#6

「次のニュースです。十一月二日にネオンシティ西部で起きた病院爆破事件について、捜査当局は犯人と思しき人物を全国に指名手配したことを発表しました」


 霧島が端末上に映った自分の顔写真を複雑な気持ちで眺めていると、扉が開いてコーヒーの香りが漂ってきた。


「全国デビューした気分はどうだ」


 グエンがどんとカップを置くと、コーヒーが少し跳ねて飛ぶ。礼を言って受け取り、かぐわしい香りと苦味をすすった。


「どうしようもないな。戸籍があるっていうのも考えものだ」


 心の底からそう思って答えると、グエンは鼻を鳴らしただけだった。


 霧島が病院に潜入し下水管の中を泳いでから、すでに二日が経っている。監視の目をくぐりながらグエンのもとへと駆けこみ、翌日は泥のようにひたすら眠った。そして目を覚ますとこのざまだ。病院の爆破事件は霧島による無差別テロと報道されている。職員は無事に脱出できたものの、シャドウタウンの患者はほぼ全滅。タウンの住人を見捨てた点についてはネオンシティの人権団体が異を唱えているが、それ以上に霧島の極悪非道さが取り沙汰されている。


 病院でのトラブルが原因。自暴自棄になっての犯行。転生への供物などという荒唐無稽な説まで出ていたが、三田村や製薬会社の悪事は明らかにされていない。


「おまえが昼寝している間に端末のデータを復旧させておいた。完全ではないが、ある程度実態を掴むことはできたぜ」


 グエンは自身のディスプレイに向かって顎をしゃくる。霧島はカップを持って立ち上がると、グエンの座る椅子の後ろから覗きこんだ。画面にはおびただしい数のデータが並んでおり、霧島がそれを読み取ることはできなかった。


「水没してなかったのか」


 霧島は端末を持ち出したものの、下水管に飛びこんだ時点で絶望的だろうと諦めていた。驚きを隠せない霧島に対し、グエンは捻くれた頼もしい笑みを浮かべる。


「無駄に耐久性が高いタイプだったんだよ。金持ちの金の使いどころは理解できねえな」

「そうは言っても限度ってものがあるだろう。恩に着る」


 機器全般に明るくない霧島だが、水に濡れた機器を修復したり厳重なセキュリティを突破したりすることが、容易でないことくらいは想像できる。霧島が休んでいる間にグエンが尽力してくれたことは、彼の目の下のクマが物語っている。


「おだてても取り立てるものは取り立てるからな。病院自体は吹き飛んだが、あれほどでかい企業ともなればサーバー上にデータを保存していることが多い。復旧させた端末からサーバーに侵入しさえすれば、あとは何でもできる」


 グエンは嘲笑を浮かべたまま吐き捨てる。


「三田村製薬が開発していたのは、老化を遅らせる薬らしい」

「老化を遅らせる?」


 霧島は眉をひそめた。グエンは指先でディスプレイを軽く叩きながら答える。


「正確に言うと、怪我や病気で損傷した細胞の修復を活発にする薬だ。人間の体の持つ自己修復機能を極限まで上げることで、あらゆる怪我や病気からの回復が早くなる」

「夢のような薬だな」

「夢のまた夢だ。これまでの医療は特定の疾患に対する治療がメインだった。でもこれは違う。万病に効くと言ってもいい。これが当たれば確実に世界は引っくり返る。とんでもなく高価な薬だろうがな」


 グエンは椅子を回転させて霧島を見上げた。皮肉めいた笑みは底知れないほど暗い。


「なあ、霧島。こんなものがこの世にあってたまるかよ」

「悪趣味だな。金で命を買えるっていうのは」


 グエンの言わんとすることはわかった。


 この薬はシャドウタウンの住人を犠牲にして開発されている。それにもかかわらず、仮に実用化されたところでシャドウタウンの住人に手が出るものではないだろう。


 金があれば寿命さえも買うことができる。これは富裕層による、富裕層のための薬だ。逆に貧しい者はどうすることもできず、搾取され続け、そのあげくに寒い路地で死ねと言うのだろうか。


 グエンは背もたれに体を預け、大きな欠伸をした。


「それでこの後どうするんだ。ネットに動画をばらまいてもフェイクと言われるのがオチだろうさ」


 三田村のやり口は巧妙で政治的だった。病院爆破の事件を自身が再選するための道具として利用することにしたらしい。彼は死んだシャドウへの悼みと、犯人への怒り、そして未来を捨てないというメッセージを公表している。それらは市民の心を打ち、最新の世論調査では三田村の支持率は飛躍的に上がっていた。三田村が再選すれば、またシャドウタウンに病院を建設する予定だという。この取り組みに興味を持った他の都市にもノウハウを広げると豪語しているので、犠牲はさらに拡大するだろう。


 何とかしなければ。案が無いわけではなかったが、指名手配されている身の霧島にできることは限られている。霧島が苦味をかみしめながらコーヒーを流しこむと、グエンが「そういえば」と切り出した。


「カイの様子はどうだった」


 さも今思い出したかのような口ぶりだが、グエンも気にはしていたらしい。霧島の表情がわずかに緩んだのを見て取ったのか、グエンは舌打ちした。


「勘違いするなよ。俺はおまえが、カイと接触するのを避けるべきだと思っていただけだ」


 目を覚ました霧島がカイに会いに行こうとすると、グエンは恐ろしいほどの剣幕でそれを止めた。霧島が粘った結果、カイとは地下で落ち合うことになった。この辺りは戦前のままほとんど手が入っていない。捜査当局でさえ、地下シェルターや抜け道の全てを把握しているわけではないだろう。


「ネックレスは渡した。母親の死については、すぐには受け入れられないようだった」


 カイは霧島の胸倉ではなく腹の辺りを掴むと、「どうして助けてくれなかったんだ!」と叫んだ。狭いシェルターの中で、声変わり前の絶望に満ちた声が反響した。彼は何度も霧島の腹を拳で殴ったが、震える拳は弱々しく、痛みはほとんど感じなかった。ただ、唯一の肉親を失った子供の痛みだけがそこにあった。


 そのことを告げるとグエンは眉を寄せた。


「病院についてもあれこれ話したのか」

「まさか。余命いくばくもなく助けられなかった。爆発に巻きこまれて死んだ、とだけ伝えたさ」


 光の届かないシェルターの中で、カイは呆然としていた。立ち尽くし、霧島から手渡された母親のネックレスをじっと見つめていた。


 カップを傾けると一滴だけ苦味が舌に落ちる。霧島は空になったカップの底を見ながら呟く。


「とてもよく似ていた。俺の死んだ弟に」

「カイが、か」


 霧島は「ああ」と小さくうなずいた。


「弟が死んだのは、ちょうどあれくらいの歳だった」

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