第6話 続アナスタシアの孤軍奮闘

応接室でアナスタシアとレナルドはソファに並んで座る。

侍女は紅茶をテーブルに置くと、背景に溶け込むように壁際へと控えた。他の使用人は部屋から出され、ロイが外で見張っている。


「なかなか良い部屋ね。あら、あそこの本棚には、どんな本があるのかしら?」


アナスタシアは本棚に目を遣った。


「あぁ、歴史書や確か植物図鑑もありましたね」

「植物図鑑なら、庭の花の名前が分かるかもしれないわね」


お茶の時の為に話題を温存していたアナスタシアは、先程の散歩の際に“別の話題を”と目の前にある花の名前や種類についてレナルドに尋ねていた。


(いきなり迫るのも品がないな。アナスタシア様の機嫌を損ねてしまっては事だ)


レナルドはアナスタシアに気に入られようと、本を取るため席を立つ。


(よし、背中を向けたわね!)


その隙にアナスタシアは懐から小さな小瓶を取り出すと、レナルドの紅茶に中身を注いだ。中身は睡眠薬である。すぐ証拠が見つからなかった場合の時間稼ぎにと、フィルバートから持たされていたものだった。


「どうでしょう、載っていますか?」


レナルドから本を受け取り、ページをペラペラと捲るアナスタシアの視線は紅茶から外されることはない。


(早く~! 早く飲んでよ~!)


アナスタシアの心の叫びが届いたのか、一緒に本を見ていたレナルドは紅茶へ手を伸ばすと一口飲み込む。


「あぁ、先程の花はこれですね」


レナルドは見つけたと本を指差すと、そのまま本を持つアナスタシアの手に触れる。その手は、ゆっくりと腕を這って頬へと届く。


「アナスタシア様」


熱い視線をアナスタシアに向け、吐息を吐くように名前を呼んだ。


(イヤー! 早く、早く効いて!)


レナルドの唇がアナスタシアに近づく。アナスタシアは“無理!”と、レナルドを押し退けようと手を出す。あわやという瞬間、レナルドはガクリとアナスタシアに倒れ込んだ。手を出していたお陰で、レナルドの顔面がアナスタシアの身体に触れるという惨事は何とか免れた。


「お、重い……どけて~」


小声の救助要請に、控えていた侍女はサッとレナルドをアナスタシアから引き剥がす。ついでに侍女は睡眠薬の痕跡を消すため、レナルドの紅茶を捨てる。


それから数刻、アナスタシアは解放された気分で紅茶と植物図鑑を堪能した。


******


ノックの音が応接室に響く。


「どうぞ」


相手がフィルバート達なのか、伯爵家の使用人なのか分からないのでアナスタシアは気張った声で答える。


ガチャリと扉が開かれ、入って来たのはフィルバート達だった。

咄嗟に“フィル”と呼びそうになり、アナスタシアは口を手で押さえる。レナルドは眠っているはずだが、万が一にも聞かれてはマズイ。それに、外には伯爵家の使用人もいる。


「アナスタシア様。そろそろ、お帰りなるべきかと」

「分かったわ」


それは事が済んだという合言葉であった。


応接室から出るアナスタシアに、レナルドが付き添っていないことを疑問に思った家令が駆け寄る。アナスタシアは頬に手を当てると、面白くなさそうな表情を作った。


「レナルドは、とても疲れているのね。眠ってしまったわ」


呆れるように告げられ、“何ですと!”と家令は目を見張る。


「だから、わたくしは帰るわ」


家令に見送られながら、アナスタシア達はそそくさとボグワナ伯爵家を後にした。


******


馬車の中でアナスタシアの前に座っていた騎士は変装を解いた。


「フィル!」

「アナ、よく頑張ったね。お陰で、ほら! 無事、証拠を掴んだよ」

「良かった~。でも随分と時間がかかったわね」

「ごめんね、アナ。ボグワナ伯爵ときたら、結構用心深くて」


ここまで尻尾を出さなかったのだから当然の事ではあるが、伯爵の用心深さは尋常ではなかった。隠し金庫が収められている隠し扉を見つける為の隠し扉が別にあり、その扉を開ける為のスイッチが巧妙に隠されていた。そして隠し金庫の鍵が別の隠し扉の中にあるのだが、その扉を開けるのに更なる隠し扉が……一体、何個の隠し扉が存在するのか。さすがのフィルバートも閉口した。いっそ剣で叩き切りたいと思うぐらいに。


その苦労を知らないアナスタシアは少しご機嫌斜めである。


「もう! 私、大変だったんだよ」

「うん、ロイから聞いたよ」

「え?」

「アナ。君は一体どこで、その手腕を覚えたのかな?」


ニッコリと黒い笑みを浮かべるフィルバートに、アナスタシアはキョトンと首を傾げた。


「庭でお茶をしている時、随分とレナルドを虜にしたそうじゃないか」


ロイは驚きのあまり、「アナに何もなかったか」とフィルバートに聞かれた際、うっかり漏らしてしまっていた。


(どこで覚えた? 誰に教わった? 他の誰かにも使ったのか? というか僕ですら、そんな妖艶なアナを見たことないんだが?!)


レナルドの引付役をアナスタシアに頼んだのは自分だから自業自得ではあるが、それでもやっぱり面白くないとフィルバートの中で黒い感情が渦巻く。


「あぁ、あれはお姉様から」

「第一王女のフィオナ様?」

「うん。『いいこと、アナ。男は掌で転がしてなんぼよ。その転がし方、教えてあげるわ』って。今回の計画を聞いて、教えくれたの」

「そうか、フィオナ様が……そうか」


快活で社交性が高いフィオナは話術にも長けており、社交界でも活躍していた。そして、その手腕は外交でも男性に負けない程だと有名である。


フィルバートの毒気は、すっかり抜けてしまった。


「ただの技だけど、何か問題あった?」

「いや、何もないよ」

「そう? あ、もしかして上手く出来てなかった?」

「いや、そんなことは……いや、いいかいアナ。今後、その技は使わないでね。もし使ったら、全て僕に話すこと。いいね?」


言い淀んだフィルバートは釘を刺す。妖艶なアナスタシアを誰にも見せたくないという独占欲である。そして未然に防げず虜になる者が現れた場合は、即座に排除する構えだった。


「? よく分からないけど、分かった。でも使う気はないよ」

「ありがとう。さぁ僕の愛しいアナ、頑張った君を労ってあげないとね」


フィルバートはアナスタシアの隣に座り直すと、そっと彼女の肩を抱いた。

甘々タイムの始まりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る