#5

 野木の部下らしき女と別れ、霧島はさらに下の階へ足を向けた。地下二階は一層セキュリティが厳しいようだが、野木の社員証をカードリーダーにかざすと簡単に扉が開く。


 部屋のつくりは先ほど見ていた地下一階と大きくは違わない。ガラス張りの部屋に並ぶベッドと機械。多数のチューブが繋がり横たわる患者たち。しかし患者に繋がれた機械はより大きく、雰囲気は物々しい。寝かされている患者の状態が悪いことは容易に見てとれた。霧島がベッドを覗きこむと、苦悶の表情を浮かべていた男が恐怖に顔を引き攣らせる。


「こ、殺さないでくれ。助けてくれ」

「俺はおまえたちの敵じゃない。ここでは何が行われているんだ」


 霧島の言葉に驚いたのか、ひどく咳きこんだ男はひゅうひゅうと喉を鳴らす。


「あなた、新入りかしら」


 弱々しくかすれた声に霧島が左を向くと、探していた顔があった。もっとも、すでに若々しい美しさは見る影もない。痩せてやつれた頬に落ちくぼんだ目。カイからもらった写真を何度も見ていなければ気がつかなかったかもしれない。


「おまえがカイの母親か」


 霧島が押し殺した声で尋ねると、女はげっそりとくぼんだ目を見開いた。死んだ目に生気が宿り、輝きを取り戻したようにも見える。


「あの子を知っているの」

「ああ、カイの依頼を受けて俺はここにやって来た。母親を探してほしいと言われてな」


 霧島の言葉にハナの瞳が震えた。突然咳きこみ始め、ハナは激しく血を吐いた。驚いた霧島が背中を支えようとするのを手で制し、血まみれの口元を手の甲で拭う。頬に涙が流れ目を細める姿は、健康な頃であればさぞかし絵になっただろう。ハナは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、涙を指でぬぐった。


「カイは無事なのね」

「そうだ。だから俺はおまえを連れ戻す」


 霧島の言葉に対し、ハナは静かに首を横に振る。


「わたしはもう生きられない。それくらいわかるわ」

「そういうわけにはいかない。依頼を受けた以上、仕事を全うする責務がある」


 霧島がハナに繋がるチューブに手を伸ばした瞬間、けたたましい警報音が鳴り響いた。霧島が事態を把握したのと、耳元でグエンが舌打ちしたのは同時だった。


「緊急事態レベル四。侵入者あり。侵入者あり。速やかに確保せよ。繰り返す」

『悠長に娼婦とおしゃべりしているひまはないぞ』


 ハナにはグエンの声は聞こえていない。彼女は細い指で霧島の二の腕を強くつかむ。余命いくばくもない体に、これほどの力が残っていたのかと驚くほどだった。


「あの子を守って。あの子の未来を守って」


 ハナの静かな目には迫力があった。指に力がこめられ、霧島は顔をしかめる。


「ここでは人体実験が行われていたのか」


 霧島の質問にハナはうなずく。


「夢のような劇薬。毒薬かもしれない」


 まず三田村は人道支援としてシャドウタウンに病院を建設した。無料で医療が受けられるとうたい、年齢も性別もばらばらなシャドウを集める。多くの人間に医療を提供しつつ、その裏では一部のシャドウをモルモットとして身内の製薬会社に高額で売っていた。


 この病院の地階は三田村製薬の研究所であり、生身の人間を使って研究データを集めていた。運良く生き残ったところで秘密が漏れることを防ぐため、患者は密やかに殺されているだろう。当然、こんな非人道的なことはネオンシティではできるはずもない。元々戸籍のないシャドウだから、人間とも思われていないシャドウだから、このようなことがまかり通るのだ。三田村の尻尾を掴もうとしたジャーナリストたちも同じ末路を辿ったはずだ。


 何がシャドウに光を、だ。地獄に落ちろ。


 霧島がぎりと奥歯を噛みしめると、警報音とともに照明が赤く点滅し始めた。


「緊急事態レベル五。爆発まであと五分。総員、ただちに避難せよ。繰り返す。爆発まであと五分。総員、ただちに避難せよ」


 部屋で眠っていた患者たちも、さすがに目を覚ましたらしい。慌てたように周囲を見回しベッドから降りようとするが、体中に繋がったチューブのせいで、あちこちで転倒していた。


「ハヤク、ニゲテクダサイ。バクハツ、バクハツ」


 先ほどまでは病室の中を静かに移動していたロボットが、目を赤く点滅させながら霧島や患者の周りをぐるぐると回っている。モニターには4:25の文字が表示されていた。


『外部の人間に知られたあかつきにはシャドウ諸共全部爆破して証拠隠滅ってか。狂ってやがる』

「ロボットの爆発を遠隔で止められないか」

『無理だった。カウントダウンが始まれば、爆発するまで一切手は出せない仕様らしい』


 緊迫したやり取りの中で、ハナだけが落ち着いていた。死線を幾度もくぐってきた霧島にはわかる。これは覚悟を決めた人間特有の静けさだ。


 早く逃げろと繰り返すグエンを無視し、霧島はハナに向かい合った。


「これを、あの子に」


 ハナが首から外したネックレスを受け取る。細い鎖に小さな十字架のついたものだ。売ったところで二束三文にもならないだろう。だが、ずっと肌に触れていたためか温もりがある。これは生きた人間の温度だ。


 霧島はそれを握りしめて深くうなずいた。「必ず」


「あと一つだけ」


 ハナは霧島の耳元に口を寄せる。「カイの父親は……」


 ほとんど息のような声だったが、霧島の鋭敏な耳は告げられた言葉を正確に捉えた。驚いてハナの顔を見返すと、ハナは霧島の背中を軽く押す。


「もう時間がない。行って」


 化粧をしているわけでも露出の多い服を着ているわけでもないのに、ハナの笑顔には妖艶で従わざるを得ない力があった。


「俺が客として通っていた未来もあったかもしれんな」


 霧島がロボットを避けながら薄く笑うと、愛に満ちた娼婦は首をすくめる。


「今日はもう閉店したのよ」


 部屋を出て階段を駆け上がるも、元来た地上への扉はすでに鍵がかかっていた。蹴破ろうとしたが、白、い扉はびくともしない。舌打ちをしたのは霧島だったか、グエンだったか。判別はつかなかったが爆発まで残された時間は短い。


『立ち入り禁止の場所から排水管に出られるはずだ。そこを辿れば脱出できる』


 霧島は地階へ戻りながら大声で尋ねる。


「その扉はどこにある」

『今探しているところだ。あった。近いぞ、喜べ。今いる廊下の突き当たりだ。違う、そっちだ。そのまま進め』


 霧島が扉を開くとそこには無骨な鉄の骨組みが広がっていた。グエンの指示に従いながらさらに進むと、開けた太いパイプの中に繋がっており、霧島はヘドロのような臭いに思わず顔をしかめた。待ち受ける穴の中からは轟々と水が流れる音が聞こえてくる。


「ここは爆発で耐えられると思うか」


 霧島が現実逃避するようにつぶやくと、耳元でグエンが密やかに笑う。


『試してみるか? 万一助かっても、ずっとそこにいれば餓死するだけだ』

「それは悲惨だな。進んでも悲惨だが」


 迫りくる爆発を前にして、グエンと軽口を叩いているうちに霧島の決意は固まった。ハナから受け取ったネックレスをファスナーつきのポケットに入れて閉める。野木の端末が水圧に耐えられる保証はないが、これも外へ持ち出すべきだろう。薄い端末を小脇に抱えたまま、霧島の身分が割れそうなものは先に穴の中に放る。一瞬で濁流に飲みこまれたのが見えたが、霧島の心は凪いでいた。


『霧島』


 改まった口調のグエンは珍しい。いくぶん緊張を含んだ声で短く告げられたその言葉は重く、また霧島を奮い立たせるには十分だった。


『死ぬなよ』


 霧島は返事をすることなく深くうなずく。そして大きく息を吸いこみ、暗い水の中へと身を躍らせた。

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