第7話神は言った、事情説明をしろと(ゼイン視点)

 俺は……

 組合から逃げ出した俺は宿に戻ってきていた、

 酒は既に抜けていて、冷めきった理性が俺のしでかしたことを虐めていた。


「ああ」


 本当に、本当に何をしているんだ。

 自分が自分でなくなったようなあの感覚。

 蒸発した理性と、破壊された意識。

 あるのはただ、これを俺のものにしたいという欲望だけ。


 指先が冷えていく、最低にまで落ち切っていたはずの俺自身への評価がさらに下がっていく。

 酒に軽く酔っただけだというのに容易く食い破られた理性に苛立ちが募る。

 結局あの頃と何も変わらない。

 俺のバカみたいな行動のせいでまた、子供が……。


「うっ、おぇぇぇ」


 吐き出した朝食だったものが、洗面台の流しからこちらを見ている。

 ツンとした匂いが鼻について、また吐き出す。


「う、お、カッ、カハ......」


 既に腹の中は空っぽだがまだまだ戻せるはずだ、と考えたところで口から垂れた胃液が顎を流れ落ちた。

 これは、ただの現実逃避だ。

 勝手に罰を求めて、勝手に罰されて、勝手に許されたような気分になるだけの独りよがりな行動だ。


 それを意識しだすと、今度は自分に腹が立ってくる。

 自分勝手に後悔して一人で転げ回って、さっきのあの子にも娘にも謝ることができないでいる。

 どうしようもない自分に、自己否定が意識を覆う。


「そもそもなんで生きてんだ……?」


 冒険者仲間だった妻を目の前で魔物に喰われて失い、彼女の残した娘も失った。

 無能を通り越して存在することが悪だろう。


 取り出した剣を胸元に突きつけて、自問する。

 こんな人間がなぜ生きているのか。

 誰も幸せにできない、他人の命を踏み台にしてただ生きるだけの自分が。


「あ、ああ」


 死んだら二人の元に行けるかもしれない。


 そんな思考が一瞬でもよぎった自分を許せなくなる。

 自分の失態で失った娘を既に死んでいると決めつけるその理性が、高潔だった妻を自害の言い訳にするようなその浅はかさが、死そのものを侮辱する自分自身がに吐き気を催す。


「あぐっ」


 飲み込んだ水を飲んだそばから吐き出す。

 何も生まない。

 ただ自分を慰めるだけの行為を続けていた。


「おい、いるかゼイン?」


 ああ、来てしまった。

 ドア越しに聞こえる声に体が反応する。

 彼女は自分を責めてくれるだろうか?

 こんなにも情けなく、生き汚く、這いずるように生きている自分を笑ってくれるだろうか?

 そんな期待とも呼べない感情とともに俺は扉を開いた。


「ああ、いるぞ」


 視界に入るのはエルフ特有の少し長い耳と、黄金に輝く髪を揺蕩わせた友人、レイアだった。

 その瞳に映る自分は情けない表情をしていた。


 鮮烈な朱の中に怯えたような自分の顔が映っている。

 美しい彼女の中に醜い自分がいることを、俺は認められなかった。

 どうか責めて、罵倒してほしいと視線を向けてもレイアはぶっきらぼうだった。


「さっさと行くぞ、モリスのとこのバーだ」


 俺の涙も、吐いた痕跡も見なかったことにして、普段通りに接してくれるレイアはいつもそうだった。

 俺がどれだけ責めてほしいと思っても、俺がどれだけ弱音を漏らしても黙って話を聞き、いつも通りに接してくる。

 彼女のそういうところに、俺は救われていた。


 馴染みのモリスのバーを訪れた俺たちは、奥の個室を借りて向き合って座っていた。


「まずは……すまなかった」


 そう言って頭を下げたレイアを見て、慌てて立ち上がる。


「おいおい、なんでレイアが謝ってるんだ!?」


「私が連れていた子供は魅了の力を持っていたんだ!」


 俺の疑問に被せるように叫んだレイア。

 だがそんなこと関係ねえ、俺が子供を襲ったのは事実だし何も言い訳できない。

 だが、少しだけ心が楽になったことは誤魔化しようがなかった。

 確かめるようにレイアに問う、自分の声ににじむ希望が現金でいやらしかった。


「でも、俺に効くような魅了なんて滅多にないだろ?」


 レイアは俺の言葉を受けて、囁くような声で告げた。


「彼女は、『守り人』様なのだ」


「......はぁ?」


 ばかな、ありえない、なぜ?

 疑問が喉から這い出ようとするが、俺の冷静な部分は確かにそれなら俺に魅了が効くのも納得できる、といっていた。


「これを見てもらうのが早いだろう」


 そういってレイアは人差し指をたてた。

 これは魔法使いがよくやる仕草で、子供相手に魔法を見せる時によくやるやつらしい、と無駄な知識を反芻していた俺の前で、それは起こった。


「『神炎』」


 彼女の呟きとともにその指先に現れたそれは神聖に青白く輝いた。

 自分自身が洗われるような感覚、先ほどまでの心の有りようが嘘のように落ち着いていくのを感じた。


「おいおい、本物じゃぁねぇか!」

 

 明らかに存在の格が違うその炎は見ているだけで、心が救われていく。

 ただ見るだけで人を癒す、でもそんなものは……


「『聖人』様にしか使えないはずだろ!?」


「ああ、そして私は『聖人』に至った。ユーナ様、黒ローブの私が連れていた子の気まぐれのおかげでな」


 あんぐりと口を開く、罪悪感の次に癒し、そしてさらにその上から襲ってきた驚きは容易く俺の心を埋め尽くし、一瞬だけ心の内の暗いものを取り払った。


「どうりで強くなってるわけだ……」


 実際に『神炎』を見せられて、そしてレイアの話を受け取った俺の口から漏れたのは、ただの確認の言葉にしかならなかった。


「このままいけば王都最強の魔術師も夢ではないな!」


 嬉しそうに微笑んだレイアだが、俺は彼女の努力を知っている。

 エルフの移民としてこの王都に行きついた彼女には、最初、最低限の加護しか与えられなかった。

 移民に力を付けさせすぎると、反乱が起こるかもしれない。

 という国の考えである。

 そのせいで、冒険者を始めたばかりのころは、生まれた立ての子供でも扱えるような魔法にも苦戦していた。

 だが、そんな環境でも必死に努力して魔法を覚えてここまで成り上がり、今では『大聖堂』から厚遇を受けるようになった彼女に一言。


「よ”が”った”な”あ”」


 彼女が冒険者に登録したばかりの頃、娘に近い年頃だった彼女に何かと世話を焼いたものだった。

 当時は随分不愛想な子だなと思ったりしたが、今なら分かる。

 彼女は少し不器用なだけなのだ。

 そのせいでパーティも組めずにいた彼女に冒険者の基礎を教え込んだことを思い出す。

 彼女の成長に余計に涙があふれだす。


「おいおい、泣くなよゼイン」


 そういって困ったように笑うレイアの成長が愛おしかった。

 

「あ、ああ悪いな話の腰を折っちまった。続けてくれ」


 声にはしたものの、未だに視界が少しぼやけている。

 気を取り直すような咳払いとともに、レイアは語りだした。


「まあそういうわけだからあまり気にするなよゼイン、冒険者のみんなにも私の連れが妖精の呪いを受けてしまったせいで魅了の力を振りまいてしまっただけだと伝えてあるからな」


 冒険者のみんなにうんぬんかんぬんは正直どうでもいいが、それよりも一つ気になったことがあった。

 

「その……ユーナ様はどちらからいらっしゃったんだ?お名前を伺ったことがなかったんだが」


「それがだな……ユーナ様は新しく誕生された『守り人』様なのだ」


 驚きのあまり、口から飛び出そうになった悲鳴を飲み込む。

 新しく『守り人』様が生まれたなんて話は、聞いた覚えがなかった。

 

「だからこそ、この件は内密に頼む。私も教皇様には口止めされているが、独断でお前に知らせに来たんだ」


「そんな……いや、申し訳ねえ、心配かけちまった」


「ああ、ユーナ様もお心をお配りになっていたぞ、自分のせいでお前の心に消えない傷跡を作ってしまったかもしれない、とな」


 あの黒ローブの子が『守り人』様だというのは、なかなか妙な感じがした。

 人間に寄り添った言動、自分の気分よりも相手を心配する優しさ、どうにも人間らしい『守り人』様の言動。

 顔に出てしまっていたのだろうか、レイアは言った。


「ユーナ様は非常にフランクな方なのだ」


「ふ、フランク?」


「お前に謝罪を伝えたいとおっしゃっていたからな、今度お会いすると良い」


 およそ『守り人』様を敬う人間として相応しくない態度で、彼女はグラスに残っていた酒を飲み干した。

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