から僕は……俺は性犯罪者です」

「はぁ?!」

「男は目の前の女子高生を襲い、欲情した衝動を発散すべく襲いかかった」

「ちょと急になんなんですか?!」

「男は自分が今この瞬間、強者側であると錯覚する。だから目の前の女子高生を犯しても許されると思ってる」


 ああ、本当に気持ちが悪い。

 嫌になる。死にたくなる。


「なぜ襲ってもいいと思うのか? なぜ犯しても許されると考えるのか?」

「……何を言って……」

「答えは女が弱いからだ。正確には弱いとされているからだ」


 とある動画でトランスジェンダーの人の動画を見たことがあった。

 元々女性で、しかし心は男だという。

 その人は性転換をして男になったという。


 そうして彼女は、いや彼は動画でこう語った。

『寂しい』と。

 男になった途端、急に構ってくれなくなった。

 守ってくれなくなった。

 世の中の男が女性からどんな目で観られているのかを知ったと。


 孤独であると語った。

 まるで犯罪者を見るかのような目ですら見られた事もあると語った。

 そうして彼は、女に戻りたいと言った。


 世の中では、男は強く、女は弱い。

 だから男は女を守らないといけない。

 男女平等だとか叫ばれているけど、結局のところ未だ何も変わってはいない。


 だからこそ、男は力の振るい方を考えなければならない。

 だからこそ、女は己の弱さを自覚して上手く立ち回らなければならない。


「ここでひとつ、男は間違いを犯す」

「…………」


 僕は神井に覆いかぶさったまま、目を合わせて語り続ける。


「……間違い、ですか?」

「ああ。弱いから、反撃されないと思い込んでいるという事だ」

「だって、怖くて反撃なんて……」

「それはそうだ」


 僕は立ち上がり、神井を起こした。

 まだ僕の言いたい事は伝わっていない。

 伝えきれていない。それはわかってる。


「怖い。だから動けない。相手もそれをわかってる。だからこそ油断する」

「で、でも……さっきの状況からどうやって……」

「そりゃ金的だろ」

「それができれば苦労は」

「だからこそ、お前は自分の弱さを自覚し理解する必要がある。相手が油断しているとわかれば、わかる事ができれば対処はできる」


 眠っている時、食事している時、あらゆる行動には隙や油断はどうしてもある。

 脳みそがいくつもあるならもしかたしたら話は別かもしれないが、そうなると人間では対処できないだろうから前提からは外す。

 考えるだけ無駄だ。


「でも、今のがわかったって、どうしろと?」

「僕が言いたいのは押し倒されたらの対処法じゃない。大事なのは2つ。相手が油断している隙を的確に突けるようになること。そしてその隙を作る弱さを理解しておく事だ」


 自分の弱さに向き合う度に死にたくなる。

 それでもそうしないと生活できない人がいる。

 弱者は弱者として、立場をわきまえてつつましく生きる。


 モブはモブらしく、モブにてっして生きるしかない。


 だから僕は卑屈に仕方なく生きていく。

 自殺さえ許されないのだから、仕方がない。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る