#3
グエンのもとを訪れた二日後、霧島は咳きこみながら荒涼とした廃墟を歩いていた。当然ながら、咳きこむふりをしているだけである。
「病人みたいだろ?」
『とっととくたばれよ』
グエンの舌打ちと吐き捨てる声が霧島の耳元から聞こえてくる。霧島の耳に入っているのは超小型の通信機で、距離や妨害電波にかかわらず通信可能な優れものだ。霧島の見た映像は目に入れたコンタクトレンズを通じ、リアルタイムでグエンのもとへ共有されている。
霧島の顔が赤いのは必要以上に衣服を重ねているからだ。中に小型ヒーターを入れているため、寒さの厳しい季節とはいえさすがに暑すぎる。これで熱があると言い張り、堂々と病院に忍びこむ算段だ。
シャドウタウンは未だに復興が進んでいない。都市機能が集まった中心部の復興や発展は目まぐるしかったが、この辺りは爆撃で壊れた建物が残っている。戦争の前は霧島もこの辺りに住んでいたが、景色が変わり果てた今、その正確な記憶は薄れつつある。
ふと見ると、がれきの上に白い花が手向けられていた。誰かがここで亡くなったのだろうか。霧島はその場に屈みこみ静かに手を合わせる。
『なに油売ってんだよ。さっさとしろ』
「おまえだって、墓を踏みつけるような真似はしないだろう?」
グエンからの返答はなく、代わりにきいと椅子がきしむ音が返ってきた。
土埃の舞うがれきの上を黙って歩いていると、白い大きな建物が見えてきた。開けた場所に白壁がそびえる姿は、どこか異質で天国への階段にも見える。霧島はその不気味さに全身が粟立つのを感じた。
無料で受けられる高度な医療。飢えや寒さをしのげる場所。シャドウタウンの住人が喉から手が出るほどに求めているものがここにはある。案の定、何も知らないであろう住人たちは長い列を作っている。
『三田村は票稼ぎにご執心らしいな。人権意識がお高いようで』
ネオンシティでは四年に一度、住民の直接選挙によって市長が選ばれる。投票は数ヶ月後に迫っており、ネオンシティのメディアに取り上げられることも多い。もっとも、シャドウタウンの人間は今日明日を生き延びることで精一杯で、その多くは戸籍を持たないため投票することはできない。それでもシャドウタウン救済を掲げる三田村を慕う声は多かった。
その対抗馬と称されるのが、現副市長の
「なんだ。グエンは李派なのか」
『お生憎様。清き一票なんぞ持ち合わせていないのでね。それにあんなクソ女に票を入れるくらいなら、投票所で射殺される方が百億倍マシだね』
軽く
『やっぱりおまえみたいなやつもいるじゃねえか』
「俺みたいなやつってどういうことだ」
『仮病のやつらさ。考えてもみろ。ここで面倒を見てもらえるってことは、働かなくても生きていけるんだぜ』
怪我人や明らかに顔色の悪い人間もいるが、そうでない人間も多い。霧島の前に並んでいる男が千鳥足なのは、日がな一日酒を飲んでいるせいだろう。
『タウンの人間全員がクズとは言わねえよ。でもクズ野郎も多い。三田村は病院を作って良いことをした気分かもしれんが、俺には偽善にしか見えないね』
「全員が全員、おまえみたいに金を稼ぐ能力を持つわけじゃない。他人に暴力ふるって奪い取るよりは、シティの恩恵にあずかる方がマシだろうよ」
グエンの厭世ぶりは今に始まったことではないが、さすがに度を越している。霧島がなじるとグエンは押し黙った。
受付に立っていた愛想の良い看護師に「熱がある」と弱々しい声で伝えると、いたわるような表情で待合室へ案内された。奥にスライド式の扉があり、両方の壁際には黒い長椅子が置かれているだけの殺風景な部屋だ。
「お呼びするまでこちらでお待ちください」
部屋から出て行った看護師を会釈して見送ると、扉が滑らかにスライドして閉まる。
かしゃん。かすかな音だったが、五感の鋭い霧島はその音をはっきりと捉えた。機械音が聞こえたのは気のせいではない。
『なんだ、今の音は』
グエンにも聞こえたらしく、焦ったような声で問われる。霧島は今閉まったドアを横に引こうとしたが、予想通りびくともしない。他の患者は奥の扉の向こうにいるらしい。はめこまれたガラスごしにいくつかの人影が見えた。
「どうやら穏やかに聞きこみをするって感じではなさそうだな」
『出られないのか』
「ぶち破れば嫌なことが起きそうだ」
鍵のかかった扉を見ながら答える。上部にセンサーがついており、不気味な赤い光が点滅していた。この距離で爆発すればひとたまりもないだろう。
だが霧島は不思議と冷静だった。グエンのように頭の回転が速いわけではないが、野生動物のように危険を察知する能力は高い自負がある。そのおかげで、いや、そのせいで家族の中で自分だけ生き残ってしまったとも言える。
「なあ、グエン。三田村について調べたと言っていたな。教えてくれ」
この期に及んでこの病院に何もないと考えるほど、霧島は楽天的な性格ではない。やはりここには何かがある。霧島の知らない、何かが。
根拠のない確証を持ってそう尋ねると、少し間があった。次に聞こえてきたグエンの声は、いつも通りの皮肉めいた、憎らしいほど余裕のある声だった。
『金はもらうからな。……不定期的ではあるが、三田村のもとに多額の金が異なる会社から入金されている。それも現金で』
大都市の市長ともなれば、正規の金にしろ裏金にしろ、多方面とのやり取りはあって然るべきだ。しかし高額な取引を現金で行うというのは考えづらい。
「それはきな臭いな」
『だろ? だからその通信元を辿ってみた。結果はビンゴだ。名義・住所は異なるが、全て同じ端末で処理されていた』
霧島は扉の向こうを注視しつつ、グエンの早口な説明を整理する。
「一人の人間ないしは一つの組織が、複数の口座を使い分けているのか」
『おそらく。巧妙に隠したつもりらしいが、逆に自分はクロですよと言っているようなもんだな。……で、さらにここからが重要だ。ある口座Aから三田村のもとに送金される前に、決まって他の口座Bの残高が跳ね上がる』
「他の口座?」
『口座Bから送金される前にはまた別の口座Cが跳ね上がる。銀行も馬鹿じゃない。送金する直前に多額の入金があれば怪しむさ』
「最初から怪しんで複数の口座を繋げて考えないことにはわからない、と」
『そういうことだ』
じゃあ、現金を持ちこんでいるのは誰だ。
霧島がそう尋ねようと口を開きかけたそのときのことだった。
ふいに扉の奥が騒がしくなる。奥の部屋はさらにどこかに繋がっており、そこから職員が数名入ってきたらしい。身じろぎ一つしないように気をつけながら、扉の側で耳をそばだてる。がなり立てているのは患者のふりをしたシャドウタウンの住人だろう。
「早く飯を食わせろよ」
「もう少しお待ちください」
押し問答していたが、徐々に患者の声は小さくなっていく。何かがどさりと倒れるような音が複数回聞こえ、霧島は唾を飲みこんだ。
「この健康なシャドウたちは地下一階へ。あちらの部屋の、弱っているシャドウマンは地下二階に運ぶように」
リーダー格の男が冷徹に指示し、他の職員が部屋の中を動き回るのがわかった。
シャドウマンやシャドウとは、ネオンシティの住人がシャドウタウンの住人を蔑んで呼ぶ言葉だ。どこかで予想していたためそれほど動揺はしなかったが、やはりこの病院や職員はまともじゃない。
霧島が歯を噛みしめると、扉にほど近いところで作業員が声を上げた。
「主任。この部屋のシャドウの数が足りません」
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