第5話神は言った、おじさんと和解せよと

「みてみて、めちゃくちゃ広いよ!」


 『大聖堂』の最上階を貸し切りにしてもらったボクたちは、これから我が家となる空間を探検していた。


「お風呂も寝室もトイレもすっごい便利だ!」


「やはり『大聖堂』のものともなると、最上位の魔道具ばかりだな」


 そう、『守り人』のために用意されたこの空間は人類の知恵と技術が敷き詰められた、最上級のものだった。

 るんるんと歩いていて、ふとお風呂場の前に鏡があるのを見つけて、覗いてみると、そこにあったのは『美』だった。


「……」


 頬が暖かくなる感覚とともに、鏡に映った人物も頬を赤く染めていく。

 ボクは、『美』そのものだった。

 銀糸の布と、その表面に浮かんだ天使の輪のようなつやが優しく包み込んだ顔は、完璧な形を保っており、瞳は蒼みがかった黒、そしてその瞳に反射した光が星のようにきらめいていた。


「おい、ユーナ殿!ユーナ殿!」


「……っわあ!」


 レイアに肩をゆすられて何とか正気に戻ったボクは己の考えなさを恥じた。

 たしかにこれはレイアも隠すわけだな、『守り人』であることを差し引いても、きれいすぎる。

 レイアの行動の的確さに納得し、感謝を伝えようとしたところで……


「……レイア?どうしたの?」


 ボクは、レイアに押し倒されていた。

 鼻息の荒いレイアの様子はどこからどう見ても異常で、その様子はボクに解釈違いを起していたシスターを思い出させた。


「【レイア、落ち着いて】」


 自分の洗脳の能力を強く意識して、言葉を口にする。

 

「……私は……いったい何を……?」


 未だに意識をもうろうとさせたレイアに状況を説明する。


「レイアがボクの肩に触れたかと思ったら、今度は突然覆いかぶさってきたんだよ!」


「そんな……まさか私が……?」


 自分で自分が信じられない、といった様子でレイアは手を開いたり握りしめたりして、体の様子を確認しているようだった。


「すまない、ユーナ殿に触れたところまでは憶えているんだが、なんだかいい匂いがした、と感じた後の記憶が全くない。迷惑をかけてしまった」


「いいっていいって、でもそういうことならもしかしてボクに触れるのも匂いを嗅ぐのもアウトってことなのかな?」


「ああ、どうやら『守り人』様の体には尋常ならざる力が宿っているようだ」


 ちょっとこの肉体が面倒になってきたな。

 これじゃあ何にもできないじゃん。


「今日はもうじき日も暮れそうだし、のんびり部屋で過ごすよ!」


 ボクはそう言って自分の部屋にレイアを招待し、夕食の時が来るまで、声に魅了と洗脳乗せないように力を押さえる練習をした。


「かなり力が抑えられるようになったんじゃないか?」


 夕食の席でレイアはそう言った。

 食事は大変豪華なもので、前菜、パン、オードブル、ワイン、肉、魚となんでも取り揃えていた。

 思わず食事の必要のないボクの目が釘付けになるほどだった。

 食事の手をいったん止めて、ボクは不思議に思っていたことを尋ねた。


「教皇さんは一緒にご飯食べないの?」


「『守り人』様と『聖者』様とともに夕食をいただくなどおこがましい、私は後でいただきますよ」


 家主であろう教皇の目の前で彼よりも早くごはんをいただくという状態に、妙な居心地の悪さを感じながらボクは口を開いた。


「シスターさんは?大丈夫?」


「アイラのことでしたらご心配ありません、少しして正気を取り戻し、ユーナ殿に大変失礼な態度を取ってしまったと嘆いておりました」


「気にしないでって言っといて!ボクの顔と声のせいみたいだから!」


「お心遣い、感謝いたします」


 家主の前で、彼の夕食の予定であったであろうものを食べるという奇妙な体験を終えたボクは風呂に入ることにした。

 そして気づいた。


「何も……ない」


 一切何もなかった。

 象さんがいることも、割れ目があることも胸に脂肪が溜まっていることも、尻に穴があることも。

 本当に人外になったんだなと自覚し、寂しさを覚えた。


「むむむむむ……」


 股に思念を向けてみる。

 

 にょき


 おお、すごい生えた!


 そのあとも体をいじって男になったり女になったり胸に特大の脂肪を詰めてみたりとはしゃいで遊んでいたら、すっかりのぼせてしまった。


「ごめーんレイア、遅れちゃった……」


 ボクがお風呂から出るのを待っていたレイアに髪を乾かしてもらう。


「むっ……ぐおおおおお!」


 なんとかボクの魅了に耐えて髪の毛を乾かし終わったレイアは枯れ果てた老人のようになっていた。


「一緒に寝よー!」


「ダメです」


「ええ?」


「ダメです」


「な、なんで……」


「ダメです」


 ダメですと繰り返すだけで他に何も言わなくなってしまったレイアを置いて、ボクは寝室に入った。


「私は近くの部屋で周りに気を配りながら眠るので何かあれば大声をだしてください」


 ……それなら最初から一緒に寝ればよくないか?

 ボクの思いも虚しくレイアは寝室の前から去っていった。


 思えば異世界生活一日目だというのに波乱万丈だったと思う。 

 気絶してアンナに拾われて、おじいちゃんに絡まれて、シスターに怒鳴られて……

 あれ?あんまりいい思い出ないな。

 明日はもっと楽しく過ごそう、と思ってボクは目を閉じた。



「はぁ、はぁ……」


 目を覚ますとレイアがボクの上に馬乗りになっていた。 

 ……なんで?


「いや、申し訳ない」


 そういって頭を下げ続けるレイアによると、なかなか起きてこないボクを起そうと部屋に立ち入ってからの記憶がないらしい。

 やっぱりこの肉体、ちょっと不便なのでは……?

 シスターの子が言っていたことから考えるに、他の『守り人』たちは一々問題を起こす自分の体にうんざりして引きこもるようになったのではないだろうか?

 朝食を食べながら何とはなしに考えたことだが、あながと間違いでもないだろう。


「さて、朝食もいただいたことだし、私は冒険者組合に顔を出しに行ってくる」


「ハーイ!ボクも行くー!」


 大きく手を挙げたボクに、レイアは苦笑するとあの黒いローブを手渡してきた。


「これで顔を隠して、最大限魅了の力を押さえられるならな!」


「もちろん、随分練習したからね、今日はばっちりだよ!」


 ボクの返事に大きく頷いたレイアは顔を隠したボクを連れて『大聖堂』をあとにした。


「おー、武器とか防具とかたくさん売ってる!」


「冒険者組合の近くだからな、ここらの露店は初心者向けだがそれでもある程度の品質は保証されてるものばかりだそ」


 きょろきょろと辺りを見回すボクを見守りながら、レイアは通いなれた足取りで建物の戸をたたいた。


「でっかーい!」


 大きな木造の建築物はそこにあるだけでかなりの圧を感じる。

 素人お断りっといった風な威厳を放つその建物の前ではごつい男たちがたむろし、余計に入りずらい雰囲気を見せていた。


「よう、久しぶりだなレイア!?」


 冒険者組合の受付を待つために並んでいたボクたちに声をかけたのは、組合の食堂で遅めの朝食を食べていたおじさんだった。


「レイア、誰あれ!?」


「私と同じケルベロスの階級を持つ冒険者のゼインだな、気のいい奴だから話してくると良い、きっと気が合うぞ」


「おー、行ってくる!」


 とてとてとゼインおじさんの方にかけていくと彼は人好きのしそうな笑顔を浮かべた。


「お、レイアの連れか?」


「うん、昨日レイアに拾ってもらったの!」


 『大聖堂』には緘口令がしかれており、外に情報が漏れることはないため、とりあえずは拾われた孤児、という設定で行こうと昨日レイアと話あったのだ


「なあ嬢ちゃん、レイアの奴強くなってるみたいなんだがなんか知らないか?」


 随分と鋭いおじさんである、黒髪にたれ目の優しそうな顔立ちに反して、やはり戦士としての勘というやつは鋭いのだろう。


「うーんボクよくわかんなーい」


「おお、わかんないよな、変なこと聞いて悪かったな嬢ちゃん」


 おじさんはそういってボクの頭を撫でようとした。

 昨日のレイアみたいになってしまわれてはかなわない。

 ボクはスッと彼の手を避けた。


「悪いな、驚かせちまったみたいだ」


 ゼインおじさんはそう言って自分の手を悲しそうに見つめていた。


「気にしないで!でもボクには触らない方がいいかも!」


「本当にごめんな嬢ちゃん」


 ボクがおじさんの手をよけたからだろうか?

 おじさんの顔からは次第に余裕が失われ、そしてその表情には自己嫌悪の念が浮かび上がった。

 訳アリだろうか?

 野次馬根性でボクは話を聞いてみることにした。


「なになにおじさん、話してみなよ!何か悩んでるんでしょ?」


「……不思議と嬢ちゃんには逆らえねえって感じちまうな。話終わったら軽蔑してくれていい」


 そういってポツポツと語りだした内容は悲惨なものだった。

 当時二十代だった彼は、妻を失いたった一人の娘であるルナちゃんと一緒に暮らしていたらしい。

 だが、当時は妻と自分の稼ぎを合わせてどうにか娘を養える程度の実力しかなく、泣く泣く育児を断念。

 貧民街近くにある孤児院に娘を預け、修行の旅に出て一年、遥かに強くなって帰ってきたおじさんを迎えた言葉は「もう売った」だったらしい。


 怒り狂ったおじさんによってその孤児院は壊滅、多少腕に覚えのあるごろつきを孤児院は雇っていたらしいが、まったく相手にならなかったという。


 その日からずっと娘を探しているが未だみつからず、十年間毎日涙を呑む生活なのだと彼は語った。


「よしよし、大変だったね」


 ボクは泣き崩れたおじさんをよしよししながらお酌をしていた。

 呑みだすと止まらないタイプなのか、少し飲ませるとまるで流し込むように酒をあおりだしてしまったのだ。


「お、おれは、おれは」


 泣き上戸だったおじさんは、涙を流しながら酒を飲んでいた。

 そんな彼に少し気おくれながらもお酌をしていると、ふとツンと肩と肩が触れ合った。


「あ、まず……」


 ――衝撃――


「んあっ」


 思い切り床にたたきつけられた反動で思わず声が漏れる。

 そこにいたのは、柔和な笑顔を浮かべる冒険者ではなく。

 自分の不甲斐なさを嘆く父親でもなく。

 欲に駆られた獣だった。


 取り返しのつかないことになるかもしれない、そう判断したボクは彼に言葉をかけようとして……


 またもや衝撃が走った。


 吹っ飛んでいくゼインおじさんと足をふりあげたままの姿勢のレイア。

 どうやらレイアが助けてくれたらしいが、ボクはおじさんが心配だった。

 気にしないでと声をかけようとして、目を向けて、そしてそこにあったおじさんの姿にボクは言葉を失った。


「な、なにを……お、れはおれは、あ、ああ、ああああああ」

 

 まるで自分の存在を認められように表情をゆがめ、そう言って組合の外に駆け出して行ってしまった、


「失った当時の娘と同じくらいの年齢の子供に襲いかかっちまったのが相当きつかったみたいだな。あいつには悪いことをした、私が奴に軽く事情を伝えておくからあまり気にするな」

 

 おじさんの後悔を知っていたのだろうか?

 やらかした、といった風に眉根を寄せたレイアが歯噛みした。

 にわかにざわざわとしだした組合のみんなに大きな声で彼女は言った。


「みんな、見た通り私の連れは妖精に呪われたせいで強力な魅了の力を誰彼構わず放ってしまうのだ。決して彼女に触れないように頼む」


 レイアが組合の人たちに説明しているが、正直ボクは気が気でなかった。

 これは……力を使いこなせていないボクの落ち度だろう。

 おじさんと和解するために、ボクは彼の娘さんを見つけることに決めた。

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